「素粒子物理学」入門
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素粒子物理学、はじめの一歩
加速器の世界
「電子」を操ってパラレルワールドを見つけよう
前段加速器(高エネルギー加速器研究機構)
「えれきてる」を自作し、治療のため患者の体にパチパチと火花を当てたのは、ご存知、平賀源内です。この「えれきてる」が日本で最初に文献に登場するのは、後藤梨春が1765年に書いた『紅毛談(おらんだばなし)』です。
《ゑれきてりせいりてい
是(これ)は諸痛のある病人の痛所より「火」をとる器なり。ゑれきてりとは此(この)道具を工夫して成就したるときの人の名を、今は此道具の名とす。人の身中より「火」をとる事、あやしきに似たりといえども、人は水火の2つにて動揺するものなれば、其(その)理なきにしもあらざるべし》
「ゑれきてりせいりてい」とは、オランダ語のelektriciteitから来ていて、要は電気のことです。
いったいどういう仕組みだったのかというと、木の箱の中に、金属箔を貼った和紙と回転瓶が入れてあり、ハンドルを回すと静電気が発生し、蓄電池に貯まるのです。
「えれきてる」(国立科学博物館)
この「えれきてる」の上蓋をよく見ると、片側に「Mars(水星)♂」、反対側に「Venus(金星)♀」と書かれています。これは電池の+と−を意味しているのではないかと考えられています。
そもそも、電池とはどういう仕組みなのか。電池の原型である「ボルタ乾電池」では、希硫酸に銅板と亜鉛板を入れて、板同士を導線でつなぐと、銅が+、亜鉛が−となって、電気が発生します。電気は+から−に流れますが、重要なのは、このとき−から+に向けて「電子」が移動していること。電子は−の性質を持っているからです。
ものすごく前置きが長くなりましたが、今回は、この電子を自由に動かすという人類の野望の物語です。
素粒子の通り道
電子というのは、マイナスの粒粒です。いったい、この電子はどのように発見されたのか。
ドイツのプリュッカー教授は、有能なガラス職人ガイスラーに様々なガラス管を作らせ、真空放電の実験を繰り返しました。
真空にしたガラス管の中で+極と−極に強い電圧をかけると、きれいな火花が散ります。真空度に応じて発光状態は異なり、さらに、ガラス管にいろいろな気体を入れると、さまざまな美しい色に発光することがわかりました。これがネオン管の原理で、中に水銀を入れて放電すると蛍光灯になります。
ネオン管の原理(1932年)
1858年、プリュッカーは放電すると後ろのガラス管にうっすらと影ができることを発見します。これはつまり、なにかの光線なりビームなりがガラスに当たっているということです。
真空管の背後に陰が
1874年、イギリスのクルックスはこのビームが−から+に流れることを突き止め、中に風車を置くとくるくる回ることを確認しました。つまり、このビームは−の小さい粒粒だとわかったのです。これが電子の発見です。
風車を回す電子
電子はどのような動きをするのか。電磁石の中で実験を繰り返したのがドイツのブラウンです。発生させた電子を電磁石で移動させ、蛍光物質にぶちあてると、きれいに発光することがわかりました。これがテレビの基本技術であるブラウン管の原理です。
日本で実現した世界初のブラウン管テレビ
(国立科学博物館)
一方、マイナスのビーム(陰極線)とは別に、プラスのビーム(陽極線、カナル線)の存在も発見されました。ここまでわかったことを整理すると、
【高い電圧をかけるとマイナスビームやプラスビームが発生し、これは電気や磁石を使うと方向を変えられる】
1895年、陰極線の実験をしていたレントゲンは、机の上の蛍光紙が感光していることに気づきました。実験中のガラス管は紙で包んでいたことから、紙を透過する謎の光線があることがわかったのです。謎なのでこれをX線と名付けますが、驚くことに、X線は人体の透視写真を撮ることができました。
