ネットのおかげで通信料が安くなったのは確かですが、それは結果的に日本の電話会社をすべて滅亡させてしまう可能性もあるわけです。
というわけで、今回は電話の歴史です。
日本で電話が開通したのは1890年(明治23年)で、まずは東京ー横浜で営業が開始されました。ちなみにグラハム・ベルが電話を発明してから14年後のことです。
当初の加入者数は、東京155、横浜42。ダイヤル1番は東京府庁、2番は逓信省、3番は司法省でした。
『明治事物起原』によれば、創業当時は、
《種々商人を勧誘したれども、加入者なく、当局者もおほいに当惑し、市中重立ちたる人々100余名を、逓信省の楼上に呼び集めて、電話の効用を蝶々説き立てて加入を勧め……》
といった感じでした。
東京〜大阪間が開通したのは1899年。翌年には新橋駅と上野駅に、日本初の公衆電話(「自働電話」といったそうです)が設置されました。
実は夏目漱石の『吾輩は猫である』に電話の場面が出てきます。
《しばらく佇(たたず)んでいると廊下を隔てて向うの座敷でベルの音がする。そらあすこにも何か事がある。後(おく)れぬ先に、とその方角へ歩を向ける。来て見ると女が独(ひと)りで何か大声で話している。……女はしきりに喋舌(しゃべ)っているが相手の声が少しも聞えないのは、噂にきく電話というものであろう》
『吾輩は猫である』が雑誌『ホトトギス』に連載されたのは明治38年(1905)なんですが、このころ、ようやく電話が普及してきたことがわかりますね。
で、日露戦争後には加入希望者が激増したんですが、予算難からなかなか電話は引けませんでした。で、始まったのが電話売買業です。