京都でオーロラを!
チバニアンと地磁気をめぐる大冒険

アメリカの世界「地磁気」測定
アメリカの世界「地磁気」測定マップ(1905-1918)


 北海道・女満別に不思議な施設があります。あまり建物もないだだっ広い敷地は、気象庁の地磁気観測所です。

 方位磁石のN極が北、S極が南を指すことから、地球は巨大な磁石だといえます。地磁気観測所は、この磁石の強さや方向を計測しています。

 地磁気の観測は、1883年(明治16年)、東京・赤坂で始まりましたが、電車の開通で正確な計測が不可能になったため、茨城県石岡市に移転。女満別は支部ですが、もともとは樺太(サハリン)の豊原に開設されていた観測所が移転したものです。

女満別地磁気観測所
気象庁の地磁気観測所


 いったい、なぜ地磁気の観測は行われているのか? 今回は、地磁気の秘密と、千葉の地層「チバニアン」について、壮大な解説を行ってみます。

■地磁気観測船

地磁気観測船カーネギー号
カーネギー号


 ハレー彗星が76年周期で地球に接近することを発見した天文学者エドモンド・ハレーは、後にイギリスのグリニッジ天文台のトップを務めるほどの大物科学者です。
 ハレーは、40代前半だった1700年頃、帆船「パラモアピンク号」で、大西洋の調査航海をおこないました。

 パラモアピンク号は、現在はカナダに属するニューファンドランド島・セントジョンズから、ほぼ真東にあるイギリス・ファルマスまで、およそ3000kmの航海をしています。このとき、詳細な磁針計による測定値が残されました。

 それから200年後の1909年、アメリカのカーネギー号は、処女航海でまったく同じルートをたどりました。しかし、ハレーの記録どおりの針路を取ると、ファルマスのはるか北方に到着することがわかりました。

 船の磁針計がなんらかの外的要因を受けたわけではありません。なぜなら、カーネギー号は地磁気測量のためにつくられた専用船で、ほとんど鉄を使用しないで建造されていたからです。

地磁気観測船カーネギー号
カーネギー号の羅針盤


 では、なぜ200年で方位磁石が合わなくなったのか。答えは一つです。地球の地磁気が移動しているのです。

 海上の磁力変化を正確に把握しなければ、海上の事故を防ぐことができない。こうして、アメリカは1905年に作られた磁力測量船「ガリレオ号」と「カーネギー号」を駆使して地球上の地磁気を測定しまくり(冒頭の地図)、方位磁針が指すN極と北極点が一致しないことも確認したのです。

地磁気観測船カーネギー号のイースター島上陸
チリのイースター島に来た測量チーム


■京都でオーロラが見えた

 記録魔まで有名な藤原定家は、56年間にわたって克明な日記『明月記』を残しています。
 1204年2月21日(建仁4年正月19日)はこんな感じです。

《燭台に明かりを灯した後、北と東北の方向に「赤気」が現れた。根元のほうは月が出たような形で、色は白く明るい。筋は長く続き、遠方の光は火事のよう。4〜5カ所ある白いところに赤い筋が3、4本。陰ることもなく白い光と赤い光が混じっており、不思議だし、恐ろしい》

 この2日後にも、また「赤気」が現れ、《山の向こうに起きた火事のようで、重ね重ね、本当に恐ろしい》とあります。

 この「赤気」の正体はオーロラだと、国立極地研究所などの研究グループが明らかにしました。「赤気」という言葉自体は『聖徳太子伝暦』などこれより古い文献にも書かれていますが、彗星かオーロラか不明なため、この『明月記」が日本最古のオーロラの記録と判断されました。

 藤原定家は京都に住んでいたので、当時、京都でオーロラが見えたことになります。

 実は、その後もオーロラの記録は続きます。加賀藩は長らく天文観測をしていましたが、1730年2月15日には氷見(富山県西部)で見えた光が「紅気」と記されています。こちらもオーロラだとされています。

