日本初の個人投資家が教える「起業の教科書」
私は現在ビジネスエンジェル(個人投資家)として、ベンチャー起業家を多数支援しています。アメリカで多くのエンジェルと知り合い、彼らの生き生きとした様子を見ていると、アメリカンドリームが今でも息づいているように思えました。自分にもあのような生き方ができるのだろうか、と思いつつベンチャー社会のなかに足を踏み入れました。
私は2000年頃、エンジェルの1人ハル・ニスレーとこんな会話を交わしたことがあります。
ハル「私はこれまでに49社に投資したが、まだ成功は1件もないんだ。こんなことはワイフには話せないよね」
私「どうしてそんなに資金提供する気になるんだ」
ハル「みんな成功すると思って夢を追っているんだ。失敗したっていいじゃないか。このなかで誰かが成功すれば私はハッピーだよ。エンジェルってそんなものさ。ハハハハ」
さて、私はもともと半導体技術者としてエレクトロニクス大手のNECに入社し、27年間IC事業の先端分野を担当していました。1980年には技術出身の経営幹部となっていました。
私が35歳の頃(1970年)、世の中は高度成長の熱に浮かされていましたが、私自身はこんな経済成長は永遠には続かないだろう、いずれは成熟社会が来る、と漠然と感じていました。私が定年になるころには、成長も止まり、今までのツケをどこかで払わなければならないだろう、との心配もありました。
万一そうなったとき、自分と家族を守る道はないかと考え始めましたが、サラリーマンの身にできることは貯蓄を増やすことくらいしかありません。
その後、会社の海外戦略の一環として、半導体分野で海外進出の機会を与えられ、シリコンバレーに移住しました。そこでは旧友、アメリカ人の部下などと親しくなる機会があり、仕事以外のことを語りあうこともしばしばありました。
アメリカ人の人生の夢は40歳代で財政的独立を手にすること、と知ったのは部下であった副社長チャック・ウッドとの会話からです。財政的独立とは給与のために働かなくても、一生食べていけるだけの資産を持つことです。
彼は言いました。
チャック「私は財務畑の出身ですが、傾いたエレクトロニック・アレイズ社の社長を務める機会に恵まれたので、うまく立て直せば夢がかなうかもしれない、と思ったのです」
私「君が社長になったときにはすでに資金が不足していたそうではないか」
チャック「私が財務出身だからこそ、経営を立て直して、資金も調達できると思ったのです」
しかし、その夢がかなう前に金食い虫のその企業は資金が底をつきました。そこで私の勤務先だったNECがシリコンバレーに進出する手がかりとして、彼の会社を買収することになり、その交渉を彼が自らまとめて買収後も副社長として残りました。
そして「NECは日本企業だけど、アメリカに進出するのだから、シリコンバレー流の経営を行う可能性がある。新しい会社で成功報酬でいいから200万ドルを手にする夢がかなうかもしれない」と思ったそうです。
アメリカでも誰もがそのような身分になれるわけではありませんし、たしかに彼が見た夢はいったん消えてしまいました。しかし、特にシリコンバレーでは、経済的な成功を目指して起業しようと躍起になっている人が多いのです。目標を手に入れる人はそのうち一握り、いわゆる一攫千金、あるいは千3つといわれるほど難しいのです。
それでもゴールドラッシュの伝統は消えていません。彼も七転び八起きで、夢よもう一度、と思ったとしても不思議ではありません。
ゴールドラッシュは男たちが金鉱堀りに血道をあげた話として伝わっていますが、実際は金鉱堀りにやってくる男たちを目当てに、宿屋、サロン、食堂、物売り、鍛冶屋、博労など生活に必要なビジネスを創業する者が多く、それらを一括りにしてアントレプレナーと呼んだようです。
シリコンバレーは気候が温暖で、近くに山や森があり、水さえ引いてくれば農業に適した地域です。車で3時間も走ると冬にはスキー、夏にはボートで水上スキーを楽しめるスクウォーバレーやタホー湖があり、クオリティ・オブ・ライフの高い地域です。有名大学も多く、優秀な人材が集まる地域といわれています。このような地域で起業し、リゾートに別荘を持って、一生安楽に暮らしたいという夢を持つのは当然と思えました。
シリコンバレーの特徴はそれだけではありません。簡単には手にできない富を築いた人の多くは「運がよかった、これは自分の手柄だ」と思う前に支援者のこと、部下のこと、お客様のことを考え、周りの人たちに感謝する態度があるのです。
それは自然と次の世代の起業家を支援しよう、という気持ちに変わっていくようです。もちろん豪邸を建て、豪華船で遊興三昧の生活をする人もいないではありません。ですが、そのような人でも資産の一部を慈善事業に寄付したり、財団を作って人道支援したりしています。前出のハル・ニスレーはそのようなエンジェルの1人です。
このような人たちと親交を持つことで、アメリカ人の人生観に触れることができたのは私にとって幸いなことでした。友人のなかにシリアル・アントレプレナー(繰り返し起業する人)がいたことは私の人生を大きく転換させるきっかけとなりました。
人生の道のりのどこかに、誰にも訪れる転機があります。その転機を掴み取るか、見過ごすか、リスクが怖くて手が出ないか、は人によって違います。私には転機は3度ありました。
はじめの2度は退職届を受け取ってもらえず、かといって振り切って辞めるほどの勇気はなく、結果として見過ごしました。3度目の正直で50歳のときに転職を決意しました。
私は35歳頃に将来の不安を持つようになった、と書きましたが、この転職で得られるかもしれない果実は、実らないリスクと実ったときの結果が釣りあっているように思えました。その友人の事業は狭い範囲ですが、半導体事業の一角で世界一の技術を誇っていました。オンリーワンではないものの、当時の世界ナンバーワンだったのです。勝つ可能性が半々なら、挑戦してみる価値は十分あるでしょう。
私の起業家物語は人生の3度目の正直から始まりました。そして結末は、ピーク値にして時価総額20億円の資産を手にすることになったのです。
私はその資産の一部をリスク資産と位置づけ、約30社の創業期企業に、平均300万円を分散投資しました。例外としては5000万円投資したこともあります。投資に当たっては投資先を十分に目利きしたつもりでしたが、今となってみると、駆け出しの頃には目利きが十分でなかったことが反省されます。つまり、それだけ多くの失敗を重ねたわけです。
この本では、私の10年間のエンジェル投資家としての活動のなかで、得られた経験について述べます。投資した起業家の多くは現役で活躍しているので、一部を除いては仮名を使用したことをお許し下さい。「現役で活躍」とは言っても、本当は行くも地獄、帰るも地獄、進展も撤退もない「死の谷」から出られずにいる人もたくさんいます。
約30社のうち、死の谷を渡りきれる可能性があるのは5社と見ています。残りは死の旅から帰ってくることはないでしょう。
しかし、ハル・ニスレーが言ったとおり、このなかの誰かが成功してくれればハッピーなのです。
私は、恐らく日本で初めての個人投資家(エンジェル)です。そんな私がこれまで実際に投資した経験、特に失敗体験から、投資できる起業とはどのようなものかを知っていただければ幸いです。
ポイントは整理して書いてありますので、本書を教科書のように使っていただければと思います。誰かが成功すれば、その成功者はもちろん、私もハッピーになれます。
そしてそれ以上に、日本にとってもハッピーなのです。本書を読んで、「ひとつオレもやってみようか」と具体的に起業を考えていただければ、これに勝る喜びはありません。
八幡惠介