その時のさまがはっきりと私の眼の前に浮んで来た。
私達は中庭に面した8畳の一室で、昼飯をすまして——少くとも私と私の長男と次男とだけはすまして、何か頻(しき)りに旅行や活動の話をしていた。長男は今年は何処(どこ)にも旅行にやって呉(く)れないのを不平にして、『今年の夏ぐらいつまらない夏はない、早く学校が姶まれば好い』などと言っていた。弟や妹をつかまえて、『四谷館に行こうか?』などと言っていた。そこにゴオという音が南の方から響いて来たのである。
と、いつも地震などそんなにこわがらない長男が、ぐらぐらと来ると同時に、『オッ! 地震』と叫んで、立上るより早く、一目散に戸外に飛び出した。弟も妹も母親もすぐそれにつづいた。私は少時じっとして様子を見ていたが、いつもと違って、非常に大きいらしいのに、慌てて皆なのあとを追って飛び出して行った。
それは何とも言われない光景であった。あたりはしんとした。世界の終りでもなければ容易に見られまいと思われるような寂寞(せきばく)が、沈黙が一時あたりを領した。誰も何も言うものはなかった。声を出すものもなかった。唯、内から人の遁(に)げ出す気勢ばかりがあたりに満ちた。
女達は裏の竹藪の方へと遁げて行ったが、私と長男と次男とは、柿の樹と梅の樹とに身を凭(よ)せたまま、怒濤の中に漂った舟でもあるかのように、自分の家屋のぐらぐらと勤揺するをじっと見詰めた。この時、前の二階屋の瓦(かわら)は凄しい響きを立てて落ちた。
最初の地震が一先(ひとまず)止んだので、私はほっとした。私は家の中を覗いて見た。私は襖(ふすま)が半ば外れかけているのを、壁が到るところ落ちているのを、長押(なげし)の額の3つも4つも落ちているのを、ことに大きな本箱が倒れて、洋書がそこら一面に足の踏みどころもないほどに散ばっているのを見た。床の間の壁が鉈(なた)ででもえぐったように一(ひと)ところぽっかり大きく取れているのを見た。
私は地震の大きかったことを頭にくり返しながら、頻りにあちこちを見ていたが、ふと、また大きな揺り返しがあるかも知れないという気がして、急いで大事なものなどを肌につけ、火鉢のあるところに行って、五徳の中に水をかけた。少しばかりあった火は、チュウと言って消える気勢がした。
これで好いと思った。そして裏の方へと行って、もう大丈夫だから此方(こっち)へ来いと女達に言った。いくら地震だからと言って、竹藪——それも小さい、申訳(もうしわけ)ばかりの竹藪の中に集っているのは、あまりにコンエンショナル(注・コンベンショナル?=型にはまった)で馬鹿々々しいと私は思ったのであった。
女達はそこから出て来た。と、殆と(ほとんど)それと同時に、あの2度目のやつがやって来たのである。女達はまた急いで元の竹藪の方へと遁げた。
この2度目のやつは大きかった。あるいは最初のよりももっと大きかったかも知れないと思われるくらいであった。私はこれはとても駄目かと思った。家屋は潰れると思った。私は家屋がギイギイ言って揺(ゆら)いでいるのをじっと見つめた。家屋を持ったものの心配——その心配が私を襲った。
ガラガラという凄(すさま)しい音がした。これはてっきり隣の二階が潰れたな! と私は突嗟(とっさ)の間にも思った。しかしそれはそうではなかった。それは瓦のすさましく落ち、壁の全く振い落される響であった。
幸いにして被害はそれだけであった。あとにはそれ以上の大きな地震はやって来なかった。しかし、いつまたそういうやつがやって来るかわからないという予想が、誰の心にも夥(おびただ)しい脅威を感ぜしめた。今までのが前駆で、あとからどんなのがやって来るか、あれよりも十数倍大きなものがやって来るか、それは誰にもわからなかった。
皆なは戸外にいろいろなものを持ち出した。安楽椅子も、肱(ひじ)椅子も、机も、卓も何も彼も持ち出した。瓦斯(ガス)はもう来ていなくなったので、七輪を持ち出して、それに火を起して、紫色をした安(やす)薬罐(やかん)をその上にかけた。
さっきのように大きくはなかったけれども、地震は頻りにやって来た。見ていると、車井戸に下っている椶櫚(しゅろ)縄は、絶えず微かな動揺をつづけている。
『ああまた揺れている!』
こう言って私達はじっとそれを見詰めた。
それでも私達は、その莚(むしろ)の上で、茶を飲んだり、葡萄(ぶどう)を食ったりする余裕があったのだ。
否、私達は少し地震が静かになったので、とにかく家の中を片附けようと言って、襖の外れかけだのを元のように直したり、落ちた額を重ねたまま傍に寄せたり、大きな本箱を起して元のように本を入れたり、壁土だらけになった畳を掃除したり、バケツに水を汲んで来て縁側を拭いたりなどしていたが——『このくらいですめば、そう大して大地震というほどのこともない……』などと言っていたが、その間に、東京の市街の方では、あの大きな火災が起り、あの凄しい火の旋風が捲(ま)き上り、何処に行っても全く火で、どうしても遁(のが)れることが出来ずに、敢(あえ)なく焼け死んだものが数万の上にのぼるというような悲惨事が起っていたのであった。
