階段を昇ると、異次元空間が!
目黒雅叙園
“百段階段”

目黒雅叙園
「千と千尋の神隠し」の舞台にようこそ!

目黒雅叙園
“漁樵の間”
天井は1つ1つデザインの異なる花の彫刻。欄間には四季の風俗をあしらった立体画
(参考までに左が七夕、右が重陽の節句)


 昭和6年(1931)、目黒雅叙園は、本格的な北京料理と日本料理を食べさせる料亭としてオープンしました。その後、結婚式の総合化、大浴場の併設などさまざまなアイデアで庶民の人気を集めました。

 人々のハレ気分を満足させるため、館内の装飾は華美を極め、“昭和の竜宮城”などと呼ばれるようになります。螺鈿細工や彫刻、欄間の日本画などは、まさに一見の価値ありです。

 宮崎駿が「千尋が働くことになる湯屋は目黒雅叙園も参考にしています。そこは元禄文化風とされる通俗的な御殿が持つどぎつさがあり、そのどぎつさを出したかった」と語るように、映画「千と千尋の神隠し」のモデルでもあるんですねぇ。
 参考までに、写真家の小野一郎のコメントも書いておきましょう。

《(目黒雅叙園は)明治以降にのぼりつめた日本の伝統建築の頂点であり、昭和が残した最後の日本文化の集合体だ。人間の欲求を果てしなく無邪気に形にしたら、こんなものができるのだろうか》(「奇っ怪建築見聞」所収)


目黒雅叙園 目黒雅叙園
左:“漁樵の間” 檜の床柱に掘られた立体彫刻
右:“清方の間” 欄間には鏑木清方の日本画が

 実は、目黒雅叙園は1991年に建て替えられ、こうした昭和の建築は、ほぼすべて消滅してしまいました。現在でも当時のまま残っているのが、上の“漁樵の間”や“清方の間”など6部屋だけなのです。各部屋の詳細は目黒雅叙園のホームページでどうぞ。
 でだ、本サイトとしては、今や幻となった昔の部屋の画像を公開するしかないでしょう。戦争で焼失した部屋や温泉の写真を初公開!

目黒雅叙園
“華秋の間”(戦争で焼失)

目黒雅叙園 目黒雅叙園
“ラジウム温泉・百人風呂”(戦争で焼失)
左:イスラム調の浴室 右:螺鈿細工や浮き彫り彫刻で満たされた脱衣場

目黒雅叙園 目黒雅叙園
左:“大月の間”、右:旧4号館2階廊下

目黒雅叙園
旧新館の玄関(「千と千尋の神隠し」の湯屋にそっくり)



 最後に、映画パンフから宮崎駿の言葉を引用しておきましょう。

《湯婆婆の棲む世界を、擬洋風にするのは、何処かで見たことがあり、夢だか現実だか定かでなくするためだが、同時に、日本の伝統的意匠が多様なイメージの宝庫だからでもある。民俗的空間──物語、伝承、意匠、神ごとから呪術に至るまで──が、どれほど豊かでユニークであるかは、ただ知られていないだけなのである。
 ……子供達はハイテクにかこまれ、うすっぺらな工業製品の中でますます根を失っている。私たちがどれほど豊かな伝統を持っているか、伝えなければならない》


 さすが宮崎駿、含蓄のある言葉ですな。
作成:2001年9月9日(重陽の節句)

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