南京大虐殺記念館

南京大虐殺記念館
いきなり犠牲者30万人と宣言されても……

 昭和12年(1937)12月13日、日本軍は中国・南京を攻略、その際、数多くの市民を虐殺しました。兵士は略奪、放火、強姦と蛮行の限りを尽くし、市内には死体の山があふれたと言われています。

 で、虐殺された人数ですが、

 ●49人(板倉由明「本当はこうだった南京事件」=小林よしのり「戦争論2」より孫引き)
 ●1万5千人(2000年1月に開催された「20世紀最大の嘘『南京大虐殺』の徹底検証」研究会の1見解)
 ●8万4千人(日本軍発表の遺棄死体数。小学館の百科事典による)
 ●15万人(現地の慈善団体が記録に残した埋葬数の合計。小学館の百科事典による)
 ●30万人(中国側の公式見解)


 などと、数字は立場によってバラバラ。実際の数字は定かではありませんが、いまや南京大虐殺は中国の外交カード(あるいは政治闘争)に利用されていて、何だかなぁといった感じです。もちろん虐殺がなかったとは言いませんが、このまま21世紀まで責め続けられるのツライものがあります。

 先日、南京市内のホテル建設中に、大虐殺記念碑が壊されたというニュースがありました。一部市民が抗議して大騒動になりましたが、一般人にとっては、もはや遠い過去の事件でしかないようです。
 しかしまぁ、日本人としては、目をつぶるわけにはいかないでしょうね。というわけで、現地の大虐殺記念館(侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館)に行って来ました。
 虐殺に関する判断はここではしませんが、それにしても日本はいったいいつまで“戦後処理”に悩まされるんでしょうか???


南京大虐殺記念館
まずは犠牲者の人骨の山を見て


南京大虐殺記念館
入口には悲しげなご婦人


南京大虐殺記念館
館内には被害写真がたっぷりと



 参考までに、館内のパネルに書かれてあった南京大虐殺の解説を全文掲載しておきましょう(以下、原文のまま)。

《日本軍は南京を占領したのち、武力をもって中国を抑えつけ、三か月で中国を滅ぼすために、兵隊を一般市民を殺害するのに放任し、テロを作り、計画的に集団虐殺をはじめたのである。
 日本軍によってむざんに集団銃殺にされ遺体を焼かれいんめつされたものは19万人あまりに達しており、日本軍に個々に殺害され、その遺体を慈善機構によって埋葬された者は15万余人であって、虐殺されたわが同胞の総人数は30万人以上に及ぶ》

 記念館の売店では虐殺当時の写真集なども販売されていました。本サイトでは画像を引用公開しませんが、非常に生々しいので、これはぜひゲットするといいでしょう(ただし捏造写真が多いので要注意)。
 なお、これまた参考までに、被害者証言集「この事実を……」から王玉華さん(女・57歳)の証言を転載しておきます(原文のまま)。

《日本の帝国主義が南京に侵入した時、わたしの家は和平門でした。1937年の12月11日に、家の八人はみんな家で隠れていました。朝、起きたばかりに、日本兵何人かが闖入して来て、ボタンを外せと命令し全身捜査をやりましたが、父が動作が遅いので、日本兵が銃剣で父をその場で突っつき殺し、大伯父も機関銃で撃ち殺されました。伯母は日本兵に輪姦された後、サイダーの瓶を下半身に挿し込まれ、活きたまま苛め殺されました。母は日本兵に輪姦されてから障害者に成ってしまいました。最後に、家の建物が日本兵に火を放たれ焼き尽くされました》


 どうでもいいのだが、なぜサイダーの瓶を?? まぁこの証言集も捏造の可能性が高いので、全面的に信じないように!!

更新:2001年11月9日


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