ガール時代
市バスに「バス・ガール」登場

東京市営バスに登場した女車掌
関東大震災で壊滅した東京に初めて市バスが走ったのは、1924年(大正13年)1月18日でした。ルートは東京駅〜巣鴨、東京駅〜中渋谷の2系統。バスはT型フォードの11人乗りでしたが、おんぼろバスで、乗り心地はイマイチ。当時、円太郎という落語家が揶揄したため、この市バスを「円太郎」と呼ぶことになりました。
この年12月20日には「赤襟嬢」という名の女性車掌(つまりバスガール)も登場しました。服装は紺に真紅の襟でとってもハイカラでしたが、まだまだ職業婦人には社会の目が厳しく、希望者は少なかったみたいです。第1回は定員170人のところ69人のみ採用。第2回、第3回はともに定員120人のところ、大幅な定員割れ。あまりの不人気に、市も困惑したようです。
今で言う“不良娘”の祖先「モダンガール」(モガ)が登場するのは、あと数年先でした。まもなくバスガイドの人気は非常に高まっていき、ついには希望者が殺到となるのですが。
ちなみに、日本初のバスガールは1920年(大正9年)2月2日、東京市街自動車の乗合バスに登場しています。黒のツーピースに白の襟と、これまたハイカラな格好で、しかも初任給は超破格の35円でした。当初の採用はわずか37人でした。
さて、徐々に女性の社会進出が進むなかで、「●●ガール」と呼ばれる職業が人気を博し始めます。これが世に言う「ガール時代」で、たとえばこんな感じ。
・ハロー・ガール(電話交換手)
・マニキュア・ガール(理髪店で爪の掃除)
・ガソリン・ガール(ガソリン販売)
・マネキン・ガール(モデル兼売り子)
このほか、ステッキガール、麻雀ガール、レビューガール、円タクガールなどなど、なんでもあり。ちなみに汽船に乗って案内する娘はマリン・ガールです。

東京湾汽船のマリンガール
そして、最後に出てきたあこがれの職業が、1931年の「エアー・ガール」、つまりスッチーなのでした。
制作:2004年2月10日
広告