本サイトの目的・2002年版

 アクアラングを発明したフランスのジャック・イヴ・クストーは、生前、こんなことを言っています。

「生物の種が多いところでは生態系(エコ・システム)は強い。南極のように種の数の少ないところでは生態系はもろい。それは文化にもそのまま当てはまる」

 これはつまり、世界の文化の数が減っていけば、それだけ人類の死滅が近づいている、と言うことです。

 この地球上には、かつてさまざまな“異文化”が存在しました。探検の時代、異文化はそのまま脅威で、当然のことながら、征伐の対象でもありました。けれど、今ではどこに行ってもマクドナルドはあるし、どこに行っても電話が通じます。
 多種多様な文化は、いつのまにか「科学が進めば豊かになって幸せになれる」---こんな単純でわかりやすいアメリカ的な文明観に押しつぶされてしまいました。

 文明万歳! 僕たちはずっとこのままで来て、きっとこれからもこのまま行くでしょう。でも、本当にそれで良いのかな? ふとそう思うときがあります。物質生活だけを追いかけて、何か大切な物を忘れていない?なんて。

 もちろんいまさら昔の時代に戻るつもりはないし、文明社会が悪いなんて言うつもりもありません。

 でもね。ちょっとこの文章を読んでください。

《電車に乗っても、街を歩いても、この頃の日本人の顔は、実に情けなくなる。チンパンジーとそっくりの爺だとか、虫みたいな顔をした産業戦士とか、ボラみたいな女房とか、どう見ても戦争に勝つ国の顔でないのが充満している。まさに劣等民族であるという気がしてならないのである》

 これは徳川夢声が敗戦2週間後(昭和20年8月29日)に書いた日記です。これって、今でもそっくりそのまま当てはまると思いません? だとしたら、僕たちが戦後50年間以上かけて築いてきた物は何だったのだろうかと思ってしまうんです。

 2002年最初のコンテンツに「アメリカ博覧会」をもってきたのは、自分たちの原点をもう一度見直してみたいと思ったからです。戦後一貫してアメリカ的な物質生活を目指してきた僕たち。悪いのはアメリカではないんだけど、でも、今、“アメリカ的なもの”に辟易してるのも事実です。

 ある日突然、高層ビルに飛行機が突っ込む。あのシーンは確かに衝撃的だったけど、心のどこかで快哉を叫んだ奴はいない? ビンラディンみたいな反アメリカ勢力に、内心ちょっと頑張れと応援してみたくなったりする自分がいない? 大声では言えないけど、それはきっと正しい心情だと思う。もう僕たちは物質文明の限界に気付いてるわけで、そこから抜け出す新しい可能性を明示してくれたんだから。

 もちろん、ビンラディン自身はアメリカ的な豊かさを満喫してたわけで、そこらへんの矛盾は措いといての話なんだけど。


 20世紀はアメリカ文明がほかの多くの文化を消してきた時代だとすれば、今回の事件はその失われた諸文化の断末魔の叫びだと思います。今後、物質文明の一人勝ちで終わるのか、そのほかの文化の反撃があるのかはわからないけれど、でも、冒頭のクストーの言葉を思い出してみてね。世界が“アメリカ的なもの”だけに覆われたら、きっと地球はそのうち滅亡したっておかしくないんだから。

 こう考えたとき、僕は自分があまりにも無力だなーと感じます。だって、“アメリカ的なもの”に染まりきった自分たちに、もう文明に対抗できる文化はないんだもん。

 世界の果てには、まだ見知らぬ文化があるのかなぁ? それとも日本の過去には未来を開く文化があるのかなぁ? 僕はそんな新しい文化を探しに行きたいと思うのです。本サイトはそのための第一歩なんです。不確かで怪しいけれど。

 最後に寺山修司の絶筆を書いておきましょう。

《子供の頃、ぼくは汽車の口真似が上手かった。僕は世界の涯てが自分自身の夢のなかにしかないことを知っていたのだ》

 現実逃避と言われようが、僕は世界の涯てを追って、夢を見続けたいのです。

 そして、きっとそこには——。(2002年1月3日脱稿)

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