東京その他の凱旋門



 博識で知られた柴田宵曲は、『明治の話題』のなかで凱旋門について触れています。以下一部転載しておきますが、どれも似たりよったりのなか、京橋の凱旋門だけが日本風で異彩を放っていたとしています。




《日露戦役後には東京市内の各所に凱旋門が出来たが、実際に凱旋将士が通過したのは、新橋より上野に到る電車通りのものだけだったろう。大同小異の形のものばかりの中に、京橋の凱旋門だけ丹塗の日本風であるのが異彩を放っていた。



 いずれも博覧会の建物同様に、一時的なものであったから、赤木格堂がパリの凱旋門を詠んだ 「千万のものの夫どもが月読の桂かざしてくぐりけんかも」の歌の如く、詩歌の材料にならなかったのは是非もない。



 当時縁日の夜店に行くと、凱旋門を一組の絵端書にして、口上を述べながら売っていた。それも写真版でなく、極めて粗悪な色刷の画であったから、その後目に触れる機会がない。凱旋門の短命であったように、絵端書も短命であったものと思われる。》



品川


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赤坂


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京橋


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馬場先門

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九段下


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新宿


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浅草橋


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三越前


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