日本橋の凱旋門
《日露戦争は私が小学校に入学する前の年に始まり、一年生の秋に終わった。戦争が終わると、出征していた兵士たちが次々に凱旋(がいせん)してきた。町内の小学生十数人で編成する少年鼓笛隊が作られ、町内から出征した兵士が帰って来るたびに、凱旋マーチや軍歌を演奏して歓迎した。
(中略)
私が少年鼓笛隊の一員としてシンバルをたたき、帰還兵の歓迎行事に参加していた時期に、「凱旋門」というものが東京の各地で作られた。
やはり日露戦争の戦場から凱旋してくる兵士たちを歓迎するためのもので、運動会の入り口のように、緑色の杉の葉をたくさんつけて飾ったゲートに、みかんの実を並べて「祝」という大きな文字をオレンジ色に浮かび上がらせるといった工夫がこらされていた》
伯父に連れられてあちこちの凱旋門を見物し、なかでも馬場先門や日本橋に建てられた凱旋門が印象に残っているとしています。
日本橋の南端に造られた凱旋門は、総額2000円。高さ48尺、間口の内法(うちのり)8間、側面5間。4本の柱は石色のペンキ塗りで、基礎はトタン張りで石畳を模しています。
右柱は、桜を月桂冠でくるみリボンで結ぶ装飾、左柱は星を月桂冠でくるみリボンで結ぶ装飾。
アーチの上部には「祝凱旋日本橋区」の額が掲げられ、ペディメント(上部の三角形の部分、日本建築の「破風」に相当)に碇(いかり)と蹄鉄の装飾が取りつけられました。
柱の上部には国旗を飾るポールが立てられ、そこに1200燭光の1000個の電球が付けられ、夜はイルミネーションが輝きました。
なお、設計・施工は清水満之肋本店で、1週間ほどで仕上がっています。