私刑類纂 日本軍の私刑
公制の陸海軍刑法に規定なき微罪、世間普通にてはほとんど罪と見ざるほどの行為に対しても、陸海軍隊にては罪として私刑を加うるなり。まず、その罪質の如何を左に略記す。
○罪と認めらるる行為
陸海軍とも同一のこと多しといえども、特に陸軍または海軍に限れることを併記す。読みて判別すべし。
一、上官に敬意を表せず、または敬礼に粗略の態度あること
一、整列の時に遅るること
一、命ぜられし仕事を忘るること
一、便所内にて喫煙すること
一、時間外に飲食すること
一、銃または剣の手入れ粗漏のこと
一、酒に酔いて悪戯行為あること
一、制服または寝具寝台などの整理を怠ること
一、内密にて酒保(=兵営内の売店)に行くこと
一、不注意にて物を破損すること
一、喧嘩口論すること
一、すべて不謹慎の言行あること
一、油または塗料をこぼすこと
一、食事の配当不公平のこと
一、制服のボタンがはずれおるに気づかざること
一、夜間営舎の窓より鍋焼き饂飩(うどん)などの買い食いすること
一、艦上より魚を釣ること、釣りたる魚をもらいて食すること
この罪例は10中の2、3に過ぎず、このほかは類推すべし。
これらの罪に対していかなる私刑を加うるかと言うに、何罪には何刑といえるがごとき規定あるにあらず。上長の随意にて即時に行うなるが、その手段も区々(=ばらばら)一定せず、古くはもっぱら剣銃または板とか棒とかにて殴打し、甚(はなは)だしきは絶息せしむるもあり。
あるいは寒中裸体にして水をあびせしなるが、近年、軍国主義非難の声高く、随(したが)って、一般兵卒の思想激変し、また応募兵激減せしがため、当局者も大いに覚醒するところあり。その時代思潮に鑑みてか、大正8年(1919年)後は、従来のごとき殴打・殺傷などの酷刑はほとんど禁ぜられて、今は「アンパンを食う」と称する、手にて頬を打たるるくらいのこと存するに過ぎずという。
○刑として行わるる手段
昨今行わるる刑の手段は大略次のごときことなり。
一、手のヒラまたは握り拳にて頬または背を打つこと
一、休息時間または就寝時間に徒手(=素手)にて立たしむること
一、重き物を持たせて立たしむること
一、罪条書きの札を胸にかけて立たしむること
一、体操中の姿勢にて立たしむること
一、腰の伸びざる棚の下に整列式の姿勢にて立たしむること
一、左右の卓上に手をつき両足を上げ手のみにて自体を支持せしむること。
または横板・細棒などの上に自転車に乗りしがごとく跨(またが)りおらしむこと
一、食事時に食せしめず、他の食するを見させ置くこと
一、犯人(が)一時に多きときはその一同の者にて大テーブルを持ち上げおらしむること
右の刑期はすべて5分間以上1時間。
このほかこれに類せしこと多し。なお上長の意見にて新案の刑罰法を行うこともあり。
○その刑の執行一例
前記の一例を、斎藤且力子の報告によりて詳記す。
軍艦内の便所にて「煙草を喫むべからず」との規定はあれども、喫めば云々の刑に処すという法条なし。ゆえにそのとき発見せし上長の意見次第にて、私刑の手段は一定せず。あるときは叱られて済むことあり。あるときは頬を打たるることあり。ある者は火薬の代わりに砂を入れし練習用の弾丸(重量12貫800目=48キロ)を抱えて15分間立たしめられ、ある者は甲板洗俑に水を入れて担ぎ、20分間立たしめらるるなどの刑に処せらる。
このとき、裁判宣告書のごとく「第何分隊、何等水兵、何某、この者便所にて喫煙せしにつき、ただ今処罰中」と書ける札を、胸または肩に掛けらるるなり。同僚これを見て「やア、またヤラレタなア」と嘲笑して通過するもありと言う。
以上のごとき私刑も全廃さるるの期、近かるべし。