満州国「三都物語」
奉天の歴史写真

奉天日本総領事館
奉天日本総領事館
(1912年完成、現・瀋陽市迎賓館)


 2002年、中国・瀋陽の日本総領事館で北朝鮮人民の亡命事件が起き、大騒動になりました。この問題が大きくなった原因の1つに、亡命の瞬間が撮影されてたことがあります。しかし、それ以上に、場所が瀋陽だったからというのも大きな理由だと思われます。なにせこの街は、満州事変のきっかけとなった場所です。中国人にとって反日の中心地みたいなもんですからね。
 領事館側が門を開けておいた理由を「威圧感を与えないため」としていましたが、なるほど、地元民の感情を考えたら確かにうなづける話です。
 
 というわけで、瀋陽が満州国の奉天だった時代の写真を一挙公開しときます。

奉天駅
奉天駅(1910年完成、現在の瀋陽南駅)

 明治42年(1909)にこの街を訪れた夏目漱石の紀行文を引用しておきましょう。

《(奉天)停車場には宿屋の馬車が迎えに来ていた。やはり泥の中から掘出して、炎天で乾かしたように色が変っている。荷物と人間をぐるに乗せて、構内を離れるや否や、御者が凄じく鞭を鳴らした。峠を越す田舎の乗合馬車よりも手荒な取扱方である……(中略)……御者はもちろんチャンチャンで、油に埃の食い込んだ辮髪(べんぱつ)を振り立てながら、時々満洲の声を出す。余は八の字を寄せて、馬の尻をすかしつつ眺めた。そうして、みだりに鞭を瘠(や)せ骨に加えて、旅客の御機嫌を取るのは、女房を叱って佳賓(まろうど=客)をもてなすの類だと思った》(『満韓ところどころ』)

奉天神社 奉天忠霊塔 東洋拓殖奉天支店
左:奉天神社(天照大神と明治天皇を祀っていました)
中:忠霊塔(日露戦争から満州事変まで3万5000人の英霊を祀る。左奥は現存する給水塔)
右:東洋拓殖奉天支店(満州事変時には関東軍司令部が置かれた。現存)


 以下、日本軍と関係する画像を一挙公開!

<日露戦争>
満州軍総司令部が奉天入城
明治38年(1905)3月15日、満州軍総司令部が奉天入城。先頭から4人目が大山元帥。

<満州事変>
柳条湖事件 柳条湖事件
左: 柳条湖事件(昭和6年9月18日の満鉄爆破)の現場写真。鉄道爆破といいつつ、線路に被害なし。
右:中国人犯人説の証拠書類とされたもの(「午前二時実行」「秘密的」といった文面に注目)

柳条湖事件
柳条湖事件を契機に奉天を占領した日本軍


満州建国
そして満州建国!
(昭和9年、奉天市内の新国旗宣伝)


 前述の紀行文で、漱石は、奉天に伝わるこんな伝説を紹介しています。面白いので引用しておきます。

《茶を飲むと、酸(す)いような塩はゆいような一種の味がする。少し妙だと思って、茶碗を下へ置いてゆっくり橋本の講釈を聞いた。その講釈によると、奉天には昔から今日に至るまで下水と云うものがない。両便の始末は無論不完全である。そこで古来から何百年となく奉天の民が垂れ流した糞小便が歳月の力で自然天然に地(じ)の底に浸み込んで、いまだに飲料水に祟りをなしているんだと云う……(中略)……いかにも汚ない国民である》


制作:2002年5月20日

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