「オートメーション」の誕生
全自動化の250年史、あるいは「切符販売システム」の成立
小野田セメントのパンチカード共有システム(1957年)
●本の流通システムの誕生
現在、本の背表紙にはバーコードがついています。これはISBN(アイエスビーエヌ)という世界共通の図書管理番号で、日本では1981年から導入されています。
出版物は点数が非常に多いため、在庫管理や流通管理に膨大な手間がかかります。逆に言うと、出版業界は、長らく効率のよい管理システムを模索してきたわけです。
1970年以降、ISBNが登場する前まで、本には書籍コードというシステムが使われていました。これは数字4桁-6桁-4桁(xxxx-xxxxxx-xxxx)の形式です。また、雑誌には同じく5桁の雑誌コードが使われています。
本にしろ雑誌にしろ、業務用コンピューターの普及が、管理の効率化をもたらしたのです。
でだ。
ほとんど知られていませんが、実は、雑誌の管理は1955年からスタートしました。それが「IBMナンバー」と呼ばれる4桁の番号で、東京出版販売(トーハン)が開始したものです。
たとえば『科学朝日』という雑誌には2319というナンバーが振られました。これをマークシートのカードに書き込むことで、伝票処理が飛躍的に発展しました。
人間が行っていた計算を機械に代行させた点で、この出版流通の革新は、ごく最初期の「オートメーション」の実現でした。
そんなわけで、まず日本初の雑誌流通システムを見に行くよ!
「パンチカード」に冊数を鉛筆書き
「集団複写穿孔機」で読み取り「冊数カード」を作成、「分類機」で雑誌ごとに仕分け
別に作られた「単価カード」と合わせ、「単価計算穿孔機」で総額計算
「総額カード」を書店ごとに仕分け、「照合機」で確認
「会計機」で書店ごとの雑誌販売数をプリントアウト
オートメーションは「オートマチック」と「オペレーション」を合わせた造語で、「自動化」と訳されます。広い意味を持ってますが、ここでは人間の仕事を「大量に」「正確に」機械に代行させることだと定義しておきます。
じゃ、いったいいつオートメーションが誕生したのか?
調べてみると、18世紀に機械的な自動制御が誕生し、19世紀に自動計算機が誕生し、20世紀に両者が融合して生まれたことがわかりました。
●18世紀、自動制御の誕生
福島原発の事故で「冷却水」という言葉が広く知られるようになりましたが、火力発電や原発では、高温の発電機やタービンを水で冷却しています。水を高熱の物質に引っかけると水蒸気が発生するので、この蒸気を、復水器という機械に通すことで再び水に戻しています。
実はこの発明こそ、産業革命の始まりなんですな。
ワットの実験室
どういうことかというと、蒸気機関を発明したのはジェームズ・ワットですが、これ以前から蒸気を機械に利用する仕組みは考案されていました。
しかし、ワットが復水器を発明したことで、シリンダーが常に高温に保たれることになり、実用に耐えうるほど効率が高まったのです。これが1769年で、続いてこの機関から歯車を使って回転運動を得たのが1781年。さらに、回転運動を一定にするため、1788年に遠心調速機を発明しました。
安定した回転運動、これが産業革命をもたらしたのです。そして、この遠心調速機こそ、世界初の「自動制御」とされています。
その後、規格化された機器や計測システムが登場し、工場は次々と巨大化していきます。規模の拡大は、次第に人間の手に余るようになりますが、そこで役立ったのがコンピューター、つまり自動計算機でした。
●19世紀、自動計算機の誕生
自動計算機の誕生は1890年頃です。
1880年、アメリカの人口は5000万人を超えており、このときの国勢調査で人口を集計するのに8年ほどかかりました。人口は拡大の一途をたどっており、10年後の国勢調査では集計が間に合わないのではないかと危惧されていました。
この状況を解決したのがハーマン・ホレリスでした。ホレリスはパンチカードを発明し、カードの所定の位置に穴を開けることで、それを機械的にソートできることを示しました。
こうして、1890年の国勢調査は、1年ほどで集計できたのです。
1890年の国勢調査で使われた世界初のパンチカード
ホレリスは、1896年、タビュレーティングマシン社を設立し、世界各国に集計機械を販売しました。その後、企業合併を経て、1924年、社名がIBMに変わりました。IBMはパンチカードによる自動計算で発展を遂げたのです。
そのIBMのパンチカードシステムが1955年、日本の東京出版販売に導入されたのです。
●20世紀、プログラミングの誕生
さて、パンチカードはデータ処理システムであり、この段階では、まだプログラミングとまでは言えません。では、プログラミング可能な機械はいつ誕生するのか?
