日本初の個人投資家が教える「起業の教科書」
アップルの創業者スティーブ・ジョブスは、2005年6月、スタンフォード大学の卒業祝賀スピーチで次のように語っています。
「人生には時にひどいことも起こるけれど、信念を放り投げちゃいけない。私がくじけずにやってこれたのは、ただ1つ、自分のやっている仕事が好きだという気持ちがあったから」
あなたも自分の仕事が好きなら、頑張ってその会社を大きく大きく育てていってほしいと思います。
第1節 成功のために何をすべきか
これまで述べたことを整理すると、起業するためには、
●起業家の思い、志、ビジョンのもとに作られたビジネスモデル
●ビジネスプラン
●資本政策
の3点セットだけでなく、
●慎重な上にも慎重な準備
●他人が見てわくわくする魅力と、どきどきする多くのリスク
が必要であることがわかるでしょう。
これらがそろえば必ず成功するという保証はありませんが、少なくとも失敗の危険が少なくなることは間違いありません。あと忘れてならないのは起業家のコーポレートガバナンス(企業統治=順法精神)です。
倫理観のない経営にならないためには、創業の当初から、起業家自らが法を守り、倫理観のある経営を行い、公私を峻別して、周りの模範となるよう心がけることです。
では、それでも失敗するリスクとは何でしょうか。
この最終章では、そのリスクについて考えてみたいと思います。
まず、成功の確率を上げるためにはどうすればよいかを考えてみましょう。上記した3点セットは、いわば起業家の一方的な思いの表現ともいえます。自分で考えたタネをビジネスとしてモデル化し、それを実現する計画を立て、それを実行するための資金を見積もったのです。
成功する起業であるためにはそのビジネスモデルが顧客に受け入れられ、市場が成長して、事業がそれとともに成長できなければなりません。すなわち、ビジネスモデルの検証と、市場顕在化の確認です。
実際にはビジネスモデルの検証は、競合が存在するか、競合に対してどれだけ差別化できるか、マネされても十分な売上げを上げられるだけの市場規模があるか、あるいはマネされない仕掛けができるか、といったマーケティング調査で行います。
仮に競合が存在しない場合は、市場が顕在化しないリスクが大きいからではないかと疑ってみることも必要です。
市場があっても小さすぎて参入の意味がない、いわゆるニッチ市場の場合もあるでしょう。ニッチ市場を独り占めにして利益を上げるというのも1つのやり方ですが、大きな成功は望めません。
大きな市場が存在しても、市場拡大の速度とタイミングを見間違うと、投資が早すぎて回収する前に資金不足に陥る、逆に投資が遅すぎて競合にシェアをとられるなどの失敗につながります。大きな市場があったのに、顕在化の時期を見誤って資金不足に陥った例は、デジタルテレビのテラロジック(19)の例で見ました。
すでに大きなシェアを持った競合が存在するのに、市場が大きいから小さいシェアでも売上げをあげられると考えて参入する例はたくさんありますが、ことごとく失敗に終わっています。
インターネットモールの楽天の成功を見て、新たなモールを作ろうとしたベンチャーもたくさんありますが、成功した例は1つもありません。
第2節 最も大切なマーケティング
起業家に多く見られるマーケティング軽視の傾向は、技術系に限ったことではありません。日本にはマーケティングの文化がなく、セールスとの区別もできていないのが現状です。
マーケティングはひと言で言えば商品として売れるものを開発することです。売れてなおかつ利益を出すのがマーケティングであると言えるでしょう。
起業家がいくら優れていると信じても、それを買ってくれる人がいなければ事業として成功はしません。商品をマーケティングするのではなく、売れるはずというミッションをマーケティングするのはとても時間のかかることで、ベンチャーには不向きです。
それでは売れる商品を作るにはどうすればよいのでしょう。
まず、同種の商品があるか、あればそれはなぜ売れているのか、買い手が不満を持っていないか、を売り場で調べます。売れているかどうかは、店舗で1日見ていれば見当がつきます。買い手が不満を持っていないかどうかは出口調査である程度わかります。
理想的には買い手が使用した感想を聞くことですが、これは大変な手間がかかります。そこまでしなくても、「類似品が他にないから仕方なく買っている」といった不満などは出口調査である程度は聞きだすことができます。
言うまでもなく、買い手の不満を解決した商品を作れば売れる可能性は高まります。画期的な解決であれば爆発的に売れる可能性があります。売れる可能性の高い商品ができたら、次はそれをどのようにして販売するかです。
販売の方法には直販とチャネル販売があります。買い手が不特定多数であれば、直販は不向きです。委託販売または代理店販売になりますが、資金の少ないベンチャーには在庫リスクがあり、資金のかかる委託販売よりも代理店販売がよいでしょう。
