ピョンヤン名物
これが失われた「妓生」!
僧舞
剣舞
朝鮮には、古来から妓生(キーサン。今風の発音ではキーセン)がいました。妓生とは、いわば高級芸者のことで、客の注文に応じて楽曲を演奏したり踊ったりします。朝鮮では宮仕えの芸妓(官妓)もいて、政治の舞台でも活躍しました。
妓生は見識が高い人間しかなれず、「詩をもって文人に応酬し、書画をもって名を知られる」とされたほどです。
売れっ子の妓生は収入も高く、豪邸生活をおくれたといいます。当然のことながら、女の子はみんな憧れ、妓生のメッカとして有名だった平壌には学校までありました。
日本支配下では徐々に高級娼婦に近い状態になってしまいましたが、それでもかろうじて存続はしていました。でも、どう考えても現在の北朝鮮では残ってないでしょうねぇ。
金総書記の愛人組織といわれる「喜び組」には、多少、残り香はあるかもしれないけど、う〜ん、どうなんだろう。
というわけで、妓生学校へ行って、古き良き平壌文化を味わってみよう!
曲に合わせ踊る妓生
平壌名物の妓生学校(1930年頃)
妓生は客の求めに応じて、流行歌や日本の歌(具体的には鴨緑江節・国境警備の歌・安来節など)を歌いました。
もちろん本来は古曲を歌ってたわけで、それは主に4種類あったといいます。
1.詩調(古詩の朗吟)
2.歌曲(春香歌といった歌劇もふくむ)
3.舞踊(剣を使った剣舞、僧服を着る僧舞、4人で4つの太鼓を使う四皷舞など)
4.楽器(玄琴、洋琴など)
歌に次いで大切なのが書画。客の求めに応じて揮毫するのは妓生の基本でした。
北朝鮮が誇る
マスゲームもいいけど、やっぱりこんな芸者文化も捨てがたいですね!
制作:2002年10月7日