1941年・幻の東京空爆計画
〜日本を敗戦に導いた宋美齢の生涯〜

南京・美齢宮
ここがお嬢様の部屋(南京・美齢宮)


「アメリカの真の敵は、ドイツではなく、日本なのです」
 黒いチャイナドレスに身を包んだ小柄の女が、流暢な英語で力強い演説を終えた瞬間、割れんばかりの拍手が起きたといいます。そして、その拍手は5分間も鳴りやむことはありませんでした。

 1943年2月18日、アメリカ議会。

 蒋介石の妻・宋美齢は、この演説で一気にアメリカを味方につけてしまいました。実際、翌日には、ルーズベルト大統領が蒋介石率いる国民党への武力援助強化を発表、これが日本の敗戦を決定づけたともいわれます。
 宋美齢、まさに日本を敗戦に導いた女。
 
 宋美齢は上海で生まれました。実家は「中国4大財閥」の1つ浙江財閥で、お嬢様育ちの彼女は、9歳からアメリカに留学しました。
 1927年に蒋介石と結婚。1936年には、張学良に監禁された夫を自らの手で救出するなど、次第に猛女ぶりを発揮し始めます。

 彼女は1942年11月から1943年5月までアメリカに滞在するんですが、ニューヨークでもハリウッドでも、中国支援集会に顔を出しては、抗日演説を繰り返しました。その演説の効果は絶大で、アメリカ世論は見事に反日に傾いていきます。なにせ、毎日、数百通ものファンレターが届いたといいますから、もはや誰もかなわない(笑)。

 ところが、ここで集めた寄付金は、実は彼女の毛皮や宝石代、そして高級ホテルの支払いに使われたようです。彼女の化粧代は年間400万ドルともいわれていて、さすが天下のお嬢様は違います。

南京・美齢宮
1931年に建てられた美齢宮
(左下は宋美齢専用の1920年型フォード)


 宋美齢は1943年11月、ルーズベルトと蒋介石、イギリスのチャーチルとが集まって対日処理を決めたカイロ会談にも同席、女帝ぶりを遺憾なく発揮しました。

 これがそのときの写真がこちら。

蒋介石、ルーズベルト、チャーチル、宋美齢
左から蒋介石、ルーズベルト、チャーチル、宋美齢
 
 
 このカイロ会談で蒋介石はパーティーを主催するのですが、出席したルーズベルトの次男・エリオットは、その時の感想をこう父親に書いてます。
《蒋介石夫人は男の歓心を得ることばかりに長く従事したので、いまやそれが第2の性格のようになったような印象を受けた。本来の性格はたぶん恐ろしいもののように思え、正直言って怖かった》(産経新聞2000年7月12日)

 これに対してルーズベルトは「(宋美齢は)間違いなく日和見だ。私は中国で彼女の敵にはなりたくないね」と言ったとか。なんだか彼女と争うのがイヤで日本を敵に回したみたいで、すごいコメントです。


 まさに日本の運命を決めたともいえる宋美齢ですが、実は、彼女の差し金はそれだけではなかったのではないか、というのがここからの話。
 
 日本は1941年12月の真珠湾攻撃でハワイを奇襲、これにアメリカが激怒して参戦したと一般的には言われます。「ジャップは卑劣で卑怯だ! リメンバー、パールハーバー!」とはここからきてるわけですな。
 
 ところが、真珠湾攻撃の前からアメリカは中国軍を支援していたことがわかってきました。それが「フライングタイガーズ」です。

「フライングタイガーズ」は296機の日本軍機を撃墜したことで名を馳せた空軍部隊ですが、従来、これはアメリカの民間義勇兵とされてきました。ところが、実は、アメリカのスーパーエリート軍だったそうです。

 言ってる意味わかるでしょうか。アメリカは日本と戦争する前から、日本を攻撃してたわけです。卑怯なのはどっちじゃい、とつっこみを入れたくなりますね。

 まぁこうした話は聞く耳を持たない人が多いので、信憑性を高める意味でも、新聞報道を引用しときましょう。

《「フライングタイガーズ」のパイロットは、蒋介石の軍事顧問クレア・シェンノート氏によって、当時の新米パイロットの5倍相当に当たる月給600ドルと日本軍機1機撃墜ごとに500ドルという破格の報酬で、全米各基地から集められた。全員は農民や伝道師、エンジニアなどを装ってビルマに集結。蒋介石政権が米国に借金する形で資金を負担、弱体の中国航空部隊を裏で支えた》(読売新聞1991年7月8日)

 さらに驚くべきは、フライングタイガーズが東京や大阪の奇襲攻撃を計画していたことです。

《作戦には350機のカーチス戦闘機と150機のロッキード・ハドソン長距離爆撃機が参加の予定で、うまくいけば(1941年)9月下旬には東京や大阪に大量の焼夷弾をばらまいて木と紙の日本の家屋を焼き尽くすはずだった。

 だが、「フライング・タイガース」が集結したビルマの英空軍基地には10月下旬になっても肝心の爆撃機は到着しなかったのである。

(中略)需要の多い爆撃機はその年の暮れになっても届かず、41年12月7日の真珠湾攻撃で日米が開戦すると、中国大陸を経由した日本爆撃そのものがほごにされ、計画はやみに葬られた》(産経新聞2000年7月15日)

 
 この日本奇襲攻撃(作戦計画「JB355」)は蒋介石の要請で計画されたのですが、どう考えても、宋美齢が思いついたとしか考えられません。もちろん裏付けはありませんが、こんな猛妻に「日本を空爆して」とキーキー言われたら、どんな男でも抵抗できないはず(笑)。

 もし、日本がこの空爆計画を察知して、対抗策として真珠湾攻撃を行ったとしたら、日本はまさに宋美齢の手の平でもてあそばれてただけという……情けなさすぎる推論も成り立つわけです。

 こんな猛女ですが、2003年10月24日、ついにニューヨークで永眠しました。享年は訃報を伝えるメディアによって異なり、104歳とも105歳とも106歳とも書かれています。

 恐るべし宋美齢。まさに20世紀最大の女狐です。

制作:2003年10月26日
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