 こうしたオーロラは、極地で見られる帯状・カーテン状のものとは異なり、赤い光が北の空に広がる「低緯度オーロラ」と呼ばれるものです。

パリで観測されたオーロラ
パリで観測されたオーロラ(1870年10月24日)


 オーロラの仕組みを説明するのはやや難しいのですが、これも地球の地磁気が関係しています。
 
 太陽からは、常に「電気を帯びた粒子」(プラズマ)が流れ出ており、これを太陽風と呼びます。10万度以上になる超高温ですが、地球の地磁気がバリアとなって直撃を防いでいます。しかし、プラズマは電気を持っているため、地磁気に沿って一部が極地に流れていき、それが空気を赤や緑に光らせるのです。

 しかし、太陽のパワーが強いと、地磁気の防御力が弱くなり(磁気嵐)、オーロラが低緯度地域でも見られるようになります。
 前述の研究チームの発表によると、藤原定家が京都でオーロラを見たころは磁気嵐が連続して起きており、また、地磁気の軸が現在とは逆に日本のほうへ傾いていたことで、日本からオーロラが観測しやすかったということです。

 つまり、ここでも、地磁気の移動が関与するわけです。

■なぜ地磁気は移動するのか
 
 前述のとおり、方位磁石のN極が北、S極が南を指すことから、地球は巨大な磁石といえます。ところが、この磁石が指す先は、地球の自転軸とは異なります。ざっくりいうと、北の磁極はカナダ北部にあるため、東京では北極点よりも反時計方向に7度ほどずれているのです。

 それだけではありません。46億年におよぶ地球の歴史上、N極が南を向く時期が何回もあったのです。地磁気の逆転は数万年から4000万年間隔で不規則に起きており、前回は77万年前に起きています。千葉で見つかった地層「チバニアン」はこれを記録した地層です。

 恐竜映画『ジュラシック・パーク』は「ジュラ紀の公園」という意味になりますが、この「ジュラ紀」という名前はフランスとスイスの国境にある石灰岩質の「ジュラ山脈」に由来します。また、魚が爆発的に増えた「デボン紀」は、イギリスのデボン地方にちなんでいます。
 
 地質学では地球の歴史を115の時代に分け、その名称を特徴的な地層などから名付けているのですが、今回、77万年前から12万6000年前の地質年代に対して名称をつけることになり、イタリアの「イオニアン」と千葉の「チバニアン」で争っています。

チバニアン
チバニアン


 それにしても、なぜ地磁気は移動するのか。

 地球が大きな磁石であることは、16世紀のイギリス人学者ウィリアム・ギルバートによって指摘されています。しかし、その原因は長らく不明でした。というか、現在でも正確なところはわかっていませんが、地球内部の溶けた鉄の厚い層「外核」が流動(温度差による対流)することで電流が発生し、地球全体が電磁石になるとされています。
 この流動状態の変化によって、地磁気の強さや磁極の位置も変わっていくのです。

 どうしてこういうことがわかるのかというと、過去の地磁気の記録が火山岩に残っているから。噴火によって溶岩(マグマ)が固まるとき、含有された鉄、ニッケル、コバルトなどにそのときの地磁気の向きが記録されるのです。

■地磁気反転の発見

 兵庫県豊岡市の城崎温泉そばに「玄武洞」というちょっと変わった洞窟があります。国内ではそれほど知名度が高くないですが、地球科学の分野では世界的に有名です。
 玄武洞は、マグマが冷えて固まった六角形の柱状の石でできており、後に、この石が東京帝大の小藤文次郎によって「玄武岩」と名付けられました。

玄武洞
玄武洞

玄武洞
青龍洞


 1929年(昭和4年)4月、京都帝大の松山基範博士が、この洞窟の玄武岩が現在のN極、S極と逆向きの磁気を示すことを発見。翌月、博士は30kmほど離れた京都府夜久野の玄武岩を調査すると、こちらは現在の地球と同じ磁気でした。その後、博士は全国の岩石を調べ、「地磁気が時代によって変わる」という概念を思いつきました。

