驚異の「カジメ」世界
火薬、人造イクラ、そして放射性物質の除去まで

カジメ
これがカジメ


 震災で福島第1原発が爆発し、放射能漏れが起きたとき、甲状腺に放射性ヨウ素が吸収されないよう「安定ヨウ素剤」を服用せよ、という話がありました。
 安定ヨウ素剤はヨウ素(ヨード)とカリウムが原料です。

 カリウムは、ラテン語のkalium(灰)が語源で、昔から草木や海草を燃やすとできるとわかっていました。また、ヨウ素は、海藻の灰から抽出されることが200年前から知られていました。
 つまり、海草を燃やせば、ヨウ素もカリウムも作れるんですな。

 この海草というのは、昆布でも海苔でもなんでもいいんですが、いちばん製造に向いているのは「カジメ(搗布)」という海草です。
 カジメは関東以南の太平洋岸から四国、九州に分布していて、似た海藻のアラメとともに、かつては食用にもなりました。余談ですが、アワビはカジメが大好きで、カジメ約15kgを食べると、アワビの体重が1kg増えることがわかっています。

 アラメは食用以外、あんまり用途がないんですが、カジメは非常に有用な海草です。
 カジメから採れるのは、前述の通り、ヨウ素やカリウムですが、それ以上にアルギン酸が大量に採れるからです。
 アルギン酸は海草のネバネバに含まれている物質で、1881年、イギリスのスタンフォードが発見しました。日本では東京工業試験所で製造法の研究が始まり、昭和15年には国策5社でアルギン酸製造が始まっています。

 アルギン酸(特にアルギン酸ナトリウム)は非常に多くの用途があります。
 食品分野では、ジャムやカップラーメン、パンの増粘剤、アイスやドレッシングの安定剤、ソフトドリンクの乳化剤として。食物繊維としてダイエット食品にも使われます。
 医療分野では止血剤や軟膏、手術糸、バリウム造影剤として。工業分野では繊維加工や水性塗料として。辞書の紙の表面がツルツルしてるのもアルギン酸のおかげです。


 アルギン酸ナトリウムの用途はわかったけれど、今ひとつ意味がわからないと思うので、面白い実験を公開しておきます。

 ビーカーを2つ用意して、片方に塩化カルシウム溶液、もう片方にアルギン酸ナトリウムをエタノールで溶かした溶液を入れます。
 このままでは無色透明のため、赤と黄色の着色料で深い紅色にしておきます。そして、塩化カルシウムのビーカーに赤く染まったアルギン酸ナトリウムを1滴ずつ垂らしていくと……赤い溶液は丸い形を作りながら、次々に固まっていくのです。実は、これが人造イクラの正体です。

人造イクラ → 人造イクラ
人造イクラ(このままでは無味無臭)
 
 
 要はアルギン酸が「ゲル化剤」として機能してるんですが、まぁ、ゼラチンや寒天みたいなもんです。重要なのは、これによって初めて液体をゼリー状に固め、その液体を別な場所に運ぶことが可能になった点です。

人造イクラ
カラフルなボールも作れます


 今から25年ほど前の新聞に、「人造イクラ」の発明に関する記事が掲載されています。

《透明感のある朱色といい、プチッとした歯ごたえといい、北海道の漁師でさえ、本物と区別がつかなかったというこのコピー食品のイクラは、ひょんなきっかけから、世に出た。夏には、蜃気楼も見られる富山県魚津市の日本カーバイド工業魚津工場。人造イクラ誕生のヒントは、この工場で、工業用接着剤のカプセルを研究中、生まれた。
「カプセルとしては失敗作だったが、溶液がカエルの卵のような玉で転がり出た瞬間でしたね」。同社の技術スタッフの1人は、当時のひらめきをこう説明する。その1年後の(昭和)55年、海藻に含まれるアルギン酸ナトリウムを寒天状にして、細い管から1滴ずつ凝固液に落下させ、粒にする製造法に到達した。着色、味付けも本物に近づけた。
「原理は、表面張力の応用。雨だれが、葉っぱの上に落ち、水滴になるのを想像してください。これ以上は、企業秘密です」》(読売新聞1987年10月14日付)