後の研究で、X線は、銅やモリブデンなどに電子をぶち当てると発生することがわかりました。これをうまく制御できれば、きっとすごいことができる。この思いが素粒子研究を加速させていきます。
X線の発見(原子双六)
さて、物質はどんどん細かくしていくとどうなるのか。
1808年、イギリスのドルトンが「原子記号」を公表、その後、多くの科学者の実験により、どうやら原子核の周りを電子が周回していることがわかります。
ドルトンの原子記号
ざっくりいうと、最も軽い気体である水素は、+の原子核の周りを−の電子が1つ回っている。2番めに軽い気体であるヘリウムは、+の原子核の周りに−の電子が2つ回っている、ということです。もう少し正確に言うと、原子核は中性子と陽子(+)でできており、たとえばヘリウムは
【原子核(中性子2、陽子2)の周りに2個の電子が回っている】
ということです。
ヘリウムの原子模型(原子双六)
1919年、ラザフォードが、窒素にヘリウムの原子核(α線)を衝突させると酸素になることを発見。元素の性質は陽子の数で決まることから、その数を人工的に変えれば別な元素になるはずだ、と科学者たちは考えました。
1932年、コッククロフトとウォルトンが、20万ボルトの電圧を与えた電子をリチウムの原子核に衝突させたところ、原子核が崩壊しました。これが、加速器の始まりですが、要は、なるべく高い電圧をかけた電子または原子核をターゲットの原子核にぶち当てると、破壊されて別の物質になることがわかったのです。
こうして、コッククロフト・ウォルトン回路という、高電圧を生む機械が誕生しました。これが、後に原爆の開発につながります。
理研のコッククロフト・ウォルトン式高圧発生装置
(『科学画報』1942年5月号)
電子や原子核を加速するにはどうすればいいのか。コッククロフト・ウォルトン回路は仕組み上、せいぜい100数十万電子ボルトが限界でした。
これを上回るために開発されたのが、静電型の高圧発生装置と、サイクロトロンです。
静電型は、ヴァンデグラフが開発したもので、静電気をベルトで運ぶ仕組みです。現在でも、科学館でスパークの展示に使われますが、最初、東京帝大に導入され、東芝のマツダ研究所、大阪帝大、東北帝大、九州帝大などに導入されました。いわば、「えれきてる」の進化系がここに結実したわけです。
静電型では、1940年ごろで500万電子ボルトくらいまで実現しました。
アメリカの静電型の高圧発生装置
(『科学画報』1941年7月号)
サイクロトロンは、最初、理化学研究所に導入され、その後、大阪帝大、京都帝大などに導入されますが、理研が圧倒的に強い状態でした。これは「日本の現代物理学の父」と呼ばれる仁科芳雄の功績です。
こちらは1億電子ボルトも夢ではないとされました。
理研のサイクロトロン
(『科学画報』1942年5月号)
サイクロトロンのほうが静電型よりはるかに高い電圧を作り出せますが、電圧の調整が難しく、任意の電子ボルトに設定できる静電型と長く併存することになりました。
理研サイクロトロンの高周波発生装置
(『科学画報』1941年7月号)
加速器の仕組みを簡単に書いておきます。
高い電圧をかけると電子や原子核のスピードが早くなりますが、これは銀玉鉄砲の銀玉を坂の上に置いた状態だと考えるとわかりやすいのです。坂が急になればなるほど、銀玉のスピードが加速するわけです。
サイクロトロンの場合は、ものすごく高速で電気の向きが変わる高周波の電圧を使うことで、加速されています。
サイクロトロンの仕組み
(『科学の友』1948年4月号)
日本が戦争に負けると、GHQは、国内にあるサイクロトロンの廃棄を命じます。上に掲載したサイクロトロンはすべて海中に捨てられました。こうして、日本の素粒子研究はストップするのですが、1955年、東大に原子核研究所が設置され、再び研究が始まります。
建設中の原子核研究所(『科学画報』1956年6月号)
