やっと私は浅草の厩橋の通りのところまで行った。
 忽(たちま)ち私は群集の一列に並んでいるのを、混雑した停車場などでおりおり見かけるのと同じような状態で一列に並んでいるのを眼にした。橋はわたれるにはわたれても、一人ずつしか通れないらしかった。白地の浴衣と麦稈(みぎわら)帽子と大きな包を負(しょ)った人の姿とが此方からと向うからと往ったり来たりしていた。

 橋の袂(たもと)には銃剣をつけた兵士があたりを警戒して立っていた。

『女の人には、ちょっと無理だ……。わけはないから廻って両国橋をお渡んなさい……。それは此処はえらい橋ですよ。やっと渡るんですからね……』

 そこにいる中年の女にこう言って教えているものなどもあった。否、向うから渡って来た人達も、『ヤ、えらい橋だ……。まるで命がけだ……』などと言ってほっと呼吸(いき)をついていた。次第に橋の危く破壊されているのが、半ば焼けてしまっているのが、とても楽にはわたれないのが私にも飲み込めて来た。

《さアな、どうしような? 危ない橋をわたって、もしものことがあっては大変だ……。いっそ両国橋を廻って行こうか。少しぐらい遠くっても、その方が安全だが——》

 そんな風にも考えて見たが、折角長い間待って、漸くその順番が7人か8人目になっているのに、それを捨ててあらためて両国に廻るのも馬鹿々々しい。

《なアに構うものか。同じ人間がわたっているのだ! 自分にだッてわたれないことがあるものか!》

 こう決心して、私は一人々々その順番の近くなって来るのを待った。

 私の頭にはふと万葉集にあるひとつの歌が思い出されて来た。しかも私はその歌をそのままはっきりと覚えているのではなく、唯その歌の意味を覚えているばかりであったが、何でもそれは、橋が壊れたのなら、その桁(けた)にすがってなりと、妹(いも)のもとに行こう! どうしても行かずにはいられない! という意味であったのを覚えているが——昔、青年時代に友人と恋の話をして、万葉時代の恋は熱烈なものだ、橋の桁をわたってまでも女のもとには行かずに置かないと言っているが、恋もそれまで真剣になったものでなければ本当でないなどと言った覚えがあるが、今は現にそれではないか。今は現に焼けた橋の桁をわたって行くではないか。私は不思議な気がせずにはいられなかった。

 そうこうしている中に次第に私の番が近づいて来た。

 それにしても、何という危険な橋であったろう? 私はいつそうした危険を経験したであろうか。私達は焼け残って幅3尺ばかりの電気管の上を、それもおりおりは壊れてぐらぐらしている上を、大川の水が目眩(まばゆ)くばかりにキラキラと流れている上を、手と足との平均を失ってそこから落ちたが最後、命がなくなるのを覚悟しなければならないようなところを、あるいは細い電線をたよりに、あるいは大きな鉄の橋欄をたよりに、一歩々々辛うじて辿(たど)るようにして渡って行かなければならないのではないか。

 否、そればかりではなかった、場所に由(よ)っては、それをのみ命の綱として鎚(すが)って来た電線が、中途でぽっつり絶えて、弥次郎兵衛か何かのように、取った平均だけで辛うじて渡らなければならないようなところが2、3箇所以上もあったではなかったか。そしてそのあたりには、水に浸った青ぶくれの死屍(しがい)が、4つも5つも落ちた橋の桁に引かかってふわふわと漂っていたではないか。私は橋をわたってほっと呼吸をついた。

 忽(たちま)ち私はそこにすさまじい何とも言われない光景を眼にしたのである。私はあとで話した。

『何しろ、君、川に添って舟が5隻も6隻もあるが、その舟が皆な焼けて、半分以上やけて、その舶のあたりに、手を挙げて救助を求めるような恰好をして、仰向けになって黒く焦げて死んでいる死屍が5つも6つもあったではないか。それを見ただけでも、その時の火のいかに強かったか、いかに絶望的であったかを知ることが出来るよ、君』

『あそこいらはひどかったんだね?』

『何しろ、そういうのが、あの何の岸には無限にあったのだからね。僕が数えただけでも10や15はあったよ。川を渡ると、まるで変って、まるで別な世界にでも来たようなんだからね?』

『被服廠(ひふくしょう)にも行って見たかね?』

『あそこはあそこで、えらいことだがね。とてもお話にも何にもならないがね。大川の岸もひどかったんだよ。厩橋から両国橋の河岸は、死屍で満たされていたと言っても好いからね。何しろ、あの川の岸までは命カラガラ逃げて来ても、川があるのでどうすることも出来なかったんだからね。運好くそこらに繋いであった舟の上に逃げても、その舟までも焼かれてしまったんだからね。あれを見ると、実際、どうすることも出来なかったのがよくわかるよ』

