鉄道唱歌・北陸編
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地理教育鉄道唱歌(四)
北陸編
上野〜長野〜新潟〜金沢
一 車輪のひびき笛の声 みかへる跡に消えて行く
上野の森の朝月夜 田端は露もまださむし
二 見あぐる岸は諏訪の台 それにつづきて秋の夜は
道灌山(どうかんやま)の虫のねを ここまで風や送るらん
三 見よや王子の製紙場 はや窓ちかく来りたり
すきだす紙の年にます 国家の富もいくばくぞ
四 春はさくらの飛鳥山 秋は紅葉の滝の川
運動会の旗たてて かける生徒のいさましさ
飛鳥山(左)と滝野川(明治時代中期)
五 まもなくきたる赤羽は 品川ゆきの乗替場
目白目黒の不動にも よれや序(ついで)の道なれば
六 蕨(わらび)すぐれば浦和にて その公園は調の宮(つきのみや)
埼玉県の県庁も この地にこそは置かれたれ
七 大宮おりて八九丁 ゆけば氷川の公園地
園は蛍に名も高く 宮は武蔵の一の宮
八 上尾桶川鴻の巣に 近き吉見の百穴は
古代穴居(けっきょ)の人のあと 見るも学びの一つなり
九 吹上すぎてながめやる 熊谷土手の花ざかり
次郎直実(なおざね)生れたる 村の名今につたへたり
一〇 深谷本庄神保原 左に雲のあひだより
みゆる秩父のふもとなる 大宮までは馬車もあり
一一 はや新町も倉賀野も またたくひまに行きすぎて
今ぞ上州高崎の 繁華の町につきにける
一二 町の東北前橋へ 汽車にてゆけば十五分
群馬県庁所在の地 上野(こうずけ)一の大都会
一三 若葉紅葉によしときく 伊香保の温泉榛名山
高崎よりは程ちかし 避暑にも人のゆくところ
伊香保温泉入口
(手前は明治43年に作られた物聞橋)
一四 みわたすかぎり青々と 若葉波うつ桑畑
山のおくまで養蚕の ひらけしさまの忙がしさ
一五 線路わかれて前橋の かたにすすめば織物と
製糸のわざに名も高き 桐生足利とほからず
一六 高崎いでて安中の つぎは磯部の温泉場
うしろをゆくは碓氷川(うすいがわ) まへに立てるは妙義山
一七 鉾(ほこ)か剣か鋸(のこぎり)か 獅子か猛虎か荒鷲か
虚空に立てる岩のさま 石門たかく雲をつく
一八 あとに見かへる松井田の 松のみどりもかげきえて
はや横川につきにけり おりよ人々水のみに
一九 これより音にききゐたる 碓氷峠のアブト式
歯車つけておりのぼる 仕掛は外にたぐひなし
二〇 くぐるトンネル二十六 ともし火うすく昼くらし
いづれば天地うちはれて 顔ふく風の心地よさ
二一 夏のあつさもわすれゆく 旅のたもとの軽井沢
はや信濃路のしるしとて 見ゆる浅間の夕煙
二二 くだる道には追分の 原とよばるる広野あり
桔梗(ききょう)かるかや女郎花(おみなえし) 秋の旅路はおもしろや
二三 御代田小諸とすぎゆけば 左に来る千曲川
立科山(たてしなやま)をながれ出て 末は越後の海に入る
二四 諏訪の湖水をみる人は 大屋をおりて和田峠
こゆれば五里の道ぞかし 山には馬も駕籠(かご)もあり
二五 上田をあとに走りゆく 汽車は坂城(さかき)に早つきぬ
川のあなたにながめやる 山は姥捨月見堂
二六 田毎の月の風景も 見てゆかましを秋ならば
雲をいただく冠着(かむりき)の 山はひだりにそびえたり
二七 屋代篠井(しののい)うちすぎて わたる千曲と犀川の
間の土地をむかしより 川中島と人はよぶ
二八 ここに龍虎のたたかひを いどみし二人の英雄も
おもへば今は夢のあと むせぶは水の声ばかり
二九 長野に見ゆる大寺は 是ぞしなのの善光寺
むかし本田の善光が ひろひし仏なりとかや
左:善光寺「御本堂御開帳行列之図」(大正13年) 。右は同時期の仁王門
三〇 ここにとどまるひまあらば 戸隠山にのぼり見ん
飯綱の原のほととぎす なのる初音もききがてら
三一 豊野と牟礼と柏原 ゆけば田口は早越後
軒まで雪の降りつむと ききし高田はここなれや
三二 雪にしるしの竿たてて 道をしへしも此あたり
ふぶきの中にうめらるる なやみはいかに冬の旅
三三 港にぎはふ直江津に つきて見そむる海のかほ
山のみなれし目には又 沖の白帆ぞ珍しき
三四 春日新田犀潟(さいかた)を すぐれば来る柿崎の
しぶしぶ茶屋は親鸞の 一夜宿りし跡と聞く
三五 鉢崎すぎて米山の くぐるトンネル七つ八つ
いづれば広きわたの原 佐渡の国までくまもなし
三六 みわたす空の青海川 おりては汐もあみつべし
