エビフライの誕生
最高の「伊勢エビ」フライを食べてみた

白エビ天ぷら
白エビ天ぷら(富山)


 1970年ごろまで、東京湾の芝浦では小さなエビが大量に捕れました。芝浦で取れるから、この海老は「芝エビ」と名付けられました。
 大正時代、東京湾で大量に水揚げされた中型のエビは、「大正海老」と名付けられました。これはしましま模様が車輪のように見えることから「車エビ」とも呼ばれます。
 江戸時代には、鎌倉近海で多く捕れた大型のエビを「鎌倉エビ」と呼びました。井原西鶴は『好色五人女』(1686年)に「カマクラヱビ」と書いているので、その名は大阪でも有名だったことがわかります。ただし、一般に関西では、このエビのことを「伊勢エビ」と呼んでいます。

 料理の鉄人・陳建一氏が会長を務める「日本中国料理協会」は、かつてエビを小さい順に「芝エビ」「車エビ・大正エビ」「伊勢エビ」の3種類で表記していたと公表しました。当たり前です、「芝エビ」も「車エビ」もたくさん捕れる代表的なエビだったんだから。

 時代が下って、それぞれの海老があまり捕れなくなり、価格が上昇すると、料理店によっては「芝エビ」の代わりに「バナメイエビ」を、「車エビ」の代わりに「ブラックタイガー」を使うようになりました。
 そして、高級品の「伊勢エビ」は、外国産の「アフリカミナミイセエビ」や「ロブスター」を流用していくのです。

 こうして、海産資源の減少とともに、日本では一流ホテルでさえメニューを偽装するようになりました。海老は種類が非常に多く、世界で約2800種類が生息しているので、似たような海老はいくらでもいるんですね。


アフリカミナミイセエビイースタンロックロブスター
アフリカミナミイセエビ(左)とイースタンロックロブスター
(和歌山県・エビとカニの水族館)


 エビは昔から食用にされてきました。縄文時代からといいますが、文献では『出雲風土記』(733年)あたりが最初です。室町時代になると、武家では結婚式でたいていイセエビが出されました。赤色はおめでたい色だったし、腰が曲がっている姿は長寿を連想させたからです。

 徳川家康は、京都の豪商・茶屋四郎次郎が勧めた鯛の天ぷらを食べて死んだと伝えられます。実際の死因は胃がんだと思われますが、きっと海老のてんぷらも食べていたことでしょう。

伊勢エビ刺身
伊勢エビ刺身


 天ぷらの名前は、ポルトガル語で「調理する」という意味のテンペーロ(tempero)から転じたとする説が有力です。
 文献では、1669年に刊行された『料理食道記』の「てんふら」が最初だとされますが、料理法は定かではなく、一般には『歌仙の組糸』(1748)に書かれた《てんふらは何魚にても温飩(うどん)の粉まぶして油にて揚る也》が最初のようです。

 明治時代になると、天ぷらの人気は高まり、夜店で天ぷらを出す店が増えました。
『明治東京逸聞史』には、明治10年、京橋の北から万世橋まで並ぶ夜店の食べ物屋で、一番多いのが天麩羅屋だと書かれています。ただし、衣ばかり大きく、中身の少ない天ぷらも多いとあり、このころすでに「天ぷら」=「ニセモノ」という言い回しが誕生しています。

 では、エビフライはいつ誕生したのか。
 小麦粉をつけて揚げるのが天ぷら、小麦粉とパン粉をつけて揚げるのがフライだと簡単に分けた場合、フライはパンが入ってくるまで存在しなかったと言えますね。つまりエビフライが生まれたのは明治以降。

 日本で初めて「エビフライ」の調理法が記載されたのは、明治5年(1872)に仮名垣魯文が書いた『西洋料理通』だと思われます。この本は、日本で初めてトンカツやカレーライスの作り方を書いた本でもあります。
 その原典を公開しておきます。ちなみに、文中の「ボートル」はバターのことです。

西洋料理通エビフライ
『西洋料理通』よりエビフライの作り方
(国会図書館HPより)

