100年前の「コレラ防止」マニュアル
ノロウィルスにも効果あるかも?
コレラ(虎列剌)防止に竹矢来
仙台の「水の森市民センター」近くに「叢塚」(くさむらづか)と呼ばれる石碑があります。
一見、何の変哲もないただの石ですが、これは明治15年夏に大流行したコレラで死んだ人達を焼いた場所なのです。火葬した死体は276体ありました。
コレラ(虎列剌)の死体を焼いた叢塚
日本では、1822年(文政5年)、初のコレラ大流行が起きました。
以来、1858年(安政5年)、1862年(文久2年)、1879年(明治12年)、1886年(明治19年)……と何度となく大流行が続きます。
コレラは、感染すると、ひどい下痢から、脱水症状になって死亡します。漢字では「虎列剌」と書きますが、あっけなくコロリと死んでしまうことから「コロリ」とも呼ばれました。あまりの劇症から広島では「横病」、大分では「鉄砲」、対馬では「見急」などとも呼ばれています。
空気感染はなく、生ものや水による経口感染のみです。最大の感染源は患者の排泄物。とにかく、菌に触れないことが最重要だったので、かつてコレラ予防のパンフやイラスト図解など多くの啓発物が流通しました。
そこで、1914年(昭和3年)、内務省衛生局の資料をまとめた「肺結核及消化器性伝染病 蔓延系統図」から、感染図解を公開しておきます。
コレラの死体を焼いた「焼場供養塔」
上下水道の完備された今、日本でコレラはほとんど発症例がありませんが、まったく別のノロウィルスが流行っています。ノロウィルスは1968年、アメリカで菌が初検出されましたが、当然、それ以前から流行はあったはずです。症状は激しい下痢と嘔吐で、空気感染しますが、感染源はコレラと似ています。
以下のコレラ対策は、当然、ノロ対策にも通じますね。
●家庭内伝染
調理や食事の前にはよく手を洗いなさい。特に看護の後には注意のこと
《此(この)図は家庭内伝染の系路(けいろ)を示したるものにして、患者は病床に呻吟(しんぎん)し、絶えず病毒を排出し、不知不識(しらずしらず)の間に其(その)手足、寝具及び食器等を汚染し、又看護者も手足及び衣服等にも病毒を附著(ふちゃく)し、之(こ)れを十分洗滌せずして食物の調理を為(な)したる為(た)め、水甕(みずがめ)、庖丁、俎板(まないた)を汚し、延(ひい)て食物にも病毒混入し、家族全体、病毒の侵襲を受けんとする所なり。
患者の使用したる食器類は必ず家族の分と区別し、使用後は熱湯を灌(そそ)ぎ、衣類寝具の如きは消毒を為すか又は十分日光に曝(さら)し、且(か)つ看護者は成るべく炊事に従事せざることを要す。
然(しか)らざれば患者に触接(しょくせつ)したる毎(ごと)に手足を消毒するか又は石鹸にて能(よ)く洗ふべし》
●井泉(せいせん)に因(よ)る伝染
井戸端の洗濯や、つるべから井戸に病毒が入ります
《此図は共同井戸に病毒滲入(しんにゅう)し、共同者全体、其(その)惨害を蒙(こう)むるの状(じょう)を示したるものなり。
即ち病毒に汚染したる手にて釣瓶縄(つるべなわ)を扱ひ、或(あるい)は井戸端にて病毒附著の衣服を洗濯するが為(た)め、病毒は忽(たちま)ち井戸附近に散蔓(さんまん)し、或は流し板の間隙より再び井水(いみず)中に滲入し、延(ひい)て惨害を共用者全般の家庭に及ばすに至る。
井戸には喞筒(ポンプ)を装置し、其(その)周囲及下水は「セメント」又は「コンクリート」となし、尚、井戸端にて洗濯するを禁ずるは最も必要なりとす。水道は此如(かくのごと)き危険なし》
●水流に因る伝染
川や港内が黴菌で汚染されることがあります
《此図は、患者に用ひたる便器及び襁褓(おしめ)類を川流(ながれかわ)にて洗滌したるが為め、病毒は忽(たちま)ち水中に瀰蔓(びまん)し、下流の者に病毒を伝播する状(ありさま)なり。
即ち傾便器より流失したる病毒は、直ちに水泳者を襲ひ、漁獲したる魚族(ぎょぞく)に及ぼし、尚、野菜及船乗の食器を汚染する所なり。
川水にて汚水を洗ひ、又は投棄するときは、怖るべき害毒を衆人に及ぼすべきが故に、絶対に之(これ)を禁じ、且(か)つ博染病の流行時に当(あた)りては必ず流水の使用を戒むることを要す》
