本邦「巨人と鉄人」の伝説
「たたら製鉄」とダイダラボッチ

大潟神社(秋田県)
大潟神社(秋田県)


 かつて日本第2位の面積を誇った湖・八郎潟は1960年代から埋め立てられ、そこに大潟村ができました。その大潟村に、こんな伝承が残されています。

 大潟村にある唯一の神社「大潟神社」は地域の中心となっていますが、そこには天照大神・豊受大神とともに「八郎太郎大神」が祀られています。八郎太郎は、もともとマタギでしたが、水を飲みまくって巨人(または龍)と化したため、沢の流れをせき止め、十和田湖を作ってそこに棲みつき始めました。

 一方、修行を重ね法力を得た「南祖坊」は、ある日、神から鉄の草履片方と鉄杖をもらい、「もう片方の草履を見つけた場所に住め」と命じられます。南祖坊は十和田湖でついに草履を見つけ、そこで修行を続けますが、ヌシだった八郎太郎と “領有” をめぐって死闘を繰り広げることになります。南祖坊が法華経を投げつけると、お経に書かれた8万4000の文字すべてが剣となって、八郎太郎に突き刺ささったと伝えられます。

十和田湖
十和田湖


 十和田湖を追われた八郎太郎は、生まれ故郷・鹿角を水没させて居場所を作ろうとしますが、これに反対した神々は、12人の鍛冶に金づちやツルハシを作らせ、石を切っては八郎太郎に投げつけました。そこも逃げ出した八郎太郎は、再び水をせき止め、八郎潟を作り、安住するのでした。なお、八郎太郎の妻は、同じく人間が巨人(龍神)となったもので、田沢湖を作ってここに住んでいた辰子姫です。

 この伝承は、いわゆる「三湖伝説」といわれますが、いったいこの物語は何を意味しているのか。さまざまな読み解きが可能だとは思いますが、八郎太郎は、「鉄」を履いた男や、鍛冶が作った「鉄」の道具に負けたわけで、もしかしたら「鉄」など鉱物資源をめぐる戦いと読めるかもしれません。そして、十和田湖と八郎潟と田沢湖を結ぶ三角形のちょうど真ん中には、708年に発見された銅鉱山「尾去沢鉱山」が位置しているのです。銅が産出する場所では一般的に鉄も産出します。実際、尾去沢鉱山でも、黄鉄鉱(パイライト)などの形で鉄が出ています。

 もしかしたら、八郎太郎の物語は、鉄をめぐる戦争の記憶なのではないか。そんなわけで今回は、日本各地に残る「巨人」と「鉄人」の冒険の物語を探しに行きます。

尾去沢鉱山の選鉱場(秋田県)
尾去沢鉱山の選鉱場(秋田県)


 源義経に仕えた豪傑・武蔵坊弁慶は、生まれた場所も死んだ場所も何ひとつわかっていませんが、一説には和歌山県や島根県で生まれたとされています。島根県松江市にある長見神社には、弁慶自ら書いたとされる「武蔵坊弁慶願状写」(別称「弁慶之由来」)が残されています(非公開)。この内容が、1717年頃、藩主が作らせた地誌『雲陽誌』に記録されています。

《母はほどなく妊娠したが、つわりがひどく鉄を好んだ。鍬(くわ)を隠し持ち、9本を食べ、10本目を食べているとき、里の子供に見つかり、半分食べ残した。そのため、通常に近い13カ月で弁慶は生まれた。仁平元年(1151年)3月3日のことである。
 生まれた子供は髪が長く、歯は二重に生え、左の肩には「摩利支天」、右の肩には「大天狗」の文字が刻まれていた。顔の色は黒く、全身は鉄のようだった。
 だが、母が鍬を少しだけ食べ残したせいで、喉のあたり4寸四方は普通の肌だった》(黒沢長顕『雲陽誌』)

 弁慶は、15歳になると成相定恒(一説には伯父)という刀鍛冶のもとを訪れ、刀を打ってもらいます。

《長刀をあつらえ、3年3カ月かかってできた刀は、1000日かかった剣だけに「カネ(金属)」の心を知っており、金床さえまっぷたつに切るほどだった》(同)

