福島「浜通り」を行く
震災から1900日「第1原発」撮影の旅

福島県浪江町の廃屋
津波の直撃を受けた廃屋(福島県浪江町)


 2016年5月26日、福島県南相馬市で、老舗ラーメン店「双葉食堂」が営業を再開しました。
 双葉食堂は福島第1原発の事故を受け、長らく仮店舗で営業していましたが、避難指示の解除を受け、元の場所に戻ってきたのです。
 本サイトの管理人は、営業再開の2日後、さっそく食べにいってみました。店には行列もできていて、復興の高揚感が感じられました。


双葉食堂
双葉食堂


 原発事故を受け、国は汚染エリアに避難指示区域を設定しました。避難区域は3つに分かれており、ものすごく乱暴に書くと、以下のようになっています。

 ●避難指示解除準備区域(南相馬市)
 ●居住制限区域(南相馬市、飯舘村)
 ●帰宅困難地域(南相馬市、浪江町、双葉町、大熊町)

避難指示区域
避難指示区域



 除染が進むと避難指示が解除されるわけですが、今回は、震災から1900日たってなお自宅に戻れない帰宅困難地域の現状を見に行くことにします。


除染
建物除染の現場。ほかに土壌の除染なども


 福島第1原発は、当たり前ですが、簡単には入れません。本サイトの管理人は事故後、一度だけ中に入っていますが、そのときは一切の写真撮影が禁止されていました。


一時立入許可証
福島第一原発の一時立入許可証


 その原発を望遠レンズで撮影することは可能なのか。まず、誰でも考えるのが、高速道路(常磐道)からの撮影です。しかし、常磐道と第1原発は5kmほど離れており、ごく一部の場所からしか見ることができません。


常磐道から撮影した福島第一原発4号機
常磐道から撮影した4号機


 ここからさらに距離は離れますが、原発から7kmほどのあるダムからも、敷地の一部が眺望できます。


福島第一原発
福島第一原発(おそらく左から6号機、5号機、1号機)


 では、実際に原発に近づいてみることにします。まずは、侵入者防止のため、バリケードが置かれたエリアを超え、国道6号を北上。そこから海岸に向かって曲がり、原発に向かっていくと、「ようこそ」の看板が見えます。


福島第1原発の看板
福島第1原発の看板

福島第一原発の入口
福島第一原発の入口付近


 ここから先は、許可証がないと構内には入れません。注目すべきは「イノシシ注意」の看板です。
 かつて食用肉として人気のあったイノシシですが、原発事故後、肉からセシウムが検出されたことで、駆除が停止。
 推計生息数は、2010年度に約3万5000頭でしたが、2014年度は約5万頭に増加しました。農業被害が大きい自治体ではイノシシの捕獲に報奨金を出していますが、その処分にも困る状況です。

 相馬市では、冷凍保存している約250頭を市有地に埋めましたが、今後は焼却処分する予定。しかし、この場合1頭5万円を超える費用がかかるのです(読売新聞 2015年3月7日)。

福島第一原発の看板
福島第一原発の看板


 県内ではこのほか、サルやハクビシンによる被害も発生していますが、実は、住民の帰還に最も大きな打撃を与えているのは、ネズミです。
 多くの家の中にネズミの死骸やフンが転がり、食べ物はもちろん、化粧品なども食べつくされる被害が多発しています。ネズミの糞尿は非常に臭く、それだけで帰宅の意思を阻むほどだと言われます。

 ネズミは、秋疫(あきやみ)と呼ばれるレプトスピラ症などの感染症をもたらします。自治体ではパンフレットを発行して警鐘を鳴らしていますが、もはや対策もほとんど効果がありません。

浪江駅
浪江駅(駅前には震災以来一度も動かなかったバスが)


 さて、原発から国道6号を北上すると、浪江町に入ります。
 町は全域が避難指示区域となっていて、現在も居住はできません。2017年3月に避難指示解除を想定しており、同時期までに町内の道路の8割、上水道、常磐線(仙台まで)の復旧を目指しています。

 浪江駅は復旧が進み、線路はほぼ電車が通れるようになっています。しかし、駅前は地震で崩れた家がまだそのままです。

浪江駅前の地震で傾いた家
浪江駅前の地震で傾いた家


 浪江駅から海岸を目指すと、人口1800人ほどだった請戸地区があります。高低差がほとんどない平地だったため、津波によって壊滅的な被害を受けました。このエリアは、震災から5年、ほぼ完全に放置されてきました。

浪江町請戸地区
津波の被害を受けた建物(浪江町請戸地区)


 そこで、この放置されたエリアを、ドローンで空撮してみることにしました。

浪江町請戸地区
津波でほぼ完全に流された浪江町請戸地区


 ここから近い請戸港は、原発からおよそ5kmの場所にあります。実はここから原発が見えるんですね。おそらく、ここが最もよく見える場所です。


福島第一原発
望遠レンズで撮った福島第一原発


 ここからさらに北上すると、南相馬市に入ります。やはり津波で壊滅した真野川漁港では、堤防工事が順調に進んでいました。近くには「奇跡の一本松」が残っています。陸前高田の一本松は死んでますが、こちらはまだ生きています。これも空撮してみました。

かしまの一本松
かしまの一本松


福島の神社
神社も再建中


 港の復旧は進んでいますが、周囲は居住を禁止する区域も多いのです。現在、そうした場所では「原子力エネルギーに依存しないまちづくり」を進めるため、大量の太陽光パネルが設置されています。

太陽光パネルの脚
墓標のような太陽光パネルの脚


 さて、原発事故当時に設定された20〜30キロ圏の「緊急時避難準備区域」では、東電が住民1人あたり月10万円の慰謝料を払っていました。この区域は2011年9月に解除され、慰謝料は2012年8月末で打ち切られました。

 一方、20キロ圏はいったん支払いが停止しましたが、結局2018年3月まで続く見通しです。1人あたりの総額は事故後7年分で、840万円。自宅が20キロ圏に入ってさえいれば、これだけもらえるのです。
 実は、この20キロ圏の境は、ほぼ機械的に決められました。ほんの数mしか離れていない、同じ生活空間の隣家同士で、1人あたり840万円の「賠償格差」が発生したのです。

 これに対し、たとえば川内村では20キロ圏外の住民に1人10万円の地域振興券を発行し、格差是正に努めました。しかし、地域コミュニティが破壊された地区も多かったのです。

 当時、「20キロ線」にはバリケードが作られました。すでにこのバリケードは姿を消しましたが、実は1カ所だけ跡が残っています。住民同士の不仲により、バリケードをぜひ残してほしいという要望があったからだそうです。

福島第一原発20キロ圏
福島第一原発20キロ圏に残された「ゲート」

 
 この写真に写ったゲートの奥が20キロ圏。右手前の家は20キロ圏外なので、慰謝料がもらえません。
 これが、原発事故が残した、知られざる地域破壊の一面です。


制作:2016年6月10日
常磐道
常磐道の一部は、まだ高い放射線量のまま
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