当日午後8時、慶應義塾にやってきた500人ほどの聴衆を前に、塾長らが新世紀の希望などを演説、その後、晩餐会が執り行われた。会場の壁には、
・ナポレオンがワーテルローで敗退した場面
・砂時計が懐中時計に椅子を奪われる場面
・甲冑姿の武士が鎗と槌で黒船に対抗する場面
・日清戦争の三国干渉
・ロシア皇帝の戴冠式
といった19世紀の出来事が風刺的に描いてあった。最後の壁画は、19世紀を象徴する老人が、手に手に木棒(希望)を持った20世紀の子供たちに追われるという風刺画だった。
生徒たちは寸劇を披露した。内容は、19世紀の骸骨が紅顔の子供に冠を譲ろうとするのだが、世界各国が冠を取り合ってしまう。ところが日本の手によって、うまく冠が譲られた、と言うお話。会場内では拍手喝采がしばらく止まなかった。
「食事終わりて後、一同は構内の運動場に出でたるが、場の中央には五カ所に大篝を焼き、周囲には一間毎にカンテラを点じて夜を照らし、その光明昼を欺くばかりなる中に、目を場の南隅に放てば、空中高く三面の画の掲げられたるを見る」
1枚目は、うたた寝中の儒教学者が聖人の夢を見ている場面(停滞した学問?)
2枚目は、苦しむ農民の上に労働者が乗り、さらに商人が乗っかり、一番上に洋服姿でシルクハットをかぶった大名が傲然とひげをさする場面(階級制度)
3枚目は、目尻の下がった紳士が、ほうきやすりこぎで武装する妾たちを訓練する場面(妾を抱える醜態)
30人の学生は、時計が0時を指すや、一斉に絵に火をつけた。すると、こうした19世紀の悪習があっというまに燃え尽き、仕掛け花火で作られた“20センチュリー”が燦然と輝くのだった。
こうしたイベントが終了すると、
「一同は、今更に身の新たなるを覚えつつ、一所に集まりて天皇陛下の万歳を唱え、次に福沢先生、慶應義塾の万歳を三呼して、散会したるはあたかも、世界が二十世紀に入りたる後二十分を経たる時なりしとぞ」
旅順占領(1894)を祝って始まった慶応のカンテラ行列が、現在の提灯行列の元祖だそうです。なかなかハイカラな学生たちですが、やっぱり天皇奉祝というのが、時代を感じさせますね。
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