 このような優秀な鍛冶を生かしておくと、別の素晴らしい太刀を打つに違いないと考えた弁慶は、その場で刀鍛冶を切り捨てるのでした。

 巨人だったとも言われる弁慶ですが、この伝承では全身が鉄でできていたことになります。そして、「金床」さえ切るほどの鉄具を手に入れました。まさに鉱山に関係しそうなエピソードです。

武蔵坊弁慶(埼玉県・川越まつり)
武蔵坊弁慶(埼玉県・川越まつり)


 実は、日本には「鉄でできた人間(鉄人)」伝説がいくつか残されています。それをまとめたのが、大林太良氏の『本朝鉄人伝奇』(『季刊民話』2号、1975)です。

 大林氏によると、日本の鉄人伝説にはいくつかの共通点が見られるとのことです。

(1)母親は妊娠中に鉄を食べる。
(2)その結果、生まれた子供は全身鉄張りであるが、ただ1カ所だけ鉄張りでないところがあった。
(3)この鉄人は成人後、武名を轟かせるが、ふつう悪玉と考えられている。
(4)ある英雄がこの鉄人と闘うが、これを討つことができない。英雄は女(多くの場合、鉄人の母あるいは愛人)から鉄人の泣きどころ(弱点)がどこにあるかを知る。
(5)英雄は鉄人の泣きどころを攻めてこれを倒す。

 多くの伝説が、この5つの特徴のいくつかを持っています。弁慶伝説でいえば、鉄で覆われていない喉を攻撃されれば、弁慶はいともたやすく殺されることになります(余談ながら「弁慶の泣きどころ」という言葉も違う意味を持ちそうです)。

巨人として描かれることも多い、道開きの神・猿田彦(千葉県・水郷佐原山車会館)
巨人として描かれることも多い、道開きの神・猿田彦(千葉県・水郷佐原山車会館)


『本朝鉄人伝奇』には8人の鉄人が紹介されていますが、沖縄にも巨人の鉄人がいました。沖縄本島南部にある八重瀬城は戦乱に巻き込まれることが多く、城主は7回も変わったと伝えられます。この城には「カニカマド」という勇将がいたとの伝説があります。

《カニカマドの母親はこの村(富盛)の出身であるが、遠いところにある有力な按司(あじ=豪族の首長)の側室になっていた。身重になったが不義の子を宿したといって追い出されて実家に帰った。母親は胎児をおろそうと思って鉛(なまり)を飲んだが、うまくゆかなかった。そして月満ちて生まれたのが巨人のカニカマドであった。彼の全身の皮膚はカニ(金属)でできていた。それは母親が流産するために鉛を飲んだのでカニの皮膚の子が生まれたという。ただどうしたのか咽頭のところだけは普通の人と同じ皮膚であった。

(中略)ある戦のとき強敵の大軍が押し寄せてきた。こちらは少ない兵力だった。それでカニカマドは中国の三国史に出てくる諸葛孔明のような智将ぶりを発揮してさんざん敵を悩ました。しかし苦しい戦いであった。それに敵の放った一矢がカニカマドの咽頭に当った。不幸にもカニカマドの金属でない咽頭の部分に 当たったので、さすがの鉄の人カニカマドも戦死した》(『本朝鉄人伝奇』)

 カニカマドの名前については、カニ=金属、カマド=武将の名前としていますが、一般に「かまど」といえば煮炊きの際につかう「火を囲う」設備のことを指します。

神田明神
平将門を祀る神田明神


『本朝鉄人伝奇』は、井沢蟠竜の『広益俗説弁』に「平将門の皮膚は鉄のようだった」という記述をもとに、平将門も鉄人だったとしています。

 平将門は現在の茨城県に本拠地をおいた豪族ですが、939年の平将門の乱の際、敗れた将門の首が、怒りの炎をあげながら京の方角へ飛んだという伝説があります。この首を矢竹で射ち落としたのが、南宮大社・隼人社の祭神である隼人神(火須勢理命)です。南宮大社は、古来より、鉱山を司どる神(金山彦大神)を祭神としていますから、将門伝説もまた、鉱山開発と関係が深いのかもしれません。