 これが向島あたりのように、堤防の形にでもなっていれば、高くなっていれば、路と水とがいくらでも距離を持っていれば、それで多少なりとも火を避けることが出来たであろうが、両国橋から吾妻橋に至る間のあの水と路との平行線では、とてもどうすることも出来なかったのであった。路から舟へ、舟から水ヘ——それより他に遁(のが)れる方法とてはなかったのであった。

 ある遭難者は話した。

『どうもしようがありませんからね、焼かれても死! 水に入っても死! ということになると、人間はどうしても水に飛び込みますよ。私と一緒にあそこにいる人だッて随分いましたが、100人やそこらではきかないくらいでしたが、それが、あの火が追って来ると、皆な水にドシドシ飛込んでしまったんですからね? あの時のことを思うと、何とも言われませんよ。とてもそれはお話じゃない……。

 しかし私は運が好かったんですな。一時は意識を失ったですから、あれで生き返らなければ、どうなってしまったかわからないんですけれども、運好く私は満潮で岸に寄ったのです。そして気がつくと、私のすぐ眼の前に黒いものがある。それが焼けている。何かと思ったら、それは舟です。伝馬です。伝馬の縁のところが燃えているんです……。それから、それを消して、一生懸命、それにつかまっていましたよ。そうですな。夜の何時頃でしたかな。11時頃じゃないでしょうかな? それから夜明近くまでそこにいましたよ、後には舟の中に入りましたけれどもね——』

 とにかく、水に入ったもので助かったものは、丁度(ちょうど)好い塩梅(あんばい)に、そこに舟があったとか板片があったとか、満潮で呼吸のある中に岸に寄せられたとか言うものでなければならなかった。

『だから、どのくらい死屍が川に沈んでいるかわかりませんよ』
『そうでしょうね』
『それは、被服廠はひどいですけれど、川に添った道、あの道もひどかったですょ。何しろ、あそこには半分焼けた道具と着物と死屍とで一杯だったですから——』

 私にはいろいろなことが思い出されて来た。私はその間の路——両国から吾妻に行く路をよく知っていた。あそこは本所でも、ちょっと静かな、世離れた感じのするところだッた。百本杭あたりからあの安田邸の少し手前にある橋のあたり、あそこいらから見た隅田川の夜の灯は、何とも言えぬ美しいものであった。

 私はそこに立って柳橋の方から来る三味線の音によく耳をすましたものであった。ことに、11時過ぎには、潮が満ちて来るので、水がたぷたぷとして、それに灯が——それも次第に少くなった灯が長く落ちて、水脈が黒く線を成して光っているその上を、櫓の声が静かに柔かに響いて行く……。東京の夜の情調の中でも、ことにすぐれていたところであったのに……。あそこいらにのみ昔の江戸の隅田川の感じが残っていると思っていたのに……。

『そう言えば、此方の病院のあるところから向うにわたる渡しがあったじゃありませんか。あそこをあなたと一緒にわたったことがありますね?』

『そうそう、そんなことがありましたね?』

『あそこいらもすっかり全滅してしまったわけですね。本当だ、あそこいらには、まだ江戸の気分が残っていましたよ。あの渡場だッて、あそこにいる渡守の爺だッて、どうしたって今のものじゃありませんでしたね?』

 こうその時を思い出すというようにしてS君は言った。

『あの両岸の全滅したのはたしかに惜しい。そら、小唄に、「今宵は雨か、月さえも、笠きて出づるおぼろ月夜に、ぬるる覚悟の舟の内、粋にもやいし首尾(しゅび)の松」というのがあるじゃありませんか。あの首尾の松のあたりもすっかり焼けた……』

『本当ですね』

 つづいて私はあそこがまたこうした都会の中にならない時分のことを想像した。『柳橋から小舟をいそがせ……』と言った時分のことを想像した。屋根舟の中には女の色彩のチラチラして、三味線の音が流るるように水に落ちた時分のことを想像した。否、私の想像は更に進んで、ここらあたりがまだひろいひろい武蔵野で、向こうに下総(しもうさ)の府のある高台が一目に見わたされた時分のことを順に描いた。

『自然の身になったらいろいろなものを見たわけだね? しかしいろいろなシインの中でも、今度のようなことは最も惨憺(さんたん)としたものだったろうね』

 私はこう言って遠い過去と未来のことを考えた。
 安田邸内の松の屋文庫の中には、江戸時代の珍本が沢山に蔵されてあったということだが、それもそこらに巴渦(うず)を巻いて微かに残っていた江戸の気分と共に全く焼けて亡(ほろ)びてしまったというではないか。