かつて日本では、越中富山の売薬商が全国を回り、置き薬を販売していました。しかし九州では富山商人の力が弱く、佐賀商人の独壇場でした。
この佐賀の薬屋で育った江崎利一は、牡蠣(カキ)に含まれるグリコーゲンをキャラメルにして売ることを思いつきます。これがグリコの誕生。1921年(大正10年)のことです。
江崎利一は、ゴールインマークと「一粒300メートル」のフレーズを生み出し、さらにイラストカードをおまけとして同封。その結果、グリコは大ヒットし、全国的なお菓子に成長しました。
戦前のグリコには、コピーライターとして有名な岸本水府が在籍するなど、広告や販促には定評がありました。
1935年(昭和10年)、宮本順三という青年がおまけ係(景品考案係)としてグリコに入社します。
当時、グリコには「グリコ切手」と呼ばれる引換証を集めるともらえる大型賞品がありました。しかし、その賞品は明治天皇の詠んだ和歌をまとめた「御製集」などで、子供には受けそうにないものでした。
そこで宮本氏は、当時の子供たちがスタンプ集めに夢中になっていたことから、「世界一周スタンプ集」をおまけとして作ることになります。
スタンプ集は「アジヤ洲」「ヨーロッパ洲」「アフリカ洲」「南北アメリカ洲」「大洋洲」の5シリーズ(各20枚)に分かれていて、グリコ切手を10枚集めると1シリーズもらえる仕組みでした。つまり、グリコを50箱食べると全部揃う計算です。
当時は簡単には海外へ行けない時代だけに、このスタンプ帳は大人気となりました。
かつてネット上に、スタンプ帳を作った宮本氏のインタビューがありました(現在は消失)。
《戦争としての世界(対立国)の見方ではなく、子ども達にそれぞれの国の素晴らしい事を伝えたくて、どんな国があって、その国はどのような文化があるのかをまとめたスタンプ集なんです。その当時としては非常に目新しい方向の引換え賞品でした。(中略)
私のおまけの思想はちっちゃな箱なのだけど、本当に広がっていく世界は無限大なのです。その無限のおもちゃ箱を作るために、世界中の物を見たりして色々な視点からおもちゃを作ってそれがヒットしたわけなのです。》
そんなわけで、「無限大の世界」を表現した「世界一周スタンプ集」全点公開です。