 古代の製鉄では、粘土で作った炉にふいごで風を送り、木炭を高温で燃やして砂鉄を溶かしました。かまどという言葉ではないですが、機能は一緒です。こうした製鉄作業をおこなう人を「タタラ師」と呼びます。宮崎駿の映画『もののけ姫』にはこの「タタラ製鉄」の場面がありますが、巨人デイダラボッチも登場します。

 デイダラボッチ(ダイダラボッチ)は、日本各地に伝承される巨人伝説ですが、大太郎坊(だいだらぼう)などとも呼ばれ、東京の代田橋など似たような地名として数多く残されています。これは製鉄用語の「タタラ」から派生した言葉だと考えても違和感はありません。

天秤ふいご(たたら用の送風機、島根県・和鋼博物館)
天秤ふいご(たたら用の送風機、島根県・和鋼博物館)


 そんなダイダラボッチの像が、茨城県の大串貝塚ふれあい公園に作られています。なぜこの場所にあるかというと、奈良時代に編纂された『常陸国(ひたちのくに)風土記』に当地の巨人伝説が記されているからです。

《体はきわめて長大で、丘の上にいながら、手で海のハマグリを漁ることが可能である。その食べた貝殻は積もり積もって岡となった。巨人の足跡は、長さ40歩あまり、幅20歩あまりで、尿の穴(立ち小便によってできた穴)は直径20歩あまりもあった》(『常陸国風土記』より意訳)

 ダイダラボッチには山や湖を作ったという伝説が非常に多く、またたとえば「富士山を担ごうとして踏ん張ったときの足跡」などとされるものが全国にありますが、これは鉄器を用いての開拓だけでなく、鉱山開発で大地の姿が大きく変わっていくこととも結びつきそうです(なお、巨大な神が山を蹴り裂いて土地を開拓したという『蹴裂(けさき)伝説』も各地に残されています)。

ダイダラボッチ像(茨城県・大串貝塚ふれあい公園)
ダイダラボッチ像(茨城県・大串貝塚ふれあい公園)


『常陸国風土記』の鹿島の項には、「安是(あぜ)の湖にある砂鉄は、剣を造ればとてもするどい剣ができる」とあります。茨城の有名な神社といえば鹿島神宮ですが、この神社は鉄の神、刀の神として知られ、実際、「韴霊剣」という3メートル近い剣が国宝として残されています。

 鹿島神宮の祭神「武甕槌大神」は、香取神宮の祭神「経津主大神」とともに出雲の国に攻め入り、国譲りを実現させました。いずれも剣や戦いの神とされています。

 一方、製鉄集団を迎える側からすれば、ある日突然大人数の集団がやってきて土地を囲い、火をバンバン燃やして土地を荒らし、そして鉄の武器などを作るわけで、これは恐怖以外の何物でもありません。これが昔話の「鬼」伝説につながったとする説もあります。ちなみに足柄山に住む金太郎を鍛冶師とする説もあります。金太郎はマサカリを担いでいますが、「マサ」は不純物の少ない真砂砂鉄(まささてつ)を意味し、「カリ(カル)」は朝鮮語で「刀(칼)」を意味するとのことです(『風と火の古代史』ほか)。

 製鉄集団は、畏怖を込めて「巨人」「鉄人」「鬼」などとされたわけですが、武器を製造することから、常に「戦争」の影が見え隠れしてきました。そして、のちには「侵略する側」「侵略される側」双方のイメージを担うことになります。いったいどういうことか。

岡山県総社市・鬼城山(きのじょうざん)
鬼が住んだという岡山県総社市・鬼城山(きのじょうざん)


 大和朝廷(ヤマト王権)に従わなかった地方豪族を、蔑称として「土蜘蛛」「国巣(くず)」などと言います。前出の『常陸国風土記』では「夜都賀波岐(やつかはぎ)」の言葉も使われていますが、これを別の漢字で書くと「八束脛」となって、「スネが握りこぶし8つ分もある巨人」という蔑称です。群馬県には「八束脛洞窟」があり、ここに無法者が住んでいたものの、最後は成敗され、鎮魂のため社が建てられたとの伝説があります。この社は、宇佐神宮(大分県宇佐市)を中心に全国に4万社以上あるとされる「八幡宮」です。

宇佐神宮
宇佐神宮(大分県)