少数の特定の企業が販売対象であれば、直販すべきです。いずれの販売方法を取るにせよ、販売ツール(すなわちユーザーズマニュアル、カタログ、アプリケーションノート、デモ用ツール、見本などの販促ツール)を揃えなくてはなりません。
代理店販売の場合は、セミナーなどを支援して顧客にアピールする機会を作らなければ、代理店は動いてくれません。
買ってもらえそうな顧客が見つかったら、代理店販売であっても、同行して顧客の反応を起業家が自ら確かめなければなりません。商品がそのまま売れるのか、改良が必要なのか、新しい応用なのか、既存の応用の代替なのか、などは価格戦略にも影響します。
付加価値を高める機会は顧客訪問にあります。最初は何とかして売りたい一心が先行して、売れるなら価格はいくらでもかまわないと思ってしまいますが、マーケティングでは価格を最後に決めます。
顧客の反応を見て、高い、安い、あるいはその中間のどれかを提示すべきです。顧客はまず価格を聞いてくるでしょう。それに反応するのは後にして、買う意思があるかないかを確かめるのが先決です。
買う意志があれば、競争相手があるのか、その製品は自社の商品と比べて優れているのか、劣っているのか、を聞き出さなければ値段はつけられません。
これらの商品が優れていることがわかれば、高いところから開始できます。優れている分を顧客の付加価値に結びつけられるからです。
劣っていれば安いところを提示して、顧客のコスト軽減に役立てることができます。その代わり大量に買ってもらうよう交渉するのです。それにより自社の製造コストを下げることができ、安く売っても利益を確保できるからです。
そして次の開発計画に競合品より差別的に優れた点を盛り込みます。これが理想的なマーケティングです。
第3節 最も重視すべきはお客様
経営上もっとも大切なステークホルダーズがお客様であることは論を待たないでしょう。
開発した製品がお客様の評価に耐え、満足していただけることが開発者の喜びであるはずです。またそれがマーケティングの基本であることはすでに書きました。自己満足のための開発はよい結果を生みません。起業家が技術出身である場合はそれが鍵となるでしょう。
そしてその姿勢を社員にも示すことが顧客第一主義の企業文化を作ります。技術者の自己満足で開発した製品をセールスマンに売ってこいと命じる社長は、決して顧客の信頼を勝ち取れません。
第10章のV社の社長は頻繁にお客様を訪問し、現場の技術者と対話して、顧客が何を必要としているか、製品のどこに不満を感じているかを絶えずヒアリングしています。それを会社に持ち帰って、開発と製造の現場にフィードバックするのです。
それは行き過ぎると終わりなき開発につながり、製品が完成しないことになりかねないので、限度があることではありますが、その姿勢は国内外のお客様から高く評価されています。
顧客満足の得られない会社は、技術力がどんなに高くても、製品がどんなに優れていても、市場には認められません。たとえ寡占化して市場を独占することができたとしても、顧客第一主義を採らない会社は、競合が現れたとたんにそっぽを向かれるでしょう。
インテルのマイクロプロセッサは市場をほぼ独占しました。そして価格は利益優先に設定され、使い勝手の悪いところも押しつけられていました。顧客の多くはインテルから買いたくなくても、仕方なく使い続けました。
そこへAMD社が同じ性能の製品を出してきました。お客はこぞってそちらを採用し、インテルは顧客第一主義を採らざるを得なくなりました。
健全な競争は顧客にとってとても重要なことです。
ベンチャービジネスでは顧客第一主義は成功するために絶対必要なことです。それを企業文化にすることは、ガバナンスを浸透させるのと同じくらいに大切です。というよりも、ガバナンスのなかに顧客第一主義が含まれているといっても差し支えありません。
失敗例(14)のN社、(15)O社の両社は、いずれも顧客満足を追求しなかったために顧客を失うことになりました。
社長1人では顧客をつなぎとめることはとうていできません。会社全体が顧客満足の追求に邁進できる企業文化を作っていなかったことが根本原因だったことは明らかです。
社長は頑張ったつもりでしょうが、肝心の社員教育と率先垂範を誤ったのです。
第4節 成功するための次のステップ
運よくビジネスモデルが検証でき、市場も顕在化してきました。
「成功へのロードマップ」で見たとおり、次のステップは資金を外部から調達して、商品を作らなければなりません。3点セットをベンチャーキャピタルに持ち込んで、プレゼンテーションする機会を作ります。
自ら飛び込みでアポをとるというやり方もありますが、できれば紹介者のツテを探したいものです。もし、創業前にIAIジャパンのような支援団体に相談して3点セットを作った場合は、資金調達手段の相談から資金提供者への紹介まで手伝ってもらえるでしょう。
アポを取ったら、プレゼンテーションの予行演習をしておきましょう。支援者を資金提供者に見立ててプレゼンテーションします。プレゼンテーションは通常投資家向けと顧客向けの2通り作ります。投資家向けは、
