ブータンに行ってみた

ブータン
おみやげ屋の女の子


 かつて日本には、若い男女が祭の晩に集まり、お互いに掛け合いで歌を歌ったりして結婚相手を見つける風習がありました。これを「歌垣」(うたがき・かがい)といい、かなり性的に解放されたイベントだったと言われています。
 文献でいうと、最も有名なのがこちら。

《平群(へぐりの)臣の祖、名は志毘臣(しびのおみ)、歌垣に立ちて、其の袁祁(おけの)命の婚(め)さむとしたまふ美人(をとめ)の手を取りき》(『古事記』)

 さて、いかにも日本独自に見える歌垣ですが、これは西日本から揚子江をへて東南アジア北部の山あい、そしてヒマラヤ山麓まで続く広域文化でした。この地域には広葉樹が生えていて、まとめて「照葉樹林文化圏」と呼ばれています。
 この文化の共通点は、米やソバを食べ、納豆や漬け物を作り、醤油(魚醤)を使い、お茶を飲み、さらに漆器を用いることでした。また、麹(こうじ)を利用した酒も共通点です。

 何が言いたいのかというと、照葉樹林文化の端にある日本とブータンは、2500キロほど離れていますが、完全に同じ文化だということです。

ブータン空港
これが空港


 よく知られているように、この国には「国民総幸福量」(GNH)と呼ばれるものがあり、「国民の97%が幸せである」という調査が出ています。
 信じられないことですが、この国では1999年までテレビ放送がありませんでした。 
 1995年頃にオレがこの国に行ったとき、国民の娯楽は映画しかなかったのです。それも首都ティンプーにおそらく1軒だけ。

ブータンのティンプー
ティンプー全景


 当時、ブータンは国土のほとんどが全く開発されておらず、自然のまま残っていました。
 車は政府用と観光客向けにごく限られた台数があるだけで、あまりに少ないため、信号さえありませんでした。実はオレが乗った行きの飛行機でパソコンで作られた英字新聞が配布されたんですが、そこに「ブータン初の信号が設置された」という記事が載っていて非常に驚きました。
 で、何日か滞在し、帰国便でも新聞が配られたんですが、そこに「やっぱりブータンに信号は要りません」と書かれていて、心の底から驚いた記憶があります。ネット上の旅行記を見る限り、今も信号はないようです。

ブータン ブータン
自動車はあっても信号はなし。右は典型的な商店


 しかし、国民に娯楽がないと、することは夜の楽しみだけということになります。
 最近は少ないものの、ブータンは一夫多妻が認められており、逆に離婚もきわめて多い国です。これまた信じられないことに、ブータンには家の玄関口に男根が飾られており、魔除けとして強い信仰を集めています。

ブータン ブータン
右みたいに巨大イラストの方が多いようです


 やー、これだと、やっぱり性についてはおおらかになるでしょうね。

ブータン
一般家庭の寝室


 前述の通り、ブータンには「歌垣」という風習がありましたが、ほかにも「擬装の誘拐婚」や「夜這い」「妻問婚」などが普通にありました。
 当然、性病はそれなりに蔓延し、英国東インド会社のサミュエル・ターナーの旅行記には、ブータンでは梅毒の治療に水銀を使っていると書かれています。
 2009年までにブータンでHIV感染した人は185名だそうですが、実際には500人以上の感染が見積もられています。

ブータン ブータン
街中に啓蒙看板が

 
 さて、以下、見所をいくつか。

ブータン寺院
「王家の谷」トンサ・ゾン(寺院)。ブータン王は即位前に必ずトンサの知事に就く


ブータン
「宝石の山城」という名前のパロ・ゾン


 ところで、2011年11月、新婚のブータン国王夫妻が国賓として来日し、東日本大震災の被災地など日本各地を精力的に訪問してくれました。
 福島県相馬市の小学校で国王が語った言葉は、とても心打つものだったので、ここに公開しておきます。

《ブータンの国旗には「龍」が書かれています。龍が存在すると思う人は手をあげてください。ありがとう。じゃあ、龍の存在を信じない人は? ありがとう。私は見たことがあります。本当です。王妃も見たことがありますよね? 王妃もハイと言っています。ここで問題になるのは、龍は何を食べて生きているのか、ということです。龍は何を食べていると思いますか? 
 実は龍は、自分の体験の上に存在するのです。私たち一人一人の中に龍がいます。ブータンの子供たちには、自分の龍を養いなさい、管理しなさいと言っています。私たちの中に人格という龍が住んでいる。年をとって経験を積むと、その龍も大きく強くなっていく。大切なことは、自分の感情や湧きあがる思いをコントロールすることです》(11月18日、相馬市立桜丘小学校)


 ブータンからは100万ドル(約8000万円)の義援金も送られています。日本人は、今こそこの国に見習わないといけませんな。


ブータン寺院

ブータン
ブータン随一の聖地・タクツァン僧院(焼失前。1998年に焼失し、2004年に再建)


制作:2011年11月23日


<おまけ>
 オレは旅行中、偶然にも前国王の車列に遭遇しましたが、警備がすごくてビックリした記憶があります。当時、ブータンでは小規模な民族紛争が起きていて、警戒も厳重だったんですね。この国はイギリスと戦争したこともあり、意外に好戦的な面もあるようです。
 南方熊楠によれば、日清戦争のとき、ブータンから清に義勇兵が参上したそうですよ。

《近年日清戦争起こると聞いて、ブータン(インドの北にある小邦。これは康煕帝に征服されたことあり)の土民が四、五輩、義兵のつもりでわざわざ数月難苦して積雪中をふんで北京に赴き、支那の官憲大いにありがた迷惑を感じて、一日に五十銭とかを給してこれを礼遇しおったと聞く。これ支那という国は弱まっても、その名号がまだ盛んに世界に残りおる証拠なり》(『南方熊楠文集1』所収「履歴書」)

 もしかしたら日本人がブータン人と戦っていたかもしれませんね。
       
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