 実は、八幡宮の勢力拡大は、大和朝廷の「日本制覇」の流れとリンクしています。八幡大菩薩は武神で、鍛冶の神としても知られています。『三社託宣考』には、八幡大菩薩について《鉄丸を食す》《銅焔に座す》と記されており、まさに鉄人伝説を想起させます。この八幡大菩薩の日本制覇を物語にしたのが、九州北部を中心に残る巨人伝説「百合若大臣(ゆりわかだいじん)」です。

 かつて壱岐(長崎県)には5万の鬼が住んでいましたが、百合若は天狗にもらった「日の丸」の鉄扇を使ってこれに勝利。別の伝説では、蒙古襲来に際し、討伐軍の大将に任命され、神託により受け取った鉄弓でやはり勝利を遂げたとされます。その後、部下の裏切りで島に置き去りにされますが、妻が宇佐神宮に祈願したことで帰郷でき、裏切り者を成敗するのです。

 なお、壱岐の祭文によれば、百合若は桃から生まれた桃太郎で、のちに軍隊を率いて鬼退治に加わったとされています。その桃太郎と関係の深い吉備津神社(岡山)には、弓矢を射る「矢立の神事」や、釜の鳴る音で吉凶を占う「鳴釜神事」が今も残っています。また、吉備の枕詞は「真金吹く」というのも意味深長です。

吉備津神社(岡山県)
吉備津神社(岡山県)


 さて、八幡大菩薩の進撃は止まりません。 
 
 宮崎と鹿児島には「弥五郎どん」という巨人3兄弟の伝説が伝えられています。これは、南九州の「隼人(はやと)」征伐にまつわるもの。長男は的野正八幡宮(宮崎県都城市)、次男は岩川八幡神社(鹿児島県曽於市)、3男は田ノ上八幡神社(宮崎県日南市)で、いずれも秋祭りには5メートル近い巨人が登場します。

弥五郎どん(宮崎県・弥五郎どんの館)
弥五郎どん(宮崎県・弥五郎どんの館)


「弥五郎どん」の正体は定かではありませんが、日本書紀に登場する大和朝廷の忠臣・武内宿禰とも、征討された隼人族の英雄とも言われています。いずれにせよ、隼人族の霊を鎮める祭りであり、柳田国男によれば「五郎」は「御霊(ごりょう)」が変化したものだといいます。これが、八幡宮の祭りである、殺傷を禁じる「放生会」の始まりです。

魚を「放生」してきた放生池のあと(愛知県・日泰寺)
魚を「放生」してきた池のあと(愛知県・日泰寺)


 現代では「放生会」は収穫祭の意味が強くなっていますが、宇佐神宮だけでなく、石清水八幡宮(京都府)や筥崎宮(福岡県)など全国の八幡宮で、非常に重要なまつりとして残されています。

 暴虐だった巨人と鉄人は、ついに「生き物を殺さない」という宗教儀式に昇華したのでした。

高さ15メートルの弥五郎どん(鹿児島県・弥五郎伝説の里)
高さ15メートルの弥五郎どん(鹿児島県・弥五郎伝説の里)


制作:2025年5月24日

<おまけ>

 冒頭で触れた「八郎太郎」の伝説には続きがあります。
 八郎潟を安住の地とした八郎太郎ですが、八郎潟は冬に凍るため、冬の住処として男鹿半島にある不凍湖「一の目潟」に目をつけます。困ったのは一の目潟の女神です。自分一人では八郎太郎に敵わないため、弓の名手である武内「弥五郎」真康(たけのうちやごろうまさやす)に追い払うよう依頼するのです。

 弥五郎は、女神から八郎太郎の弱点を聞き、みごと矢を命中させますが、怒った八郎太郎から「7代先の子孫まで必ず片眼にする」と呪いをかけられてしまいます。こうして、弥五郎の子孫は7代目まで片目で苦労することになるのです。

 実は、たたら師は、炉の炎を見続けることから、職業病として片目を失明することが多いと言われています。つまり、ここでも「製鉄」と話が関わってくるわけですが、いわゆる「一つ目小僧」がたたら師の零落した姿だとしたら――「一つ目小僧の誕生」近日公開です!
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