計算機とスパコンの誕生

真空管式計算機FUJIC
真空管式計算機FUJIC(1956年、国立科学博物館)


 2020年、試行運用中のスパコン「富岳」が、性能ランキング「TOP500」で世界一になりました。
 単純な計算速度で、1秒間に41.5京回(京は1兆の1万倍)計算でき、2位のスパコンに2.8倍の差をつけました。
「富岳」は、神戸の理化学研究所計算科学研究センターに設置されています。センターの最寄り駅は「京コンピュータ前」駅ですが、その名のとおり、かつてここにはスパコン「京」があり、「富岳」はその後釜です。

「京」は2011年にトップを取っていますが、スピードは「富岳」の40分の1ほどです。スパコンの世界では、わずか8年半で、これほどの技術革新が起きるのです。
 そんなわけで、今回は、計算機とスパコンの誕生をまとめます。

スパコン「京」(計算科学研究センター)
「京」(計算科学研究センター)


 1901年(明治34年)年2月、1人の若者が福岡日日新聞社(現在の西日本新聞社)にやってきて、主筆の高橋光威に会いたいと言ってきました。高橋は、後に国会議員となりますが、当時、アメリカやイギリスで先端技術を視察するような開明的な人物として知られていました。

 しばらく待たされた後、高橋と面会した若者は、自分が発明したという「自働算盤(そろばん)」を見せ、これを売り出したいと言い出します。若者は、販売して儲けたお金で「空中飛行器」つまり飛行機を開発したいと話しました。

 このとき、まだ世の中に飛行機は存在していません(ライト兄弟の有人動力飛行は1903年)。
 高橋は「空中飛行器」の軍事利用の可能性を考え、この若者を小倉(北九州市)にある第十二師団軍医部長・森林太郎に紹介することにします。この人物こそ、作家の森鴎外です。

自働算盤の特許公報
自働算盤の特許公報


 若者が森鴎外に会ったのは雪の降る2月22日のことです。鴎外の『小倉日記』には、こう書かれています。

《22日 雪 当国築上郡岩屋村の矢頭良一というもの来訪す。自ら製する所の自働算盤を出して示し、「羽族飛行の理を窮(きわ)めて一書を作り、将(まさ)に人類蜚行(ひこう)の機械を製せんとす。ただ資力の乏しきを憾(うら)むのみ」と》

 この研究に興味を示した鴎外は、東京帝国大学理科大学の教授を紹介し、矢頭は研究室で飛行原理の研究に没頭します。残念ながら、試作機の運転を前にした1908年、矢頭は30歳で世を去り、飛行機が完成することはありませんでした。

 しかし、1903年に矢頭が特許を取って販売した自働算盤は、1台250円という高価格にもかかわらず、陸軍省、内務省、日本鉄道などに約200台が売れました。自働算盤は、日本初の国産機械式計算機であり、2008年に「機械遺産」に認定されています。

自働算盤
自働算盤(『地方経営小鑑』1911年)


 機械式の計算機は、いつ誕生したのか。
 世界で最初に自動計算機を作ったのは、テュービンゲン大学のヘブライ語の教授だったヴィルヘルム・シッカートで、1623年ごろです。これは、掛け算を足し算だけで済ますことができる「ネイピアの骨」と呼ばれる道具を再現したもので、実物は焼失していますが、1960年にレプリカが作られました。

シッカートのイメージ図
シッカート計算機のイメージ図(ウィキペディアより)


 続いて有名なのが、フランスの哲学者パスカルの計算機です。
 パスカルの父は税務署の職員で、いつも計算に苦労する日々を送っていました。それを見たパスカルは、なんとか楽にしてあげようと、計算機の開発に乗り出すのです。
 
 父の計算の苦労というのは、どういうことか。それを説明するために、東京理科大の近代科学資料館にある、ひとつの計算機を紹介します。数多くの計算機が展示されているなかに、イギリスのカルキュレーター社が1900年に製造した「ダイヤル入力式貨幣計算機」があります。鉄筆でダイヤルを回して金額を出すのですが、そのダイヤルの大きさがなぜか異なってるのです。

