エレベーター開発史

納涼エレベーター
納涼エレベーター(場所は不明)



 夏目漱石は、1911年(明治44年)8月、大阪朝日新聞主催の講演会の講師として和歌山に来ました。宿泊先の和歌浦では「東洋一」と言われた観光用エレベーターに乗っています。

 このエレベーターは、地元の旅館「望海楼」が客寄せに作ったもので、高さ30m。日本初の鉄骨製で、1910年に完成しています。

日本初の鉄骨エレベーター(和歌山)
漱石も昇った日本初の鉄骨エレベーター(和歌山)



 完成翌年、この宿に泊まった漱石は、小説『行人(こうじん)』(1914年刊行)に、こう記しています。

《この昇降器は普通のように、家の下層から上層に通じているのとは違って、地面から岩山の頂まで物数奇(ものずき)な人間を引き上げる仕掛であった。所にも似ず無風流な装置には違ないが、浅草にもまだない新しさが、昨日から自分の注意を惹いていた。(中略)

 箱は一間四方くらいのもので、中に五六人這入(はい)ると戸を閉めて、すぐ引き上げられた。兄と自分は顔さえ出す事のできない鉄の棒の間から外を見た。そうして非常に欝陶しい感じを起した。

「牢屋見たいだな」と兄が低い声で私語(ささや)いた。「そうですね」と自分が答えた。「人間もこの通りだ」》

 このエレベーターは、1916(大正5年)には、第一次世界大戦の影響で解体され、軍用船へと変わったのでした。

日本初の鉄骨エレベーター(和歌山)
漱石も昇ったエレベーターを上から見る



 エレベーターの起源は古代ギリシャ時代にまでさかのぼります。紀元前236年、アルキメデスがロープと滑車を使った人力装置で、荷物を昇降したと伝えられます。

 産業革命以降は動力を使ったものが誕生し、1835年にはイギリスの工場で蒸気機関エレベーターが生まれました。

 当時のエレベーターは、ロープが切れると荷物や人が乗った「カゴ」が墜落する欠点がありました。これを、1852年、アメリカのオーチスが、バネの力で落下を防止する装置を開発したことで、本格的なエレベーター時代が到来します。

 オーチスは、1853年、ニューヨーク万国博覧会に蒸気動力エレベーターを出品。1857年には、ニューヨークのブロードウェイで採用されました。

 電動エレベーターは1880年、ドイツ・マンハイム博覧会で初めて出品されています。1882年、最初の電動式エレベーターがニューイングランドの工場に採用され、以後、摩天楼などで次々に採用されていきます。

好文亭の昇降機
好文亭の昇降機



 日本最古の昇降機は、水戸の偕楽園にある水戸藩主の別邸「好文亭」にあります。滑車から伸びるヒモで食事を運ぶもので、もちろん人力です。1842年に作られました。

 そして、日本初のエレベーターは、1890年(明治23年)11月10日にオープンした浅草の凌雲閣(浅草十二階)に設置されました。

 当時の「官報」(明治23年10月27日付け)によれば、

《下層初階より8階までは、電気モーターの運転によりて、昇降台(エレベートル)を一分時間に昇降せしむべく、この昇降台は高さ8尺、幅8尺に5尺5寸、15人より20人までの客を一時に乗せ得べく、電気モーターは米国紐育(=ニューヨーク)より購入せしものにて、15馬力を有せり》

 というもの。エレベーターは水圧式電動で、12階建ての1階と9階を結ぶもの。2台一組で動きました。料金は8銭でしたが、間もなく危険だとして使用禁止に。そして、凌雲閣は1923年の関東大震災で焼けて解体されてしまいました。

凌雲閣(浅草十二階)
凌雲閣(江戸東京博物館)



 1890年には三菱3号館にも設置され、その後、日本銀行(1896年)、三井銀行(1903年)などに設置されました。ちなみに大阪は、1901年の日本生命本店が最初で、いずれもオーチス製のエレベーターでした。

 1903(明治36年)、大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会では、「大林高塔」とよばれた高さ150尺(約45m)のタワーが話題を呼びました。この跡地に作られた通天閣(1912年完成)には、当初、ドイツのシーメンス製が使われましたが、翌年、国産第1号のエレベーターに代わりました。

日本3番めのエレベーター(国立科学博物館)
日本生命に設置された大阪初のエレベーター(国立科学博物館)



 日本のエレベーター史を回顧するに、重要な役割を果たした2人の技術者がいます。

 1人は「日本のエジソン」と呼ばれる藤岡市助。後の東芝となる「東京電気」の創業者です。

 岩国藩の下級藩士の子供として生まれた市助は、15歳から英語を学び、1875年、工学寮(後の工部大学校、現在の東京大工学部)に進学して電気を学びました。

 工部大学校3年のとき、日本初のアーク灯の点灯に成功(この日3月25日が電気記念日)。その後、白熱電球や発電機の国産化に成功します。1890年、前述の浅草「凌雲閣」にエレベーターを取り付けました。開業の11月10日が、現在、「エレベーターの日」となっています。