否、更に親は子に別れ、妻は夫に別れて、てんでにその自己の運命にのみ任せなければならないような悲劇が到るところで行われていたのであった。火に焼かれるよりはむしろ水に溺れる方が……と決心して、橋の上からばらばらと飛込むような悲しい光景が到るところに展(ひろ)げられていたのであった。
3時過ぎになって、始めてあの例の凄しい地震雲——白くもくもくと巴渦(うず)を巻いた地震雲が、郊外の木立の中に住んでいる私達の眼にもはっきり映って来たのであった。
『不思議な雲だね? 夕立がやって来そうだね? こうして外に出ているところを土砂降りに降られてはやりきれんね』
まだ何も知らないのんきな私達は、平気でこんなことを言って、椎の木の上に高くもくもくあらわれて来ているその白い不愉快な雲を眺めた。
『父さん、あれは雲じゃないぜ!』
『どれ?』
『あの白いもくもくとしたやつさ?』
『そんなことはないだろう?』
『だって、僕、新宿の停車場のところまで行ったら、下の方は皆な煙だもの……』
『そんなことはないだろう?』
『だって、えらい騒ぎだよ。向うの方は?』
『どう?』
『東京の方はすっかり燃えてるんだッて? 向うから来た人が皆なそう言っていたよ?』
『それで、お前達は何処まで行ったんだえ?』
その日の午后(ごご)の3時頃から、町の様子を見に行って来ると言って、長男と次男とが揃って出かけて行ったが、1時間も経たない中(うち)に、2人はもう帰って来ていたのであった。
『追分まで行ったけども、怖いから帰って来ちゃった……。さっき、大きいのがあったろう?』
『その方が好かったよ。どうしたかと思って、今も、母さんも心配していたんだよ』
『だって、恐ろしいんだもの……。皆な真蒼(まっさお)な、興奮した顔をしているんだもの……。それに、また大きなやつが揺れると大変だからね……』
こう長男の方が言った。
それにしても、それが夕立雲でないとすると、煙? 火事の煙? それにしてはあまりに物凄く、気味わるく、不可思議に私には見えたので、私は何遍となく柿の樹の傍のところに行ってそれを眺めた。注意して見ると、なるほど長男の言うように、薄黒い煙がその下の方から幕のように渦き上っているのを私は眼にした。
『それじゃ、あれは煙かね? 火事の?』
『どうだか、それは僕にもわからないけれども……』
『煙にしちゃ変だね?』
その日は尠(すくな)くとも好い天気であった。朝の中(うち)は、2、3日前からの颱風(たいふう)の名残がまだ残っていて、雨がバラバラと降ったり、風が一しきり樹の梢(こずえ)を鳴らしたりしたが、午後になってからは、カラリと晴れて、そのもくもくした雲を除いては、あとは碧い碧い美しい磨きすました鏡のような空であった。後にはそれに夕日があたって、ところどころ光って、何ともいえない魔の世界を思わせるような光景を呈して来た。
じき近くにいる義兄の家を訪問したのは、その日の薄暮であった。義兄はつとめている丸の内の役所から慌てて遁げて帰ったと言って家に居た。
『役所ですか? もう焼けたでしょう? きっと……。私が帰って来る時分、神田が盛に焼けていましたから……』
こんなことを言って義兄は煙草盆などを出した。私はそこで暫(しば)らく話した。
そのあやしげな白い雲が縁側からはっきりと指されて見えるので、いつとなしに話は其(その)方へと移って行った。
『そうですかね? 煙ですかね? そんなことはないでしょう?』
義兄もこう言って其方の方へと眼をやった。
『どうもそうだろうッて言うんですがね? Sが見て来たんですがね? 下からドシドシ煙が巻き上っているそうです?』
『何しろ、下町はえらい騒ぎらしいですよ。火事が88ケ所から起ったそうですから……』
そこに姪がやって来て、『おじさん、いやな雲ね?』
『本当だね?』
私はこう言ったが、『それで今夜どうするんです? 外へ寝るんですか?』
『家の中でも大丈夫だッて言うんですけどもね、隣で一緒に庭に避難しようなんて言っていますから……』
これは嫂(あによめ)であった。見ると、なるほど垣越しに広い芝草の庭が見えて、そこにそこら近所の人達が集っているのが見えた。矢張(やはり)、戸板や畳を持ち出して来ていた。
義兄の家を出て一町程来た時であった。すれ違った人が、『下町はえらい火事だな?』こう言って慌ただしく走って行った。もう夜になっていた。振返った私は、始めて東から南にかけて、一面に地平線が赤く染められているのを眼にした。私もわくわくした。急いで家に帰って来た。