ダイヤル入力式貨幣計算機
ダイヤル入力式貨幣計算機(近代科学資料館)


 通常、通貨は10進法が採用されています。1円が10枚集まれば10円、100円が10枚集まれば1000円ということです。しかし、かつてのヨーロッパでは、もっと複雑な仕組みが採用されていました。
 
 たとえばイギリスには、ポンド、シリング、ペンスという単位がありました。
 1ペンスは12になると1シリングになり(12進法)、1シリングは20になると1ポンドになりました(20進法)。そして、1ポンドは10になると桁が上がる10進法となっていました。イギリスでは買い物のときの計算が非常に不便だったわけで、これを解消するのが、「ダイヤル入力式貨幣計算機」でした。

 桁の繰り上がりが10、12、20だったため、ダイヤルの大きさも異なっているのです。

 同じように、かつてフランスには、リーヴル、スー、ドゥニエという単位があり、240ドゥニエ=20スー=1リーヴルとなっていました。実際にはスー、ドゥニエは計算上の単位で、ほぼ10進数でしたが、正確な計算が必要な人にとっては大変な苦労がともないました。

 1642年に作られたパスカルの計算機「パスカリーヌ」は歯車式で、自動桁上り構造が備わっていました。
 足し算、たとえば123+48の場合、ホイールに123を表示させ、まず4(10の位)を回転させると163になります。次に8(1の位)を回すと、自動桁上り構造が動き、171が表示されます。

 この計算機のホイールは一方向にしか動きません。では、引き算はどうするのか? 
 実は、10進数の引き算には「9の補数」が採用されています。円形のホイールには、下部に常に「合計9となる数字(補数)」が書かれているのです。
 1の下部には8、2の下部には7、3の下部には6……ということです。

 151から13を引く場合、まず151の補数を見ると(9-1)(9-5)(9-1)で848です。この848に13を足すと861。この補数を取ると、(9-8)(9-6)(9-1)で138となり、見事正解が出ました。
 これは斬新な仕組みで、後の計算機に大きな影響を与えています。

 実は、世界的に見ても、10進数が当たり前というわけではありません。
 中国で生まれたそろばんは、最古のイラストが1371年に刊行された『魁本対相四言雑字』に残されています。

魁本対相四言雑字
『魁本対相四言雑字』(国会図書館)


 下は算木と呼ばれるもので、棒の数と形によって計算する道具です。
 上が最古のそろばんの絵ですが、よく見ると上段に珠が2つ、下段に5つあります。上段の珠は「5」、下段の珠は「1」なので、一列に15まで表示できることになります。当時の目方の単位は「斤」ですが、1斤=16両という16進法だったため、この形が役立ったと言われています。

 そろばんは、日本では、上段に珠1つ、下段4つのものが普及します。一列に9まで表示できることから、10進法なのは間違いないですが、上段が2で、下段が5で繰り上がることから「2-5進法」ともいいます。矢頭良一が発明した「自働算盤」は、実はこの2-5進法を機械式にしたものでした。

 機械式の計算機は、ヨーロッパで進化しますが、特に有名なのが、スウェーデン人のオドナーが開発したオドナー型計算機です。その技術をドイツ企業が「ブルンスヴィガー」という名称で大量販売しました。

 日本では、1923年に大本寅治郎が国産計算機を発売。オドナー式に似た「虎印計算器」で、後のタイガー計算器です。この計算機が、戦中から戦後の日本経済の発展を下支えしました。

大正時代のタイガー計算器
大正時代のタイガー計算器(「日本を変えた千の技術博」)


 機械式計算機は、1960年代に登場した電子式卓上計算機(電卓)にその座を追いやられることになります。

 電子式計算機というのは、簡単に言えば、電気のON/OFFの2進法で動きます。
 最初期のものは「リレー式(継電器式)スイッチ」で、それが真空管、IC(集積回路)、LSI(大規模集積回路)、トランジスタ(電気をコントロールする半導体)へと段階的に進化していきます。1971年には世界で初めてマイクロプロセッサー「Intel i4004」が発明されました。