 この人造いくらは、後に健康自然食品「つぶつぶ」の名称で年10トン近く出荷されました。値段は本物の半値以下だったためそれなりの人気を集めましたが、現在ではサケの養殖が進み、本物のいくらの値段が暴落、人造いくらはほとんど販売されていません(低コレステロールの病院食としてわずかに存在してるみたいです)。


 さて。
 前述したとおり、アルギン酸は液体をゼリー状に固め、膜で包むことに成功しました。その後、この膜をどんどん小さくしていくことで、これまで誰も想像しなかった技術開発が進みます。膜(粒)を小さくしていくことをマイクロカプセル化といい、膜の成分にはアルギン酸以外に、アガロース、ポリリジン複合体、ゼラチンなどが使われますが、それによって何が実現できるようになったのか?

 たとえば武田薬品の主力製品に「リュープリン」という前立腺がんの治療薬があります。抗がん剤は、体内に長期間にわたって一定量が残る必要があるので、従来は毎日注射が必要でした。しかし、リュープリンには薬剤の入ったマイクロカプセルが含まれており、このマイクロカプセルが徐々に溶けることで(「徐放化」といいます)、長期間の薬剤投与が簡単になったのです。

 この徐放化は、芳香剤や農薬を一気に放出せず、長期間効果を保たせることを可能にしました。口紅に使えば、落ちない口紅が作れます。
 また、2枚の樹脂フィルムの間に、プラスに帯電した白い微粒子とマイナスに帯電した黒い微粒子をマイクロカプセルに入れて挟み込めば、電気で微粒子を動かし、文字や画像を表示することが可能です。これが電子インクや電子ペーパーです。

 もっとすごいのが、生きた細胞をアルギン酸でくるんで、これを3Dプリンターで打ち出す技術です。現在では、異なるタイプの生きた細胞を打ち出してチューブ状の形を作ることが可能です。これがそのまま人工血管になるわけではありませんが、実現もそう遠い話ではないでしょう。いつの日か、コンピュータで設計した生きた人造心臓が作れるようになるかもしれません。


 そんなわけで、本サイトの管理人は、憧れのカジメを実際に採ってみることにしました。もちろん、漁業権があるから勝手には採れないので、千葉県のある漁師さんにお願いしてみたところ、ほら! 海から引き揚げた網に大量に引っかかってる大きな海草。太い幹の先がいくつにも分かれている黒いやつがカジメです(茎が2つに分かれているとアラメ)。

カジメ
カジメ採った!


 かつて、それなりの収入をもたらしたカジメですが、アルギン酸製造の多くが外国に移ったいまでは、まったく価値のない海草となっています。むしろ伊勢エビ漁などを邪魔する厄介者扱い。カジメも、自身の不遇を嘆いているかもしれませんね。


制作:2013年3月11日


<おまけ>
 日本では、海藻が豊富な北海道で、カリウム、ヨード、アルギン酸などの製造が盛んでした。
 1812年、フランスで海藻を原料としたヨード生産が始まり、この技術が明治初期に日本に伝来。たとえば根室では、明治25年に昆布漁のかたわらヨード製造が始まりました。ヨードチンキ(赤チン)は軍隊でも使われた有名な殺菌薬ですね。
 明治30年代になると、カリウムの需要が大幅に増えました。火薬は硝酸カリウムや硝酸アンモニウム(硝安)が必要で、日清戦争直前から第一次世界大戦までおいしい商売となりました。その後、海草からの製造は廃れていきますが、根室が火薬の原料で儲けてたって、面白い話ですな。

<おまけ2>
 アルギン酸には、放射性ストロンチウムの排泄を促進させる効果があります。また、セシウムはカリウムと化学的な性質が近く、体内への蓄積や排出のメカニズムが似ています。いまでは役立たずのカジメを使って、そのうち放射性物質を排出する新薬ができるかもしれません。

有用海草とその用途
有用海草とその用途(画像クリックで拡大。1929年、中央がカジメ)
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