朝鮮における皇民化政策
〜日本人への道〜

皇民化政策
「立派な兵隊を出すために国語生活を実行しよう!」
独立記念館の展示ポスター


 1910年(明治43年)に朝鮮を併合した日本は、翌年、朝鮮教育令を公布します。この第5条には

《普通教育は、普通の知識・技能を授け、特に国民たる性格を涵養し、国語を普及することを目的とす》

 とあります。当然ですが「国語」とは日本語のことで、以後、朝鮮では1945年8月まで日本語教育が行われました。授業の実に4割が国語の時間だったといいます。

 そこで今回は、日本が朝鮮に行った皇民化政策を検証します。

皇民化政策
日本が朝鮮大田に建てた小学校(現在は教育博物館)

皇民化政策
朝鮮総督府が作った教科書「普通学校書方手本」

皇民化政策
国民学校初等科の修了証書(昭和20年3月)


 1937年(昭和12年)、日中戦争が起こると、政府は朝鮮人を完全な日本人とすべく(これを「内鮮一体」と言います)、皇民化政策を開始します。
 この内容を具体的に見てみましょう。まず最初に行ったのは、次のようなことでした。

●1面(村)1神社計画による津々浦々までの神社建立、毎朝の宮城遙拝
●日の丸掲揚の強要


 そして、1937年10月、「皇国臣民ノ誓詞」が制定され、職場や映画館など、あらゆる場所での斉唱が義務づけられました。

「皇国臣民ノ誓詞」
(児童用)
一 私共ハ大日本帝国ノ臣民デアリマス
二 私共ハ心ヲ合セテ天皇陛下ニ忠義ヲ尽シマス
三 私共ハ忍苦鍛錬シテ立派ナ強イ国民トナリマス

(学生・一般人用)
一 我等ハ皇国臣民ナリ 忠誠以テ君国ニ報ゼン
二 我等皇国臣民ハ互ニ信愛協力シテ以テ団結ヲ固セン
三 我等皇国臣民ハ忍苦鍛錬力ヲ養ヒ以テ皇道ヲ宣揚セン


皇民化政策
石に書き付けた「皇国臣民誓詞」


 さらに、
●1938年2月 志願兵制度が導入され、軍隊でも皇民化教育を開始

皇民化政策
京城(現ソウル)の陸軍志願兵訓練所で手紙の書き方を習う生徒たち


●1938年3月、第3次朝鮮教育令を公布。

〈内鮮共学〉のスローガンのもと、日本語の使用を義務化。朝鮮語は正課からなくなり、日本と同じ教科書を使用することになりました。

 小学館の百科事典には「学校での朝鮮語の教育、使用を禁止し、朝鮮語を使った場合は罰金をとり、それだけで落第させた」とあります。平凡社の百科事典には「生徒は相互に監視させられ,朝鮮語を使った友人を摘発するのが日課となった」とあります。

●1938年7月、国民精神総動員朝鮮連盟が発足。約10戸を標準とする愛国班を作り、相互監視強化(1939年には約35万の班と460万の班員が組織)。

●1939年11月、朝鮮民事令を改正、これがいわゆる「創氏改名」です。創氏改名のポイントは次の2点です。

(1)氏の創設(義務)〜男系血族による夫婦別姓を廃止し、日本式の「家の観念」を確立
(2)朝鮮人が日本式に名を改める道を開く(任意)

 日本名への改称は任意ですが、「創氏しない者に対しては、子弟への圧力、就職差別、非国民扱いなど、いろいろな社会的制裁、圧迫が加えられた」(小学館の百科事典)。これに対し、朝鮮人は自殺したり、「犬糞倉衛(いぬくそくらえ)」だの「南太郎(朝鮮総督・南次郎の名をもじったもの) 」といった揶揄的な名前を付けたりして抗議するも、約80%が改名。

●1940年代から朝鮮語の新聞雑誌を廃刊に
●1944年 徴兵制実施

 と続きます。

 このあたりのことを教科書によっては「民族意識を抹殺するため」(実教出版『世界史A新訂版』)と表現したりしてます。

 ただし、すでに朝鮮民族が日本人となって30年ほど経っています。これだけの年月が経てば相当な恩恵も受けているわけで、安易な「民族意識の抹殺」といった表現は誤解を招く可能性が高いです。実際、改名したほうが恩恵もあったわけで、皇民化政策をもって「日本=悪」という安易な図式には乗らないほうがいいとは思います。


更新:2004年6月11日

 なお、保守派からは「朝鮮語すらまともに使うことの出来なかった朝鮮人に教科書を与えて勉強させたやった」「創始改名というのはもともと朝鮮人の方から提案されたこと」といった指摘もありますが、正直なところ、このあたりのことは人によって意見がまったく異なるので、なにが本当のところなのか、ご自身で判断してください。
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