 
 なお、ポークカツレツを日本で最初に出したレストランは、銀座の洋食屋「煉瓦亭」で、明治28年(1895年)のことです。エビフライも、この店が発祥だとされています。

 さて、一流ホテルでもメニューの偽装が行われる時代、いくらカネを出しても、そのエビが本物かどうかわかりません。では、いったいどうやったら偽装でない本物のエビが食えるのか。 
 やっぱり自分でエビを捕るしかないですね。

 しかし、問題なのは、漁業権。勝手に捕ったらもちろん逮捕です。
 そこで、本サイトの管理人は、ツテを頼ってなんとかエビ漁に同行させてもらうことにしました。せっかくだから、最高級の伊勢エビ漁に挑戦です。

 向かったのは、千葉県鴨川市。ここは伊勢エビとアワビ漁が盛んです。
 エビには「遊泳型」と「歩行型」の2種類あって、ブラックタイガーや甘エビ、芝エビはすべて「遊泳型」。イセエビやザリガニは「歩行型」です。

 伊勢エビは夜行性で、普段は浅瀬の岩棚に潜んでいます。夕方になると這い出してエサを食べるので、伊勢エビ漁は、夕方に網を仕掛けて、早朝に引き上げることになります。

 とある9月上旬の午前5時。夜明けと同時に一斉に港から船が出ます。
 エビ網は、長さ30尋(およそ50m)の網を3つつなげたもので、海底にカーテンのように広げます。這い出してきたエビがこの網に引っかかるわけですな。

 作業としては150mの網を器械で引っ張り上げるだけなので、漁師は1人でボートに乗って出漁します。
「ボンデン」(ブイに立っている旗)に行き、フックでブイをかき寄せ、ロープをウインチに引っかけます。するとロープが徐々にたぐり寄せられ、網が上がってくるのです。

伊勢エビ漁
伊勢エビ漁


 網にひっかっかってるのはほとんどが大きな海草で、なかなかイセエビは出てきません。今日は無理なのかも……と思っていたら、ようやく1匹揚がりました。「おおーっ」と思わず声が出ます。やったね! 

 実は、この日は満月で、本来なら出漁しないような日です。明かりが強いと網が見えてしまうため、昔から満月の日は不漁だと知られているのです。しかし、無理に頼んだおかげで、この日になってしまったわけ。
 結局、作業を繰り返して、合計5カ所の網に10数匹の伊勢エビがかかっていました。

伊勢エビ漁
網にかかった伊勢エビ


 伊勢エビを陸に揚げると、一同総出で網からエビを取り外します。しかし、からみついた海草を1つ1つほどいていくのは大変な作業でした。結局、この作業で、ほぼ1日が終わってしまいます。
 根気のいる網の維持管理こそが、漁師のもっとも大事な仕事だったのです。

 そんなわけで、捕れたばかりの伊勢エビを譲り受け、地元レストランで料理してもらったよ。今回捕れた特大伊勢エビは体長25cmほど。重量400gで、浜値で2800円だそうです。
 そして、これが完成した伊勢エビのエビフライ! プリッとした肉がうますぎる! やっぱり衣しかないスーパーのエビフライとは大違いなのでした。

伊勢エビフライ
伊勢エビフライ


制作:2013年11月12日


<おまけ>
 日本人が海老を本格的に食べ始めたのは、1961年の輸入自由化からです。
 それでも数が足りなくなってきたので、海老の養殖が始まります。もともと捕れすぎた海老を海岸のプールで畜養することは行われていましたが、養殖は困難を極めました。成功したのは、藤永元作です。

 1934年、藤永はクルマエビを実験的に産卵させることに成功。戦後、千葉県でクルマエビの画期的な飼育方法を確立し、特許取得。
 そして1964年、山口県秋穂町で世界初の大規模養殖に成功するのでした。

 博士の養殖技術は、その後、台湾のブラックタイガー養殖へとつながり、世界中から日本に養殖エビが入ってくることになったのです。
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