 同年、東京・上野で日本初の電車の試運転にも成功。上野で開かれた東京勧業博覧会(1906年)では、実際に国内初の電車を走らせています。

「東松式」エレベーター
「東松式」エレベーター(2019年「機械遺産」に指定)



 もう1人は、国産エレベーターの導入を進めた大阪の東松孝時。前述のとおり、1913年(大正2年)、国産初のエレベーターを通天閣に設置。当時は1回2銭で観光用に使われました。

「日本エレベーター製造」が作った国産エレベーターは「東松式」と呼ばれ、現在、福井県敦賀市立博物館(旧大和田銀行)で見られます。このエレベーターは1925年に製造されました。定員は8人で、最大積載量はおよそ450kg。当時は運転手が人の手で操作しました。 エレベーターが普及したのは、オーチスが落下防止装置を開発したからですが、この東松式にも、カゴの落下防止の仕組みが搭載されています。

白木屋のエレベーター
白木屋のエレベーター



 エレベーターは、当初、官庁や大企業を中心に広まりますが、庶民の目に触れるようになったのはデパートが最初です。1911年、東京・日本橋の白木屋が最初に導入しました。内部にはベンチがあり、乗り込んだ少年が運転したといいます。

白木屋エレベーターの巻き上げ機
白木屋エレベーターの巻き上げ機



 エレベーターは、国内メーカーでは、凌雲閣に導入した東芝に加え、三菱電機、日立製作所が3強です。国産でオール電化の第1号エレベーターは、三菱電機が作りました。大宮の研究所本館正面にあったため、なかなか更新できず、バネやネジを新造しながら、1986年まで使われました。機械式リレー時代のものです。

国産オール電化の第1号エレベーター
国産オール電化の第1号エレベーター



 東京オリンピックの頃を境に、エレベーターは安全性からスピードの時代に移ります。

 1968年、日本初の超高層ビル「霞が関ビル」を皮切りにスピード競争が加速。1978年、池袋のサンシャイン60が日本一のビルになったとき、三菱電機のエレベーターは分速600メートルという世界記録を出しました。1993年開業の横浜ランドマークタワーでは分速750メートルに。

 分速1000メートルを超えたのは、台湾・台北市の超高層ビル「TAIPEI101」(高さ508メートル)で、分速1010メートル。これは東芝製です。

TAIPEI101のエレベーターのギネス看板
TAIPEI101のギネス看板



 現在の世界最速は中国のCFTファイナンスセンターで、分速1260メートル。こちらは日立製です。

 スピード自体はまだまだ速くすることは可能ですが、気圧変化による耳詰まりなどが起きることで、これ以上速くすると快適性が落ちてしまいます。というわけで、現在は「効率性の追求」が目指されています。

 ある階で呼びボタンが押されると、カゴは自動的にその階に向かいますが、ビルの高層化が進むと、何分も待つようになります。そこで登場したのが、コンピューターを使った「群管理システム」。各階で呼び出しされてからの待ち時間を平均化するようになっています。現在は、AI(人工知能)とファジー理論を導入し、待たないですむエレベーターの開発が進んでいるのです。

日立と東芝のエレベーター研究塔
日立と東芝のエレベーター研究塔
(左から日立G1タワー213m、日立旧塔90m、東芝150m)


更新:2022年3月5日

<おまけ1>

 エレベーター究極の進化系は、宇宙エレベーターです。「国際宇宙ステーション」(高度400km)くらいの高さなら、1時間程度で日帰り旅行できるとされます。

 宇宙エレベーターのアイデアは古くからあり、1960年、旧ソ連のユーリ・アルツターノフが共産党機関紙プラウダに「天のケーブルカー」構想を発表。1979年にはアーサー・C・クラークがSF小説『楽園の泉』に登場させています。

 1991年、NEC基礎研究所(当時)の飯島澄男氏が強くて軽い新素材「カーボンナノチューブ」を発明し、理論上、ケーブルを宇宙までつなぐことが可能になりました。飯島氏は、ノーベル賞にもっとも近い男として知られています。

宇宙エレベーターで自走する昇降器の例
宇宙エレベーターで自走する昇降器の例(宇宙博2014)

<おまけ2>

 現在、ありとあらゆるものに採用されているエレベーターですが、意外なものを1つあげときます。空母は通常、艦載機を格納庫に入れてありますが、臨戦態勢になると、エレベーターで甲板に運び上げます。こちらはデッキサイドのエレベーター。
空母「ロナルド・レーガン」のデッキサイド型エレベーター
空母「ロナルド・レーガン」の艦載機用エレベーター(格納庫から見たところ)
 
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