「黄金の国」Zipanguへ!
菱刈金山

《ジパングは大陸から2400キロ離れた大きな島で、黄金は無尽蔵にある。宮殿の屋根はすべて黄金でふかれており、宮殿内の道路や部屋の床には、厚さ4センチの純金板がしきつめられている。窓さえ黄金でできていて、その価値は計り知れない》(マルコポーロ『東方見聞録』)

 日本が今もこれだけリッチだったらな〜、この不景気の時代だからこそ、ちょっと夢を見て見よう!

菱刈金山
なぜかカッパがお出迎え

 鹿児島県にある菱刈金山は、現在、国内金産出量のほぼ9割を占めています。鉱石1トンあたり約50〜60グラムの金品位を誇る、世界でも有数の金鉱脈。ちなみに金の埋蔵量は250トンと推定されています。
 というわけで、道ばたに金のかけらでも落ちてないかな〜と思って(笑)、行って来ました、菱刈へ。


菱刈金山 菱刈金山

 この山の向こうに大量の金が眠る。なんの変哲もない田舎の風景で、ちと残念。
 ちなみに「せっぺとべ」とは“一生懸命”という意味です。
 
 ここまで来たからには、やっぱり鉱山の中に入りたいなー。でも、案の定、警備のおじさんに追い払われてしまいました。
 ホントはね、その昔、俺にも「就職活動」という時期があって、第1希望が住友金属鉱山でした。面接で「金掘りたいんです!」と言い続けて言い続けて、残念ながら最終面接で落とされました。うーん、金掘りたかったのになぁ……。

 
 え〜、さて。実はここからが本題。
 
 冒頭の「黄金の国ジパング」をマルコポーロが書いたのは、今から700年前のこと。本当かよ、と文句の一つも言いたくなりますが、実は、それから200年ほどたつと、灰吹き法と呼ばれる精錬法が伝わり、日本は世界有数の金銀産出国となったのでした。

 灰吹き法とは、金銀鉱石を鉛と一緒に加熱すると、金と銀が鉱石を離れて鉛と結合。これを動物の骨の上でさらに加熱すると、骨に含まれるリンと鉛が結合し、純度の高い金銀が取り出せる仕組みです。

 問題はこの後で、戦国時代から江戸時代初期にかけて、日本から海外へ600万キロ近い銀が流出したと言われるんですね。どういうことかというと、日本は外国から生糸を輸入し、銀で支払っていたわけです。これだけなら貿易だから問題ないんです。ところが……

 このころ、日本では金1=銀7.8の交換比率だったのが、中国では金1=銀5.4だったそうで、つまり日本で銀をゲットして中国で金に交換するだけで、莫大な利益を生んだのでした。

 念のためもう一度書いておくと……
 金1キロ分の生糸を日本で売る=7.8キロの銀をゲット
 中国で銀5.4キロを金1キロに替えると、あら不思議、手元には金1キロと銀2.4キロが!
(もちろん手数料は除きます)

 外国人(とくにポルトガル人)にとって、まさに日本は「黄金の国」というわけです。この銀の流出を防止するため、幕府は鎖国政策を採るのでした。


 でだ、それから200年たってついに開国すると、今度は同じ手法で金が大量流出してしまうのです。
 当時、国際通貨は洋銀(メキシコドル銀貨)で、公定レートは

 洋銀1枚=一分銀3枚

 でした。これは銀の含有量がほぼ同じだったからですが、国内では一分銀4枚=天保小判1枚(1両)という交換比率だったため、あっというまに小判が流出しました。世界標準で金1=銀15の交換比率が日本では金1=銀5とおよそ3分の1だったわけです。

 為替に無知だった日本は、こうして、またも大損してしまうのでした。

「黄金の国」ジパングを食い物にした為替差損という“妖怪”。もちろんこの妖怪は現在でも生きていて、日本がいくら貿易で稼いでも、ヘッジファンドなどの為替操作によって、その利益を“搾取”され続けているのです。これが「マネー敗戦」の歴史です。


制作:2002年6月1日

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