札幌「北の大本営」を行く

北部軍・防空指揮所
取り壊される防空指揮所



 北海道にはあんまり戦争遺跡は残ってないんですが、数少ない現存施設で最も有名だったのがこちら。
 札幌市豊平区の旧陸軍「北部軍司令部防空指揮所」です。

 旧陸軍は昭和15年(1940)に軍制改革を行い、全部隊が東部、中部、西部、北部の各軍に分けられました。北部軍は旧第7師団(旭川)と旧第57師団(青森県弘前)で編成され、後に樺太混成旅団も含まれました。要は、東北から樺太までを管轄する軍で、「北の大本営」と呼ばれていました。

 この要塞のような建物は、その“大本営”の唯一現存する建造物で、昭和18年(1943)、札幌の防空指揮のために作られました。鉄筋コンクリート地上2階、地下1階建てで、空襲にも耐えられるよう、天井の厚さはなんと2メートル! 確かに見るからに頑丈そう。
 戦時中は擬装のため壁は黒く塗られ、屋根には土が盛られて草が生えていたと言います。

北の大本営 北の大本営
1911平方メートルという広大な敷地に通信施設が


 この指揮所内には通信部隊が常駐し、最新の通信機器で各部隊からの情報を処理していました。内部には北海道を中心にした巨大な地図が掲示されていて、敵機が襲来すると赤いランプが点灯したそうです。
 2004年に、北海道新聞が元隊員の取材をしています。以下、その記事を引用しときます。

《旧防空指揮所の武骨なコンクリート造りの建物で、高等女学校を卒業したばかりの若い女性たちが3交代の24時間勤務で働いていた。強制招集された女子通信隊だ。
「敵機襲来の電話を受けると、走り書きをして伝令に渡すんです。すると、壁の大地図に赤いランプが灯り、司令部幹部はそれを見て警報を出していました」……終戦時には、旧ソ連軍に追い詰められた樺太から電話で、「これで最後です」と叫び声の報も届いたという》(北海道新聞、2004年8月14日)


 すごいな、この通信所。
 なお、戦後、ここは陸上自衛隊札幌駐屯地の「月寒送信所」として使われましたが、老朽化のため、通信機能は陸自真駒内駐屯地に移転されました。そして、2008年に取り壊され、跡地には国家公務員宿舎が建っています。

●幻の大本営はこちら

制作:2007年5月8日

<おまけ>
 札幌には新千歳空港と丘珠空港の2つの飛行場がありますが、当然、両飛行場はともに軍部のものでした(丘珠が陸軍で、千歳が海軍)。

 で、実は札幌にはもう1つ民間飛行場がありました。それが札幌飛行場で、北海タイムス社が作った報道用飛行場でした。1926年にオープンし、その後、逓信省に引き渡され、国の飛行場となりました。
 1937年には、日本航空輸送社が東京への定期航空路を開設します。実はこれが戦前唯一の東京航空路です。

 ですが、戦争の拡大ともに飛行場は軍の管轄となりました。そして戦後、アメリカ軍は札幌飛行場の全ての飛行機を燃やし尽くしたのでした。

札幌飛行場
唯一残る「札幌飛行場」正門の門柱

札幌飛行場
路面の飾り
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