昭和21年(1946)
2月 8日 天皇の統治権を認める「松本(烝治=じょうじ)試案」、GHQに提出
2月13日 GHQ、「松本試案」を拒否し草案を提示
2月15日 白洲次郎「ジープウェイ・レター」でGHQ案に抵抗
《アメリカと日本は憲法改正という同じ目的地を目指していますが、たどるルートがまるで違うのです。アメリカは真っ直ぐでダイレクトな道を選びますが、日本は細い回り道を選ぶのです。アメリカを空路とするなら、日本はジープで行く悪路(ジープウェイ)なのです。……ですから日本では何事もゆっくり慎重に物事を進めないとならないのです》
3月 6日 政府、GHQ案を翻訳した憲法改正草案を発表し、承認される
10月 7日 日本国憲法成立
10月29日 天皇陛下臨席の下、枢密院本会議が新憲法を可決(写真中央が天皇陛下)
11月 3日 新憲法公布。マッカーサーは「新憲法は新日本建設の確固たる礎石」と評価。
昭和22年(1947)
5月 3日 新憲法施行。作家・永井荷風は
「米人の作りし日本国憲法今日より実施の由。笑ふべし」と書いていますが、普通の庶民は大熱狂(写真は施行記念祝賀会)。
昭和25年(1950)
1月 1日 マッカーサー「年頭の辞」で日本の自衛権を承認
《日本はただ憲法に明示された途(みち)を迷わず、揺(ゆる)がず、ひたすら前進すればよい……この憲法の規定は日本人がみずから考え出したものであり、もっとも高い道義的理想にもとづいているばかりでなく、これほど根本的に健全で実行可能な憲法の規定はいまだかつてどこの国にもなかったのである。
この憲法の規定はたとえどのような理屈をならべようとも、相手側から仕掛けてきた攻撃にたいする自己防衛の冒しがたい権利を全然否定したものとは絶対に解釈できない》
7月 8日 GHQ、国家警察予備隊(後の自衛隊)の設立を指示
現在まで続く自衛隊論争の萌芽は、まさにマッカーサーの言葉の中にあったんですねぇ。
参考までに、これが明治憲法発布式(桜田門外の装飾)
明治22年(1889)2月11日
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