目指せ!大勲位
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勲章・褒賞の世界
国から表彰されるということ
勲章(造幣博物館)
1913年11月22日、最後の将軍・徳川慶喜が亡くなると、東京市長の阪谷芳郎はこんな哀悼文を読み上げました。
「東京市は『麝香間祗候従一位勲一等』徳川慶喜公の薨去(こうきょ)を悲み、特に市会を開き、満場一致の決議を以て敬て哀悼の誠意を致す、抑々(そもそも)江戸市府の開創は徳川家に成り、以降300年、市民の安寧福祉を享受したるもの、徳川家の恵沢に由らずむばあらず、公は卓出せる英資を以て徳川家最後の征夷大将軍に拝し……」
このことから、徳川慶喜は「征夷大将軍」だったことがわかります。
では、その前に出てくる「麝香間祗候従一位勲一等」とはいったいどういう意味か?
「麝香間祗候(じゃこうのましこう)」は、明治維新の功労者である華族・官吏を優遇するために与えられた名誉職で、ほかに三条公美や近衛文麿が任官されました。この下には「錦鶏間祗候(きんけいのましこう)」があり、後に首相となる若槻禮次郎(首相)などが任官されています。
徳川慶喜の葬列
「従一位」は律令時代からある「位階」のひとつで、藤原道長から平清盛、足利尊氏まで、そうそうたる人物が授与されています。近年でいうと、吉田茂や佐藤栄作などの首相が最後です。
位階は現在も存在しており、
正一位/従一位/正二位/従二位/正三位/従三位/正四位/従四位/正五位/従五位/正六位/従六位/正七位/従七位/正八位/従八位
の16階となっています。最上位は正一位ですが、これは菅原道真や徳川家康が叙されています。なぜか大正時代に豊臣秀吉と織田信長に与えられていますが、事実上、叙位はありません。
なお、従一位は公爵、正二位は侯爵、従二位は伯爵、正・従三位は子爵、正・従四位は男爵に準じています。
では「勲一等」とはなにか。
律令時代に始まった「勲位」(勲一等から勲十二等まで12級)が明治時代「勲等」に変わり、最上位の大勲位
と、勲一等から勲八等の全9級ありました。今は数字を使った等級は廃止され、「大勲位」のみ残っています。
大勲位菊花章頸飾
現在、日本の勲章は菊花章が最上級としてあり、次に桐花章、その下に旭日章、瑞宝章、文化勲章が同格としてあります。一段下がって宝冠章。宝冠章は女性に与える勲章として創設されましたが、現在は菊花章以下、女性にも授与されるようになり、存在理由が減っています。
いまの勲章をランク順に並べると以下のようになります。
(菊花章)
大勲位菊花章頸飾(だいくんいきっかしょうけいしょく)
大勲位菊花大綬章(だいくんいきっかだいじゅしょう)
大勲位菊花大綬章
(桐花章)
桐花大綬章(とうかだいじゅしょう)
桐花大綬章(戦前は勲一等旭日桐花大綬章)
(旭日章) (瑞宝章) (文化勲章)
旭日大綬章 瑞宝大綬章
旭日重光章 瑞宝重光章
旭日中綬章 瑞宝中綬章
旭日小綬章 瑞宝小綬章
旭日双光章 瑞宝双光章
旭日単光章 瑞宝単光章
旭日大綬章(戦前は勲一等旭日大綬章)
瑞宝大綬章(戦前は勲一等瑞宝章)
文化勲章
(宝冠章)
宝冠大綬章
宝冠牡丹章
宝冠白蝶章
宝冠藤花章
宝冠杏葉章
宝冠波光章
宝冠大綬章(戦前は勲一等宝冠章)
戦前は、これに軍功があった人に対し「金鵄勲章」も与えられました。金鵄勲章には「功一級」から「功七級」の7階級あり、当初は敵から捕獲した大砲の青銅で作られました。
功一級金鵄勲章
明治時代、もっとも有名な軍人は、東郷平八郎(海軍)と乃木希典(陸軍)なのは異論がないと思います。
東郷平八郎は1848年生まれ、乃木希典は1849年生まれでほぼ同い年。2人とも、日露戦争では「大将」でした。そして、日露戦争後の1906年、2人は勲章を授与されます。
東郷平八郎:功一級金鵄勲章、大勲位菊花大綬章
乃木希典:功一級金鵄勲章、旭日桐花大綬章
つまり、東郷平八郎のほうが1つランクが上だったのです。海軍は日本海海戦で大勝利しますが、陸軍は旅順戦で多くの戦死者を出したことが原因かもしれません。乃木希典は、明治天皇の大葬の日、妻とともに自刃して亡くなります。一方の東郷平八郎は1934年(昭和9年)まで生きました。
東郷平八郎
東郷平八郎が勲章をフルにつけたカラー画像があるので、どんな勲章なのか見てみましょう。
(1)大勲位菊花章頸飾
(2)功一級金鵄勲章の正章
(3)元帥徽章
(4)功一級金鵄勲章の副章
(5)勲一等瑞宝章の副章
(6)勲一等旭日桐花大綬章の副章
(7)大勲位菊花大綬章の副章
(8)韓国併合記念章
(9)大礼記念章(大正天皇の即位)
元帥徽章
東郷も乃木も、1906年に「明治三十七八年従軍記章」ももらっています。これは、参加した人に等しく与えられる記念章です。
明治二十七八年従軍記章(日清戦争、左)と明治三十七八年従軍記章(日露戦争)
さて、静岡県藤枝市にある「常昌院」は、別名「兵隊寺」ともいわれています。日露戦争に出征して戦死した地元の英霊223体が、木像として祀られています。
木像は当時の軍服姿なので、よく見ると、勲章や記章をつけている像があります。
兵隊寺に並ぶ兵士像
下の兵士は2つ勲章をつけています。勲章を間違えると非礼なので断定はしませんが、向かって右はおそらく桐葉章。向かって左は、おそらく金鵄勲章(本来は緑の帯)だと思われます。
叙勲された陸軍兵士
金鵄勲章と桐葉章
軍功によって与えられた金鵄勲章には年金制度があり、功一級には1500円、功二級1000円、功三級700円、功四級500円、功五級300円、功六級200円、功七級100円が支給されました(明治31年の金額)。これは終身年金でしたが、戦争の拡大で国庫負担が大きくなり、後に国債の形で支給されることになりました。しかし、敗戦によりその国債は無価値となり、国家への忠誠は紙くずとなって消えてしまいました。
そして、日本国憲法の施行で、金鵄勲章自体も消滅するのでした。
軍神・広瀬武夫の金鵄勲章(功三級、大分県の広瀬武夫記念館)
制作:2017年3月2日
<おまけ>
勲章以外に、各分野で功績のあった人を表彰するため、国が与えられる記章を「褒章」といいます。
紅綬褒章 人命救助
緑綬褒章 社会奉仕・ボランティア
黄綬褒章 勤労と模範になるような事績(戦前は海防費献納者に授与)
紫綬褒章 発明、学術、スポーツ、芸術
藍綬褒章 会社経営、公共業務(戦前は学校・病院建設、土木、農水などの功労者)
紺綬褒章 寄附
過去に褒章を受章している人に、同じ褒章を与えるときは「飾版」という飾り板が贈られます。銀と金の2種類あり、銀が5個になると金に交換されます。森永チョコボールの「おもちゃのカンヅメ」みたいですね。
中央が紺綬褒章