●商品の説明に30%以下
●ビジネスモデルでどのように収益を上げるか30%
●市場と競合の説明20%
●資金の使い道とリターン20%以上
といった時間配分が普通です。
アポの時間が1時間、商品の説明に50分を費やし、残りを10分で大急ぎ、質問の時間がなくなったというのは意外と多いパターンで、資金の扉は閉ざされます。
多くのベンチャーキャピタルではあらかじめ時間配分の注意がありますが、ここまで親切に配分を助言してはもらえません。
一番ありがちなのは商品の優位性ばかり語ることで、これは落第です。資金を提供する側は、それが何にどのように使われ、収益が上がって出口でいくら戻ってくるか、ということに最大の関心があることを忘れてはなりません。
商品がどんなに優れていても、売れて儲かると思える計画でないと資金を出してはもらえません。
第5節 多額の資金調達の条件
さて、資金調達に成功し、試作品を作ることができました。この段階では調達額は最低限の資金額にとどめました。それは時価総額(会社の価値)が低いために、株価が低く、大きな額を調達するには株式をたくさん発行しなければならないからです。
顧客の評価が得られ、大量に受注できる見通しが立ったら、時価総額もそれなりに上昇するので、次の調達時には株価を上げることができます。
いよいよ量産態勢と販売態勢を一気に拡大する段階では、大量の資金を調達する必要があります。それが可能となるためには次の条件が必要です。
●複数の顧客から繰り返し受注できる見通し
●内製、外注にかかわらず、大量に製造できる管理態勢の整備
●競合との差別化
●量産化にともなう価格設定と収益性
●顧客からのクレーム処理態勢の整備
●投資家への情報開示
以上がすべて整うか、または実行可能な態勢が整っていることが必要です。
さらに、時価総額をできるだけ高く設定し、資本の希釈(既存株主の株式持分率の低下)が起こらないように配慮します。
それでも新たな資金を集めることができれば、資金調達としては成功です。
第6節 資金の使い道に注意し、出口を探す
大量の資金を手にしたときにもっとも警戒しなければならないのは、必要以上の設備投資、床面積の拡大、人員の採用、組織の拡大です。
設備投資のタイミングは、導入後の設備稼働率、市場の変動、価格の下落などを見越して計るべきです。それにはある程度の経験が必要なので、初めて起業する場合はオペレーションの経験豊かな人材か、専門知識のある支援者をアドバイザーに求めるべきです。
床面積はぎりぎりではすぐに引越ししたり、拠点が分散したりして管理の不行き届きにつながりかねないので、余裕を持って拡大することが賢明です。
人員の採用は採れるときに採っておくではなく、必要な人材を先に採用することです。
まずマネジャーを採用し、ハンズオンで業務をこなしてもらった後、部下を採用すればいいのです。組織は一気に拡大するのではなく、社長としての管理可能範囲を見極めながら作り上げましょう。
この時期にはキャッシュフローは減価償却と売上金の回収により、創業期のように単純ではなくなっています。損益計算書とキャッシュフロー表の両建てで管理します。
そのためには財務の専門家を配置していなければなりません。
また、損益が黒字となり、順調な成長が見込めるのなら、株式公開も視野に入れてよいでしょう。
ベンチャーキャピタルの代表に相談して幹事証券の選定に入ります。
創業当初から高いガバナンスを維持していれば、公開のための審査はそれほど難しくないはずです。経営と株主による支配のバランスが取れた内部統制態勢ができていれば問題を起こす可能性は低いでしょう。
取締役会と執行役会とを分離するのも近代経営の1つです。取締役会は社外取締役が占め、経営側の代表は社長と財務担当役員のみ。委員会設置方式として、監査委員会、報酬委員会、指名委員会を設置する方式は株式公開会社では定着しつつあります。
ベンチャー企業でも明確な牽制方式として採用すべきでしょう。
海外ではおおむね委員会設置方式を採用しています。
ここまで来ると市場での認知度は高まり、事業会社からの事業提携、買収の提案も出る可能性があります。
フォーカスした開発により商品系列が単純な場合は、みずから多角化を図るよりも、他社との提携または統合による多角化のほうが合理的な場合もあります。
前述したように株式公開には大きな投資が必要であり、公開後の維持コストもかかります。すでに株式を公開している企業と合併したほうがよいとの判断もあり得るのです。
合併相手にある程度の企業価値を認めさせることができれば、そして、投下した資本以上に回収し、その倍率が投資家すべてと起業家にとって満足できるものであれば、売却は株式公開よりも手っ取り早い出口と言えるでしょう。
TL社の事例で学んだように、買収を契機として買収相手の企業が大きく株価を上げられるようなシナリオが描ければ最高です。
第7節 組織の永続を心得よ