世界初のトランジスタ
1947年12月23日に発明された世界初のトランジスタ(近代科学資料館)


継電器式計算機FACOM100
継電器式計算機FACOM100の広告(『科学朝日』1955年4月号)


世界初のマイクロプロセッサー
「Intel i4004」(国立科学博物館)


 日本では、真空管からトランジスタへ移行する時期に、独創的な「パラメトロン」が開発されました。1954年に後藤英一が発明したもので、磁気(フェライト)による論理演算が可能で、計算機に向いていました。当時は、パラメトロン式とトランジスタ式が並行して開発されましたが、最終的にはトランジスタが世界を制覇します。

パラメトロン素子ユニット「パラミスタ」
パラメトロン素子ユニット「パラミスタ」(TDK歴史みらい館)


 コンピューターの進化は止まることなく、ついにスーパーコンピュータの時代が到来します。
 一般的には世界初のスパコンは「Cray-1(クレイワン)」とされ、1976年にロスアラモス国立研究所に1号機が納入されました。

 ざっくりいうと、スパコンには「ベクトル型」と「スカラー型」があります。

 ベクトル型は、多くのデータをまとめて計算するので、大規模な計算に向きます。スカラー型は、データを細かく分けて逐次的に処理する仕組みです。

 Cray-1はベクトル型で、1977年、富士通が「FACOM 230-75 APU」という日本初のベクトル計算機を完成させています。

 2002年と2003年には、NECの「地球シミュレータ」がスパコンで世界一となりました。毎秒約36兆回、足し算では毎秒40兆回の計算が可能です。地球上の大気や海洋の動きを再現することができ、台風や黒潮を正確にシミュレーションできるようになりました。

地球シミュレータ
地球シミュレータ(海洋研究開発機構)


 現在、世界のスパコンは、スカラー型が主流になっています。圧倒的に価格が安いからで、これが新興国がスパコンに参入できる最大の要因です。

 さらに、消費電力が大きくなりすぎたことから、省エネ性能も重視されるようになりました。
 この省エネランキングを「グリーン500」といいますが、2013年、2014年に世界第1位を獲得したのが、東工大の「TSUBAME」です。

スパコンTSUBAME2.0
TSUBAME2.0


 世界的にスカラー型が一般的になるなか、約1100億円を投じた国家プロジェクトが「京」でした。理研と富士通が共同開発し、1秒間に1京(1000兆の10倍)回を超える計算速度を達成しました。これにより、流体計算、ナノテクノロジーを用いた新素材開発などが進むとされましたが、商業的には失敗。そこで、汎用性を高めたのが「富岳」だったのです。

 コンピュータは、「半導体の集積率は18カ月で2倍になる」というムーアの法則に則って進化してきました。すでに集積回路の微細化には限界が見えていますが、今後はDNAやカーボン・ナノチューブなどナノ物質を使った「分子デバイス」の進化が見込まれています。また、かつて敗北を喫したパラメトロンが量子コンピュータで復活する可能性も指摘されています。

 計算機の進化は決して止まることがないのです。

スパコン富岳
スパコン富岳

制作:2020年7月8日


<おまけ>

「自働算盤」を開発した矢頭良一は、いったいどのような飛行機を造ろうとしたのか。
 1907年(明治40年)9月11日の福岡日日新聞には「空中飛行機工事着手」という記事が掲載されています。その記事によると、飛行機本体は長さ16m/幅4.2mで、そこに長さ6m/幅2.4mの翼を左右につけるものでした。1分間に3万回転するガスタービンでプロペラを回し、時速600kmほどで飛行する計画だったようです。
 矢頭は病のため早世しますが、臨終の言葉は「あと10日あれば夢を実現できたのに」だったと伝えられています。
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