 この説は、当初まったく相手にされませんでしたが、1964年、アメリカのアラン・コックスによって再発見されます。アラン・コックスは地磁気が現在と同じ向きの時代を「正磁極期」、反対の時代を「逆磁極期」と呼び、最後の反転期間である258万〜77万年前を「松山逆磁極期」と命名したのです。まさに、「チバニアン」直前の時代です。

■チバニアン何がすごいのか

 地磁気の逆転がハッキリわかったのは、77万年前の地層にある御嶽山の火山灰層でした。Byk-Eとよばれる「白尾凝灰岩層」の灰に含まれるウランと鉛の分析によって判明しました。

チバニアン
チバニアン全景


 素人考えでは、たかが地層から何がわかるのかと思いますが、たとえば、恐竜の絶滅の原因も地層からわかります。
 中生代が終わる6550万年前のK-Pgという層にはイリジウムが異常に多いのですが、イリジウムは隕石に大量に含まれているため、巨大隕石が地球へ衝突したことで恐竜は絶滅したと判断されています。古地質学というのは、こうした分析の上に成り立っているのです。

19世紀には人類が恐竜を滅ぼしたと考えられた
19世紀には人類が恐竜を滅ぼしたと考えられた(1867年)


 チバニアンのすごさは、周囲の地層が極めて短い時間で堆積したこともあげられます。海に大量の泥がどんどん流れ込み、1000年で2m以上という速いスピードで地層が作られました。この結果、地磁気が逆転した様子が詳細に分析できたのです。

■プレートテクトニクス説の誕生

 松山博士の功績により、時代によって地磁気が入れ替わることがわかりました。
 その後、日本中の地層の磁気が計測されるにつれ、衝撃的な事実がわかりました。
 西日本の岩石の磁気は多くが北東を指しているのに、北日本はほとんどが北西を指しているのです。これをどう解釈したらいいのか?

 専門家の見解は、もともと大陸の端にあった日本列島の「もと」が回転しながら南下したというものです。ほぼ直線だった日本が、約1500万年前に折れ曲がり、西日本は時計回りに、北日本は反時計回りに動いたことで、現在の姿になったのではないか。
日本列島の誕生
日本列島の誕生


 そして、この考え方が成り立つためには、大地を支えるプレートが移動しなくてはなりません。こうして、古地磁気の研究により、地球の表面は板状のプレートでできており、それが動き回るという「プレートテクトニクス理論」が発展することになったのです。

 チバニアンは、実は日本列島がどうやって誕生したのかという研究につながっていたのです。


制作:2018年3月10日


<おまけ1>

 地磁気はこの200年で1割ほど弱まっています。地磁気が消滅すると何が起きるのか。

 映画『ザ・コア』は、地球の外核の流きが止まって地磁気が弱まり、太陽風によって大規模な雷や放電が起き、地上が破壊されるというパニック映画です。そこまでひどいことは起きなくても、半導体の故障、通信障害、停電などが起きることは想定されています。

 最悪、地球規模の大停電が起きることを思えば、そして半導体が故障するので復旧に時間がかかることを考えれば、地磁気の観測が重要なことは理解できます。

 また、地磁気を記録した岩石は高温になると磁気を失うため、地磁気観測によって噴火の兆候がわかるのではないかとも期待されています。広大な女満別の地磁気観測所も、こうしたことを念頭において運営されているのです。

<おまけ2>
 藤原定家の「赤気」をオーロラと断定した研究では、1204年2月21日、「太陽に特に大きな黒点が現れた」という記述が中国の歴史書『宋史』にあることから、以下のように説明しています。

 太陽の黒点が増える=太陽のパワー増大
 →爆発現象「太陽フレア」が起きる
 →大量のプラズマが放出される「コロナ質量放出」が起きる
 →大きな磁気嵐が繰り返し発生する「連発巨大磁気嵐」が起きた

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