石油のいづる柏崎 これより海とわかれゆく
三七 安田北条来迎寺 宮内すぎて長岡の
町は名だたる繁華の地 製油の烟(けむり)そらにみつ
三八 汽車の窓より西北に ゆくゆく望む弥彦山(やひこやま)
宮は国幣中社にて 参拝男女(なんにょ)四時たえず
三九 弥彦にゆくは三条に おりよと人はをしへたり
吾身(わがみ)は何も祈らねど いのるは君が御代のため
弥彦神社(戦前)
四〇 加茂には加茂の宮ありて 木の間の鳥居いと清く
矢代田駅の近くには 金津の滝の音たかし
四一 十一年の御幸の日 かたじけなくも御車を
とどめ給ひし松かげは 今この里にさかえたり
四二 もみぢは新津秋葉山 桜は亀田通心寺
わするな手荷物傘鞄 はやここなるぞ沼垂(ぬったり)は
四三 おるればわたる信濃川 かかれる橋は万代の
名も君が代とときはにて 長さは四百数十間
新潟万代橋(戦前)
四四 川のかなたは新潟市 舟ゆく水の便(たより)よく
わたせる橋をかぞふれば およそ二百もありとかや
四五 春は白山公園地 一つににほふ梅桜
夏は涼しき日和山(ひよりやま) 鯛つる舟も目の前に
四六 汽船の煙海をそめ 商家の軒は日をおほふ
げにも五港の一つとて 戸数万余の大都会
四七 新潟港を舟出して 海上わずか十八里
佐渡に名高き鉱山を 見てかへらんも益あらん
四八 佐渡には真野の山ふかく 順徳院の御陵(ごりょう)あり
松ふく風は身にしみて 袂(たもと)しぼらぬ人もなし
四九 波路やすけく直江津に かへりてきけば越中の
伏木にかよふ汽船あり いざのりかへて渡海せん
五〇 富山は越中繁華の地 ここよりおこる鉄道は
加賀越前をつらぬきて 東海道にであふなり
五一 薬に名ある富山市は 神通川の東岸
はるかに望む立山は 直立九千九百尺
五二 商業繁華の高岡を すぎて福岡石動(いするぎ)の
次に来るは津幡駅 七尾にゆかば乗りかへよ
五三 加賀越中の境なる 倶利伽羅山(くりからやま)は義仲が
五百の牛に火をつけて 平家攻めたる古戦場
五四 津幡七尾の其間 すぎゆく駅は八九箇所
邑智(おうち)の潟の青波に さをさす舟も羨まし
五五 七尾は能登の一都会 入海ひろく舟おほし
ちかき和倉の温泉は 町きよらかに客たえず
五六 津幡にかへり乗りかへて ゆけば金沢ステーション
百万石の城下とて さすが賑ふ町のさま
五七 名も兼六の公園は 水戸岡山と諸共(もろとも)に
かぞへられたる吾国の 三公園の其一つ
兼六園(戦前)
五八 柳みどりに花赤く おちくる滝の水白し
雲にそびゆる銅像は 西南役の記念碑よ
五九 第九師団も県庁も 皆此町にあつまりて
海の外までひびきたる その産物は九谷焼
六〇 松任(まつとう)美川うちすぎて わたる手取の川上に
雪を常磐の白山は 雲まにたかく聳(そび)えたり
六一 小松の北におとたかく ながるる水は安宅川(あたかがわ)
安宅の関は何くぞと 問はば嵐やこたふらん
六二 折りたく柴の動橋(いぶりはし) 武士が帯びたる大聖寺
こころ細呂木(ほそろぎ)すぎゆけば いろはの金津むかへたり
六三 三国港の海に入る 日野川こえて福井駅
ここに織り出す羽二重(はぶたえ)は 輸入の高も数千万
六四 大土呂鯖江あとにして 武生(たけふ) 鯖波はしりゆく
汽車は今こそ今庄に つきて燧(ひうち)の城も見つ
六五 海のながめのたぐひなき 杉津(すいづ)をいでてトンネルに
入ればあやしやいつのまに 日はくれはてて暗(やみ)なるぞ
六六 敦賀はげにもよき港 おりて見てこん名どころを
気比(けひ)の松原気比の海 官幣大社気比の宮
気比神宮(戦前)
六七 身を勤王にたふしたる 耕雲斎(こううんさい)の碑をとへば
松の木かげを指さして あれと子供はをしへたり
六八 疋田柳瀬中ノ郷 すぎゆく窓に仰ぎみる
山は近江の賤ヶ嶽(しずがたけ) 七本鎗の名も高し
六九 豊太閤(ほうたいこう)の名をとめし 轡(くつわ)の森は木の本の
地蔵と共に人ぞ知る 汽車の進みよ待てしばし
七〇 縮緬(ちりめん)産地の長浜に いでて見渡す琵琶の海
大津にかよふ小蒸気は 煙ふきたて人をまつ
七一 駅夫の声におどろけば 眠はさめて米原に
つきたる汽車の速かさ みかへる伊吹雲ふかし
七二 おもへば汽車のできてより 狭くなりたる国の内
いでし上野の道かへて いざやかへらん新橋に
制作:2001年12月24日
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