1952年、ヨーロッパにCERNという共同研究所が設立され、1956年に6億電子ボルトを実現。
日本は、1961年、原子核研究所で7億5000万電子ボルトを達成しています。
このとき、アメリカでは60億電子ボルト、ドブナ(共産圏連合)では100億電子ボルトを実現していました。
原子核研究所に建設中の新サイクロトロン
(『科学画報』1956年6月号)
加速器は、具体的に何に役立つのか。
たとえば、電子とレーザーがぶち当たるとガンマ線ができますが、これをビームの形にしてゴムに照射すると、強度が増します。現在では、タイヤ製造に際して加速器を使うのは当たり前になっています。
このほか、ソフトコンタクトレンズの製造、殺菌、品種改良、新素材の開発などなど、さまざまな分野で加速器が使われています。
医療分野での活用も多く、画像診断用のPET検査機、ガンの重粒子線治療などは、すべて加速器技術の応用です。
1961年ごろ、日本で120億ボルトの加速器が計画されました。これが1971年、つくばにできた高エネルギー物理学研究所(KEK)で実現します。
新研究所の予想図
(『科学朝日』1961年4月号)
冒頭の写真はKEKのコッククロフト・ウォルトン式前段加速器で、75万電子ボルトで光の速さの4%に加速されます。その後、直線状の加速器リニアックで光速の28%に達し、円形軌道を約8万回まわって光速の75%になって、ターゲットにぶち当たるのです。
1997年、原子核研究所とKEKは改組し、日本の素粒子研究の中心となっています。
電子を発生させる
現在、加速器は、宇宙の成り立ちや物質の構造解析が主目的に変わっています。
ヨーロッパのCERNは、2012年、物体の質量の元であるヒッグス粒子を発見しました。世界最大の加速器LHC(大型ハドロン衝突型加速器)で、7兆電子ボルトで加速した陽子同士の衝突に成功したのです。
電子を加速する直線部分
2016年には、日本の理化学研究所のチームが、113番の新元素「ニホニウム」を作り出しました。線形加速器ライラックで、亜鉛(原子番号30)を光速の10%まで加速させ、ビスマス(原子番号83)に衝突させたのです。30+83は113ということです。
理研は、現在、119番目の新元素の発見を目指しています。
ビームを細くする曲線部分
加速器の世界は巨大になりすぎたため、全世界で共同の研究が進むようになりました。現在、KEKやCERN、アメリカのブルックヘブン国立研究所などは、直線衝突型加速器「国際リニアコライダー(ILC)」の開発を目指しています。これは全長30kmを超える直線の地下トンネルで、岩手県と宮城県にまたがる北上山地への設置が有力視されています。
ILCは、内部を超電導状態にして、電子と陽電子を光速近くまで加速して衝突させます。2500億電子ボルトなので、前述のLHCに比べて見劣りしますが、LHCより精密な計測に向いています。
衝突部分の直前(左上で衝突)
アインシュタインによると、【エネルギー= 質量 × 光の速度の2乗】であり、粒子が光速に近づけば近づくほど莫大なエネルギーを持つようになります。それは宇宙がビッグバンで生成した瞬間に酷似しているわけで、うまくいけば、宇宙の始まりはどうだったのか、四次元世界はあるのか、パラレルワールドはあるのか、などが今後わかってくるはずです。
人類が知っている物質は、全物質の5%程度だと言われており、世界はまだまだわからないことだらけなのです。
制作:2018年8月6日
<おまけ>
世界初のホームページは、CERNが作りました。どうしてかというと、CERNの研究者だったティム・バーナーズ=リーがウェブの仕組みを発明したからです。
そして、CERNとの連絡を密にするため、高エネルギー物理学研究所でウェブ技術が導入されました。こうして、1992年9月30日、日本初のホームページ「KEK Information」が誕生したのでした。
サイクロトロン(原子双六)