国勢調査のはじまり

国勢調査
第1回の宣伝ポスター

 国勢調査は、明治35年(1902)に「国勢調査ニ関スル法律」が施行され、3年後に第1回が予定されました。しかし、日露戦争と第1次世界大戦の影響で実施が延び、結局、大正9年(1920)に初めて行われることになります。

 上のポスターには、国勢調査の目的を次のように書いています。
《国家社会及国民生活の実情を審(つまびらか)にし善政の基礎を作るに在り》

 調査の結果、善政が敷かれたどうかはともかく、このときの結果は、

●全国(内地)の人口 55,963,053人(うち 男28,044,185 女27,918,868)

でした(総務庁統計局のホームページによる)。 なお、ホームページでは公表されてませんが、外地も含めた人口は

●76,988,379人(男38,903,195 女38,085,184)

 となっています。ここで外地というのは、朝鮮や台湾、樺太などが含まれている点に注意です。

国勢調査
これが申告書(原本)


 せっかくなので、第1回の申告用紙も公開しておきます。
 実はこのときの調査方法は現在とちょっと違っていて、10月1日午前0時現在の「居場所」を記入することになっていました。住所ではなく「居場所」を書くのです。家族かどうかは問わないので、たとえば旅館などは宿泊客全員がその旅館で申請することになりました。

国勢調査
こちら旅館の記入例

 この記入例には宿泊人としてアン・ヤング氏や金参玉さんが登場しています。ちなみに右端中村ヨシさんの職業は「雇人」。このほか、軍人や寄宿人、患者、船客、船員、事務員といった職業があって、時代を感じさせてくれます。

 注意事項として、「民籍別又は国籍別」という項目では、こんな但し書きがありました。

《朝鮮人、台湾人、樺太人、北海道旧土人は、夫々(それぞれ)朝鮮、台湾、樺太又は北海道と書き入れること》

 つまり、当たり前ですが、上述した「外地の人口」には、朝鮮人や台湾人などが含まれているのです。彼らは当時は日本人だったので、「民籍」は重要な調査項目だったのです。

 さて、調査前日の熱気を伝える新聞記事を公開しておきます(「東京朝日新聞」1920年9月30日) 。

《記念の十月一日午前零時、開闢以来初めての国勢調査は愈(いよいよ)やつてきた、申告書用紙は本日中に全部各世帯へ漏れなく配布される豫定で十月一日午前八時全国一斉に徴収してこゝに新しい一大事業の緒口(いとぐち)がほぐれはじめるが全國中最も複雑な東京市では日一日と迫つて來た當日を控へて關係者血眼の活動はまさに白熱點に達し市役所内に設けられた臨時国勢調査部五十名の吏員は息をつく暇もなく、臨時に雇入れた集計係の女事務員十数名はやがてドヤドヤと持ち込まれる申告書に手ぐすね引いて「願ひましては」の珠算、加算の稽古に指の休む時もない……

 ……各区役所も夫々(それぞれ)申告書配布に最後の努力を集めて調査員は各戸に萬全の注意を殘していく、區長も皆出勤して忠勤振りを發揮する、複雜な中にもとりわけ複雜な方面としては細民窟が多くて世帯のやゝこしい本所、深川、浅草であるが準備申告はかなり完全に行われて、却て知識階級や貴族階級よりも成績がいゝといふ、調査の困難なのは外國人の多い青山、麻布方面で是等に對しては特に英文の申告書を作成したが獨逸人や佛蘭西人には通じない向きもあるので調査員は通辯(=通訳)同伴なかなかの苦心を重ねつゝある……
 
 官吏や大小の商人を初め飲食店、職人、藝娼妓家、興行者、漂浪人と一から六まであらゆる階級を網羅した浅草區は面積の廣い點から言つても先ず東京一だが調査区五百二十八區その紛然雜然たる事も亦(また)東京一と断言するに憚らない……戸田(浅草)主理は語る

「浅草區は他の區とは違つて迚(とて)も尋常一様の委員では目的が貫徹する事が出來ないから六百四十一といふ多數委員を決定するのにそれぞれ其方面の事情に精通した人を求めなければならずこれだけでも誠に國調以上の骨折だつた

 次が宣傳で七月から續けてゐるがご存知の玉姫町のやうな一文不通の貧民連が多いので趣旨を徹底させるにも容易な事ではない 毎月十日と廿(20)日に行はれる玉姫神社の祭禮を利用して神樂堂の上で宣傳講演をやるなど他ではチヨット見られない圖だ 吉原は講演のおかげで大丈夫、好成績を得られる確信を持つてゐる、唯困るのは公園の浮浪者だが彼等の多くは乞食、金のなくなつた木賃宿泊りの者で警察で六百人位と言つてるが果してどうか

 其他困るのは「職業と職業上の地位」といふ事で、浅草區にはエタイの知れない商賣があるので何を職業と認めて宜(よ)いか判らぬのがある……」 》


 貧民窟の調査がいかに大変だったかわかります。彼らの職業をどう書いたらいいのか? こうした苦労を重ねた末、ようやく人口調査が完成したのでした。


 さてさて、基本的に国勢調査は5年に1度ですが、昭和14年(1939)8月には、臨時調査が行われました。

 何を調査したかというと、「国民の消費事情」です。国民の衣食住に必要なものがどれだけあるのか、米や味噌はもちろん、電球、毛糸から、本、化粧品まであらゆる物品の1年間の総売上を算出するのが目的でした。

 戦争を背景に物資が窮乏していくなか、政府はこんな調査までしていたんですね。

第1回国勢調査
こちら臨時調査申告書の一部
(上からガーゼ、石鹸、体温計、ゴム製氷枕)
 

制作:2005年10月2日

<おまけ>

第1回国勢調査
第1回国勢調査で発行された絵葉書

 余談ながら第1回調査で話題になったことを1つ。航行中の船舶内で生まれた人間は、出生地を何と書くんでしょうか? 答えは「水上」でした。当時、いかに船舶が多かったかが分かります。

 なお、国勢調査は、原則的に3か月以上日本にいる人間は、誰でも調査対象となります。天皇陛下も例外ではなく、職業は首相と同じ「管理的公務員」なんだそうです。
   
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