親鸞聖人の奇跡(笑)
<川越の名号>
親鸞聖人が空中に書いた文字が、川向こうの紙に浮かび上がった!!
昭和9年に設立された五色園(名古屋の隣の日進市)は、ありがた〜い場所です。
園内のあちこちに親鸞聖人の偉業をかたどった塑像が配置され、散策するだけで、聖人の偉大さが心にしみる、目にしみる。
だって、ホントに像がでっかいんだもん。あんまり聖人が大きすぎて、一般人には単なる珍スポットにしか見えません。思わず笑いがこみ上げ、涙なくしては見られない。ああ、それってば、どう考えても、僕らの心が汚れてる証拠です。
そんなんじゃいけませんね。もっと反省せねば。
ひなびた入口はこちら
園内に入って間もなく現れる<信行両座>
これはいったい何を意味してるんでしょうか?? 園内の看板をそのまま転載しときましょう。
《親鸞聖人が法然上人の下、吉水の草庵に通っていたある日、法然上人に許しを得て門弟たちを信の座「信不退」と行の座「行不退」の二つの席に分け、どちらの考えでいるか明らかにしました。
「信不退」とは、弥陀の本願を信じるだけで生涯信心を失わない不退転が得られると信じることをいい、「行不退」とは本願を信じてなお、不退転を得るためには念仏の行を積まなければならないとする考え方です。
ほとんどの門弟たちは行の座に着座しましたが、高弟の信空、のちの「唯信鈔」を書いた聖覚は信の座に着きました。
そしてそこに遅れてきた熊谷蓮生房が事の次第を聞き、慌てて信の座に着きました。続いて親鸞聖人も信の座に着座し、これで一同が着座してざわめきが鎮まると、法然上人もおもむろに「私も信の座に着こう。」と言って「信不退の座」に着きました。このとき行の座を選んだ門弟たちは一応に驚き、自らを恥じまた後悔しました。》
<日野左衛門門前石枕 >
STORY:親鸞聖人は人間不信の日野左衛門に一夜の宿を断られ、やむなく門前の石を枕に横になりました。夜、夢で観音菩薩に諭された左衛門は、あわてて聖人を家に迎え入れたのです。親鸞聖人は「悪いことばかりしている私たちの汚れきった心にも、信じる心だけはあります。その心こそが永遠に輝く仏の光なのです」と御仏の慈悲をお話になりました。左衛門はその夜のうちに親鸞聖人のお弟子となりました。
園内にはこんなのが一杯。なかには親鸞とまるで関係ないものも。
左<法然上人の桜ヶ池大蛇入定>〜あまりの大きさにビックリする俺
中<日吉丸矢作橋出世の糸口> 〜これって、豊臣秀吉の話ですけど
右<蓮如聖人の肉つきの面>
STORY:大の仏法嫌いである老婆は、鬼の面をかぶって信心深い嫁をおどかしますが、どういうわけか鬼の面が外れなくなってしまいました。しかし、蓮如上人のありがたい教えに思わず手を合わせ念仏を唱えると、鬼の面はポロリと取れたのです。
どう考えても珍スポットな五色園ですが、こうしたエピソードは、昔は庶民がみんな知ってる話だったんですね。
それがいつの間にか忘れ去られてしまったわけです。
時代に応じて、常識的な知識も変わっていく。そのことを肝に銘じて、『親鸞聖人御一代記図会』『蓮如上人御一代記図会』(ともに大正14年)から関連画像を公開しておきます。
制作:2003年1月13日
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