幻のアジアパークへ!

アジアパーク
インド・タージマハール


 44億円をかけたリゾート施設・アジアパークが熊本県荒尾市にオープンしたのは、1993年7月21日のことでした。

 飲食店などが並ぶ「アジアモール」の隣にあったのは、全長460メートルの水路をボートで遊覧する「アジアクルーズ」。水辺にはタージマハールやアンコールワット、万里の長城から城まで、アジア10カ国の遺跡や建築物のミニチュアが並んでいました。トンネル内では美しい映像が流され、まさにいるだけでアジアが体感できる究極のスポット。それがたった600円(後に400円?)で楽しめるわけで、まさに人気爆発、開業後1カ月ほどで来客10万人を突破したのです。

 ちなみにイメージキャラクターは孔雀の「アピア」、イメージソングは「アジアン・パラダイス」といって、元ゴダイゴのリーダー、タケカワ・ユキヒデが曲をつけたことも、人気の秘密だったのかもしれません。

 そんな素晴らしいアジアパークでしたが、単なるクルーズに何度もリピーターが来るはずもなく、結局、7年後には閉鎖が決定しました。

 というわけで、幻のアジアクルーズの現場です。

アジアパーク アジアパーク
レールの残骸と、謎の門。いかがわしすぎる〜。


 現在、敷地はパチンコ屋になっていて、裏からこっそりまわればこのポイントにたどり着けます。しかし、雑草が生い茂り、歩くだけで、ズボンにちくちくと何かが刺さり、けっこうツライです。
 俺としては、絶対おすすめできないスポットですな。

 ちなみによくよく探せば、まだ残骸建築物があるようですが、そこまでの気力はありませんでした。探したい人は、腐った川に足を踏み入れてくださいませ。



 しかし、考えてみれば、1980年代後半から1990年代前半は、訳わかんないテーマパークが乱立しましたね。これは東京ディズニーランド(1983年4月15日開園)の成功がきっかけとも言えますが、1987年6月に施行された「リゾート法」の影響も多大にありました。

 知ってる? リゾート法。正確には「総合保養地域整備法」といって、「民活」を提唱していた中曽根内閣で制定されたもの。事業税の減免をはじめ、国立公園内の開発や国有林の伐採も許可されるなど、さまざまな優遇措置がありました。

 なにせ時代はバブルですからね、日本中があっという間に開発され、ありとあらゆる田舎にリゾート施設が完成したのでした。

 ちなみにリゾート法第1号指定は宮崎・日南海岸(1988年7月)で、あのシーガイアです。結局、これも経営が立ちゆかなくなって、リップルウッドに買収されたのは、ご存じの通り。

 なお、1988年は竹下内閣で「ふるさと創生」事業が開始された年です。全市町村に1億円が配られ、日本中に温泉やホールが建設されたのも記憶に新しいとこですね。
 
 バブル崩壊前夜。過去を断罪するのは簡単だから安易に言いたくはないんだけど、なんというか、やっぱりどう考えても気が狂った時代でした。

アジアパーク
後方の観覧車は三井グリーンランド
(対比の妙、ということで)

制作:2003年2月23日

 おまけとして、リゾート法の第1条(目的)を掲載しときます。あえて弁護するけど、この法律の理念は間違ってなかったと思います。では、どうしてこんな悲惨な結果になったのか? その原因を突き詰めない限り、きっと日本の惨状は永遠に続くはずです。

《第1条 この法律は、良好な自然条件を有する土地を含む相当規模の地域である等の要件を備えた地域について、国民が余暇等を利用して滞在しつつ行うスポーツ、レクリエーション、教養文化活動、休養、集会等の多様な活動に資するための総合的な機能の整備を民間事業者の能力の活用に重点を置きつつ促進する措置を講ずることにより、ゆとりのある国民生活のための利便の増進並びに当該地域及びその周辺の地域の振興を図り、もつて国民の福祉の向上並びに国土及び国民経済の均衡ある発展に寄与することを目的とする》

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