●昆虫に因(よ)る伝染
蠅は病毒をまき散らす悪魔なので、取り尽くさないといけません
《此図は蠅が便器並に糞池(ふんち)の病毒を嘴(くちばし)及び足に附著(ふちゃく)して搬出し飯櫃(めしびつ)、食物及び食器に塗付け、或は睡眠中の小児の口辺(くちへり)に附著して伝染の媒介をなし、且(か)つ、魚商の魚類に飛移(とびうつ)り、遠く他家に病毒を散蔓(さんまん)せしむるの状(ありさま)なり。
予防方法としては、糞池を暗黒になし、時々(じじ)石油乳剤又は石灰を撒布して、蝿の産生を阻止し、食物は蝿帳(はいちょう)の中に納(い)れ、小児の睡眠時は、蚊帳を用ひ、尚、鳥黐(とりもち)・蝿取器等にて蠅を駆除し、且(か)つ蝿の附著したる物は之を食用に供せざることを要す》
●葬儀に因る伝染
伝染病の流行中は、死人の家で食事を出すのをやめなさい
《此図は、伝染病にて死亡したるものを普通病と誤り、親戚知己(ちき)相集りて、葬儀を営む時に当り、病毒の附著したる手を以て飲食物を調理、之を弔者に饗したるが為め、皆病毒に襲はれ、且(か)つ会葬者は、各々、病毒附著の菓子を自宅に齎(もたら)し帰るの状なり。
伝染病流行時に当りては、縦令(たとえ)普通の病死者の場合と雖(いえど)も、飲食物の饗応及び配贈物(はいぞうぶつ)は遠慮するを可とす》
●保菌者に因る伝染
健康な人にも保菌者がいて、その人の料理から伝染することもあります
《此図上段の婦人は、一見健康の如く見ゆるも、伝染病患者に関係ありたる為(た)め、其糞便せしに、病毒の存在を発見したる所なり。
然(しか)るに此(この)婦人は、萩の餅を調理し、之(こ)れを親戚の者に饗したることあるを以て、為念(ねんのため)其(その)馳走を受けたる者を調査せしに、抵抗力弱き小児は、既に感染・発病せる状を示す。
伝染病の予防には、斯(かく)の如き保菌者を早く知り、相当の措置を施すを要す》
●摂生家と不摂生家
伝染病にかかりたくない人は、洋服を着た人のように用心なさい
《此図は摂生家(洋装者)と不摂生家(和装者)相携へて、夏季虎列刺(コレラ)流行地を旅行して、不摂生家は到る所の露店若(もし)くは茶店にて氷水「ラムネ」及び西瓜(すいか)等を飲食し、旅館にては、盛に麦酒(ビール)を飲み、刺身を食したるが為め、遂に感染・発病したり。
之(これ)に反して、摂生家は露店にては茶を喫し、旅館にては茶碗より箸に至るまで一々熱湯にて洗滌し、食事に臨みては常に焼煮(やきに)したる物を摂取したるが為め、伝染の危難を免(のが)れたる状を示せり》
東京に近代水道が完成したのは1898年(明治31年)12月。以後、上下水道の拡充とともに、コレラは次第に姿を消していくのでした。
近代水道の共用栓(水道歴史館)
制作:2013年2月4日
<おまけ>
大森貝塚を発見したE・S・モースは、『日本その日その日』に1882年(明治15年)の静岡の姿を書いています。
《駿河の国の静岡に到着した時、そこでは虎列剌が流行して、1日に30人も40人も死んでいた。大きな旅館は閉鎖してあり、我々は大分困難した上で、やっとその一つに入ることが出来た。
主人は、万一虎列剌に因る死人が出ると、それが大きに彼の旅館の名声を傷つけるといった。我々は人力車を下りもしない内に、既に手早く消毒されて了(しま)った。人々は誰でも、簡単な消毒器を持っているらしかった。これは石炭酸の薄い溶液を入れた、小さな鉄葉(ブリキ)の柄杓の上部に、ハンダで鉄葉の管をつけた物である。他の場所でも我々は、まるで我々が病毒を持って来たかの如く消毒液の霧を吹きかけられた》
明治15年には、消毒の知識があったことがわかります。
ですが、その数年前には「コレラだといって強制入院させるのは、本当は人の生き肝を取るため」というデマが信じられている地域もありました。さらに日本では炭酸水がコレラに効くというデマが広がり、ラムネが爆発的に売れたのです。
冒頭の画像は、コレラに効くとされた竹矢来に、青面金剛の使いである猿を絵札にして張った画像です。医学が発達していない時代のエピソードです。