19世紀初頭、イギリスの数学者チャールズ・バベッジが世界で初めて「プログラム可能」な計算機を考案しますが、この機械は未完成のまま終わりました。
実際に登場した最初の機械は、1941年にドイツで発明された「Zuse Z3」という継電器(リレー)式の計算機で、プログラムを記録したテープでデータ処理しました。
一方、アメリカでは1946年に真空管式の計算機ENIAC(エニアック)が登場。これはスイッチの切り替えでプログラミングするもので、アメリカ陸軍が主導し、大砲の弾道を計算するために造られたものです。
かつて世界初のコンピュータと言われたENIAC
その後、ENIACの技術者が作った会社をもとに、レミントンランド社が商用コンピューター部門としたのがユニバックです。
1951年、アメリカ統計局の支援で、世界最初の商用コンピュータUNIVACが誕生し、翌年の大統領選挙の開票予測に使われました。
結局、パンチカード式のIBMと、テープ式のUNIVACがライバルとなって計算機市場を拡大させていきます。
UNIVAC120という初号機は日本に2台輸入され、野村證券と東証に導入されました。その後、日興證券、東北電力、東京ガスなども次々と導入していきます。
左:UNIVAC120の中枢。真空管5400本で11桁の足し算を毎秒4000回可能
右:UNIVAC120のメモリ。超音波水銀遅延回路で、144万桁を同時に記憶可能
もちろん、IBMとUNIVAC以外にも多くのコンピューターメーカーがあり、世界中でオートメーション化が進んでいくのです。
なお、冒頭の写真は、IBMの計算機を導入した小野田セメントの、本社と工場を結ぶパンチカードのデータ共有システムです。
●20世紀、オートメーションの誕生(1)貨物の編成
さて、その「オートメーション」という言葉が誕生したのは1948年、フォードがエンジン加工の自動化の研究に対して名付けたとされています。
日本で「オートメーション」という言葉が話題になるのは1955年ごろでした。当時は「原子力」と並んで、メディアを騒がす最先端の用語でした。
当時のマスコミはオートメーションを「人間無用」などという言葉に当てはめ、人々の不安をあおり立てましたが、現実にはあっという間に企業に普及していきました。
具体的に「オートメーション」の内容を鉄道の2つの例で見てみます。まず1つめは貨物列車の編成作業で、もう1つは旅客の座席予約システムです。
荷物を積んだばかりの貨物列車は、最初は長く連結されていますが、どんどん行先別に再編成していく必要があります。そのため、操車場がいたるところに建造されたのですが、特に大きな操車場には作業の効率化のため、ハンプという人工の坂を造りました。この坂の上から次々に貨車を流し、途中にあるリターダーというレール上のブレーキでスピードを調整し、行き先別の線路に振り分けるのです。
大宮駅のハンプ。全部で3条の線路が並び、1日4000両の処理が可能
ところが、これは非常に難しく、熟練を要する作業でした。貨車が前の貨車に急激にぶつからないよう、人間が目視しながらリターダーをかけるのですが、調節は難しく、場合によっては人間が貨車に飛び乗ってブレーキをかけることもしばしばでした。
この危険な作業を最初にオートメーション化したのはアメリカのユニオン・パシフィック鉄道でした。単純に言えば、目標とすべきスピードを自動で算出し、実際に計測したスピードとの差をゼロに近くなるまでリターダーを調節するのです。同時に、行き先に従ってポイントを自動的に切り換えたことで、完全に機械化に成功したのです。
●20世紀、オートメーションの誕生(2)座席予約システム
では、チケットの予約はどうやって実現したのか?
1つの電車の座席数を100とし、駅が5個あった場合、最初のデータは下のようになっています。
区間 1……2……3……4……5
席数 100 100 100 100
ある人が2から4までの切符を買うと、
区間 1……2……3……4……5
席数 100 99 99
100
となるわけです。この数字が0になった区間は切符を販売しないということです。
スゴイざっくり言うと、コンピュータ制御って、現在の数字から引き算(足し算)して、目標値になったら終わりという考えなんです。式で言うと、a<b a=b a>b だけですべて判断してるんです。
というわけで、国鉄初のチケット販売システム「マルス」の導入時の写真です。1960年開始ですが、試作機だったため、当初は「第1こだま」「第2こだま」「つばめ」「はと」の4列車で15日先の予約しか対応できませんでした。しかも、切符として印刷できず、データを係員が切符に書き写して発券していました。
主要駅に設置されたA型予約装置。空席は左の円形モニターに輝点として表示
中央処理装置。左下が5万4000席のデータを記憶する25万ビットの磁気ドラム。中央下にHitachiと記載
●21世紀、全知全能の神が誕生?
前述したとおり、コンピューター制御の基本は足し算と引き算です。
でも、現在の数値が目標値になったら終わりというのはめちゃくちゃ単純。エアコンの制御でいうと、現在18度で目標20度ならヒーターをオンにしろ、21度ならヒーターをオフにしろ、ということで、これをオンオフ制御といいます。しかし、これだと微妙な制御ができないため、その後、PID制御という比例、積分、微分による制御が主流になりました。
「オートメーション」の理論的なバックボーンは、1948年、ノーバート・ウィナーが発表した「サイバネティクス」だと思います。要はさまざまな理論をもとに、目標値と現在の数値の相違を埋めていく研究です。現在の達成値を、再度、同じ式に組み込む「フィードバック」が基本。
ちなみに「フィードバック」の反対語は「フィードフォワード」です。フィードバックが過去にデータを戻すのに対し、フィードフォワードは未来にデータを送り込む。要はデータの乱れをあらかじめ予測して制御するわけです。これを人間に当てはめると「何でもお見通しマン」ということになりますな。さらに「知らないことまでよく知っている」という次元になると。
このあたりから、SFに出てくる人工知能、全知全能の神、マザーコンピューターとかに話は飛ぶんですが、それはまた別な機会に。
でもまぁ、頭で考えた理論って、すごいっすね(笑)。
制作:2011年7月17日
<おまけ>
UNIVACを作ったレミントンランドは太平洋戦争中、アメリカ陸軍で使われた拳銃を製造していました。戦後の1952年には、GHQ最高司令官だったダグラス・マッカーサーを会長として迎えています。アメリカは今も昔も軍需産業が強いんですね。
その後、レミントンランドは合併され、現在はユニシスとなっています。