児雷也の歴史
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漫画の歴史
史上最高のキャラクター:自来也の世界
『児雷也豪傑譚』表紙、3代豊国画、1859
『週刊少年ジャンプ』に連載されている人気マンガ『NARUTOーナルトー』にはいろんな忍者が出てきますが、伝説の3忍の1人でナルトの師匠が、自来也(じらいや)という忍者です。
いったい自来也って何者なんでしょう?
自来也は児雷也とも書くんですが、江戸時代後期の読本に登場する架空の盗賊忍者です。蝦蟇(ガマ)の妖術を使って大活躍する、いわば日本初のスーパー・キャラクターです。本から歌舞伎などにも進出したことから、メディアミックスの先駆けとも言えます。
大ガマを使う児雷也(『児雷也豪傑譚』より、3代豊国画、1847)
自来也が初めて登場するのは、山東京伝や滝沢馬琴の弟子である感和亭鬼武
(かんわていおにたけ)が文化3年(1806)に刊行した『自来也説話』(じらいやものがたり)です。
ストーリーを超簡単に書いておくと……
霊薬「西天艸(せいてんそう)」を盗んで不死身となった鹿野苑(ろくやおん)軍太夫。軍太夫に討たれた武士の遺児・勇侶吉郎(いさみともきちろう)を義賊・自来也が助け、仇討ちさせる!
その後、自来也は越後の妙香山の仙人から蝦蟇(がま)の術を授かり、主家の敵を攻撃するが、江ノ島の弁天が与えた「石の法螺貝」で術を見破られ、あぁ自滅するのであった……!
自来也の正体は肥後(熊本県)の豪族の遺児・尾形周馬(おがたしゅうま)で、お家再興のため働いているわけです。
この物語は大人気となり、その後、様々なバージョンが登場します。なかでも1839年に初版が出た美図垣笑顔(みずがきえがお)の合巻『児雷也豪傑譚(ものがたり)』では、じゃんけんの構図を利用して巧みに話を進めています。
どういうことかというと、自来也の妻は越中(富山県)立山に住む蛞蝓(かつゆ)仙人からなめくじの妙術を得た美女綱手(つなで)で、最大の敵は青柳池の大蛇から生まれた大蛇丸(おろちまる)。つまり、蝦蟇・蛇・なめくじの3虫3すくみ(じゃんけん)の構図が読者を魅了したのです。
蛞蝓仙人の依頼で大蛇を退治する(『児雷也豪傑譚』より、歌川国芳画、1859)
自来也の物語はあまりの人気でいつまでも終わらず、ついに作者も代わって、30年近く無理やり続きます。まるで今、『少年ジャンプ』の人気連載がいつまでも終わらないように(笑)。
そして、自来也の物語は嘉永5年(1852)に河竹新七(黙阿弥)が歌舞伎に脚色し、8代目団十郎が自雷也を演じて大評判となります。大正時代(1921)には映画にもなって、すべての子供たちのヒーローとなったのでした。ちなみにこの映画『豪傑児雷也』は、日本初の特撮映画とも言われています。
普通は大ガマの妖術を使う児雷也ですが、これは例外。大鰐鮫になって、しかも分身の術!
追っ手の船を沈没させたシーンです(『児雷也豪傑譚』より、歌川国貞、1842)
これまで殺してきた人間の生首に囲まれる無暗軍太左衛門。
悪事を人前で話してしまう奇病にとりつかれるが、後に児雷也の指揮の下、
殺害した夫婦の遺児から仇討ちされる(『児雷也豪傑譚』より、3代豊国画、1849)
制作:2008年7月1日
<おまけ>
余談ですが、自来也のストーリーは、中国の宋の沈俶(しんしゅく)がまとめた説話集『諧史(かいし)』(『古今説海』所収)や『類書纂要』巻21に出てくる盗賊「我来也」の説話から発想したとされています。我来也は盗みに入った家の壁に「我、来たるなり」と書き記したという実在の盗賊です。
生首をくわえたガマガエル。後の児雷也のイメージに影響を与えた?(『敵討天竺徳兵衛』山東京伝作、初代豊国画、1808年)