創業期にはできるだけ簡素な組織、効率重視の経営が必要ですが、事業の拡大には組織とインフラが必要です。そのための出費を削っては、企業価値を落とす結果となることに気づかなければなりません。
顧客は供給業者が永続的に製品なりサービスなりを提供することを望んでいます。業者が倒産したり、資金ショートで存続が危なくなったりすることは望ましくないことです。
ファブレスの場合は特に供給元を確保することが重要です。財政的にも存続が危ぶまれるような資金状況は顧客にとって好ましくありません。顧客がベンチャー企業からの購入に慎重なのは、量産になったとたんに資金が不足したり、供給元から製品が入手できなくなったりすることを懸念するからです。
健全な経営ができることを約束し、それを実行できることが、継続的な関係を構築するための必須条件です。そのためには組織と人員、財務状況の健全化が前提となります。組織と人員は身の丈に合ったものでなければ、分不相応となり、維持することが困難になります。しかし顧客に信頼されるだけの組織と人員は揃えなくてはならないので、懐と相談することも必要です。
V社でもこの場面に遭遇しました。幸いパートナーとの2人3脚により顧客の信頼を得ることができました。
このことは創業前の計画段階である程度予測できることであり、財政的なシミュレーションをすることが可能です。それはビジネスモデルとの関連で行うべきです。すなわち、顧客に信頼されるに足る組織と人員をまかなえるだけの利益を出せるビジネスモデルであるかどうかの検証を行うことです。
このことは株式公開に足りる組織と人員をまかなう利益が出るかどうか、の検証と似たところがあります。株式公開審査を通るだけの利益が出るビジネスモデルであれば、顧客満足を得られる組織であると言えるでしょう。
肝心なことはそのときになってあわてることのないよう、事前の検証をしておくことです。
第8節 死の谷の旅
第8章と第9章で見た例のほとんどは死の旅に出たままとなります。ベンチャーには渡らなければならない「死の谷」があると言われます。
準備段階は死の谷のこちら側で、資金調達の段階から死の谷に足を踏み入れ、一直線に彼岸を目指して進み始めます。ところがたいていは死の砂漠に脚を取られて進むことができず、ほとんどのベンチャーが道に迷い込んだまま抜け出せず、目指す彼の地ははるか遠くのままです。
死の谷を渡りきるのは技術だけではなく、運、人格、顧客満足、市場の存在、競合との勝負に勝つことなどすべてがうまく回転した場合のみです。
アメリカのネバダ州にデス・バレー(死の谷)という場所があります。荒涼とした地形で、雨が少ないため地中から塩分が析出し、海抜マイナス数メートルのところに真っ白の塩の結晶で覆われた部分や奇岩でごつごつした部分などが広がっています。
開拓時代にこれを渡り切り、ロッキー山脈を越えてカリフォルニアに到達したのは49名の開拓民だったという故事から「49ers(フォーティナイナーズ)」という言葉が生まれ、“初代アントレプ
レナー”と位置づけられるようになりました。
最初のアントレプレナーは金鉱探しでしたから、成功の確率からいっても、現代のハイリスク・ハイリターンのベンチャーにしばしば譬(たと)えられるところです。サンフランシスコを拠点とするアメリカンフットボールのチームがこの名前をつけているのは、その精神を受け継ごうというところからでしょう。
1つだけ死の谷で覚えておくべきことがあります。
それは手遅れになる前に引き返すことです。資金を使い果たしてからでは戻ることができません。旅を続けるには食料、水、燃料などの資源がなければならないからです。
簡単にあきらめろとは言いませんが、失敗に懲りず、悪あがきによって資金を使い果たすのは賢明とはいえないのです。撤退の道を選ぶのは社長にとって苦渋の選択ですが、遅きに失するよりは早いに越したことはありません。
そして、余裕を持って再起を図るのです。資金を使い果たしての再起は困難です。
ただし、再起するには、前の失敗を決して繰り返さない知恵を獲得せねばなりません。投資家は同じ失敗を2度は許してくれないのです。どんなに多くの失敗の数があろうとも、ベンチャーを起業する人が後を絶たないのは世界的な現実です。
ベンチャービジネスにはそれだけの魅力があり、人をわくわくさせ、挑戦するに足るリスクだからです。不可能の文字はないという信念で起業する起業家として、必要な準備を整え、経営資源を確保しながら1歩1歩前進し、あるときにはダッシュをかけ、IPOの出口を通り抜けて、大きな果実を手にし、さらなる成長を次の担い手に託して別の道を歩むという経営者が続々と出ることを願って筆をおくことにします。
死の谷を越えたらその向こうには豊かな緑の谷が広がっています。あなたはその緑を見たいでしょうか? もし見たいのなら、エンジェルが投資できる起業家となって、無事死の谷を渡りきってください。
それが、投資家への最大のリターンであることをくれぐれも忘れないように。