煙草の文化史





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左手にタバコを持つ芥川龍之介(右は妻の文)


 ヘビースモーカーだった芥川龍之介は、煙草に関するエッセイ、小説を数多く書いています。

《僕はこのカツフエの薔薇色の壁に何か平和に近いものを感じ、一番奥のテエブルの前にやつと楽々と腰をおろした。そこには幸ひ僕の外に二三人の客のあるだけだつた。僕は一杯のココアを啜(すす)り、ふだんのやうに巻煙草をふかし出した。巻煙草の煙は薔薇色の壁へかすかに青い煙を立ちのぼらせて行つた。この優しい色の調和もやはり僕には愉快だつた》(芥川龍之介『歯車』より)

 芥川は、東大生時代から煙草をすぱすぱ吸っていたのは有名な話です。以下、東大時代のエピソード。

《我々の頭の上の壁には、禁煙と云ふ札が貼つてあつた。が、我々は話しながら、ポケツトから敷島を出して吸ひ始めた。勿論我々の外の学生も、平気で煙草をふかしてゐた。すると急にロオレンス先生が、鞄をかかへて、はいつて来た。自分は敷島を一本完全に吸つてしまつて、殻も窓からすてた後だつたから、更に恐れる所なく、ノオトを開いた》(『あの頃の自分の事』)

 ここに出てくる「敷島」は専売局が出していた一番有名な煙草です。もともと民間業者が販売していた煙草は、日露戦争を前に専売になりました。


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専売前のタバコ屋の様子

 

 諸説あるものの、たばこが日本に伝来したのは1605年頃で、慶長(15961615)のころには庶民に普及しました。
 この煙草伝来について芥川はこんな小説を書いています。

《煙草は、誰の手で舶載されたかと云ふと、歴史家なら誰でも、葡萄牙(ポルトガル)人とか、西班牙(スペイン)人とか答へる。が、それは必ずしも唯一の答ではない。その外にまだ、もう一つ、伝説としての答が残つてゐる。それによると、煙草は、悪魔がどこからか持つて来たのださうである。さうして、その悪魔なるものは、天主教の伴天連(ばてれん)か(恐らくは、フランシス上人)がはるばる日本へつれて来たのださうである》(『煙草と悪魔』)

 江戸時代、煙草はキセルで吸いました。細く刻んだタバコを小さく丸めて、キセルの「雁首」に入れて火を付けるのです。23口吸うと燃え尽きるので、火皿からタバコ盆に灰を落とします。その様子は、粋な所作としてさまざまな浮世絵、あるいは歌舞伎に登場しています。


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右下が煙草盆とキセル


 キセルは歩いて吸うことはできないので、かつてタバコを外で吸う文化はほとんどありませんでした。しかし、紙タバコが普及すると、人は外でも喫煙するようになります。歩きタバコの誕生です。

 本サイトでは、こうしたタバコにまつわる文化史を記録していこうと思います。なお、本サイトは探検コムのサブサイトです。

 ※ヘッダーの画像は渡辺馬城の「海」ですが、著作権の消滅日が不明です。著作権継承者の方はご一報ください。