天然ガスの「インフラ革命」
パイプラインから輸送船まで

最新のLNG運搬船(三菱重工)
最新のLNG運搬船(三菱重工)



 1974年11月9日、東京湾でタンカー「第10雄洋丸」と貨物船「パシフィック・アレス」が衝突し、炎上事故を起こしました。あたり一面が火の海となり、貨物船は28人、タンカーは5人が死亡(合計33人)しました。

 必死の消火活動が続きますが、火災はいつになっても消えることがなく、ついに19日後、自衛隊が砲撃して沈没させました。

LPG船
LPG船



 なぜ消火ができなかったかというと、タンカーが積んでいたのはナフサ(粗製ガソリン)とLPG(液化石油ガス)だったからです。LPGは、石油を精製する過程でできるプロパンやブタンに加圧して液体にしたものです。液化で体積は気体の250分の1になり、運搬や貯蔵がしやすくなります。

 LPGは、簡単に言えば100円ライターの中の液体です(ブタン)。また、プロパンガスのボンベには、圧力をかけて液化したプロパンが入っています。このように、ボンベに詰めることで簡単に運ぶことができ、停電時でも使用できますが、比較的コストが高いのが難点です。

LPG輸送車
LPG輸送車



 一方、現在の都市ガスはメタンを主成分とする天然ガスを液体にしたものです。これがLNG(液化天然ガス)。液化すると体積は気体の600分の1になりますが、高圧だけでは液化せず、マイナス162度という超低温まで冷却する必要があります。つまり、LNGは、LPGよりはるかに扱いづらいのです。

 それだけではありません。LNGを使用する都市ガスは、ガス管を張りめぐらさなければならないため、都市部でしか使用できません。実は、東京や大阪などの都市部には、その陰に巨大なインフラが構築されています。そんなわけで、今回は、LNG導入の歴史を振り返ります。

■LNGの導入

江戸川を横断する250mのパイプライン
江戸川を横断する250mのパイプライン



 ガスの製造は、明治以降、大きく分けて3回変更がありました。
 明治から1965年ごろまでは石炭の蒸し焼き。1970年ごろまでは石油を熱分解しました。しかし、この方法は、製造時に亜硫酸ガスなどを排出するため、大気汚染を深刻化させます。

 1957年、東京ガスは、アメリカの石油会社2社からLNG受け入れの意向を打診されました。これを契機に本格的な調査研究が始まります。その結果、LNGの利点が見えてきました。容易にガス化でき、熱量も高い。そのうえ、不純物を含まないため大気汚染や水質汚濁の心配がない。さらに、世界中に資源量が豊富で、開発が進めば、膨大な量が使用できる――。

 天然ガスは扱いの難しさに加え、石油より2~3割も割高だったため、当時はアメリカ以外ではほとんど利用されていません。日本での導入を目指すうえで、技術面では、皆目見当がつかない状況でした。

 それでも東京ガスは、1960年、公害対策の切り札として果敢に導入を決め、具体的な輸入先を検討。こうして「アラスカ・プロジェクト」が始まります。

■LNG船の誕生

 1969年11月、東京ガスと東京電力が共同で導入したアラスカLNGの第1船「ポーラ・アラスカ号」が東京ガス根岸工場に到着しました。タンク容量はおよそ7万立方メートル。建造国はスウェーデンでした。

 世界初のLNG船は、1959年、アメリカで作られた「メタン・パイオニア」です。タンク容量は5100立方メートル。アメリカからイギリスまでLNGを輸送することに成功しました。そして、世界初のLNG商業輸送をおこなったのは、1964年にイギリスで作られた「メタン・プリンセス」で、タンク容量は2万7400立方メートルでした。

メタン・プリンセス号
メタン・プリンセス号(『液化天然ガス研究委員会報告』1970年)



 日本が初めて建造したLNG船「ゴーラー・スピリット」は、1981年、川崎重工によって建造されました。タンク容量12万8600立方メートル。
 LNG船には大きく2種類あり、「ゴーラー・スピリット」は、デッキ上に球形のタンクが串ダンゴのように載っています。これを「モス船」といいます。その後、英語で「膜」という意味の「メンブレン船」が登場しています。メンブレン船は、断熱材を介して液圧を船体全体で支える構造です。

サハリンからLNGを運ぶモス船「GRAND ANIVA」
サハリンからLNGを運ぶモス船「GRAND ANIVA」



 また、2012年からは、三菱重工が「モス船」を進化させた「さやえんどう船」の建造を始めていま。これは、球形タンク4基を、船体と一体のカバーで覆うことで、船全体の強度を確保しながら軽量化を実現したものです。

 こうしたLNG船を使い、日本は、アラスカに続き、1972年にはブルネイから、1977年にはインドネシアからのLNG輸入を実現。2度の石油ショックを経て、LNGは日本の基幹エネルギーへと成長していくのです。

三菱重工で建造中の「さやえんどう船」
三菱重工で建造中の「さやえんどう船」


■パイプラインの敷設

 さて、LNGを輸入しても、それだけで都市ガスになるわけではありません。

 かつて、石炭や石油から都市ガスを作っていた時代、ガス製造工場が各地に分散しており、中圧の導管で輸送していました。しかし、LNGでは沿岸部に作った受け入れ基地から高圧導管で長距離輸送し、各地で減圧して供給する新たなシステムが構築されました。これが日本にもあるパイプライン網です。

 もともと、パイプラインは新潟から始まりました。1959年、上越地方で巨大なガス田が発見され、このガスを全国で使えないか検討した結果、ガスを運ぶパイプラインの建造が決まりました。

 翌年、新潟県内の頸城(くびき)ガス田を中心に日本海沿岸に200kmのパイプラインが建造され、1962年には、1都4県を縦断する 330kmの高圧パイプライン「東京ライン」(新潟〜長野~軽井沢~富岡~東京ガス豊洲工場)が完成しました。

 このパイプラインは帝国石油(現・INPEX)の岸本勘太郎が中心となって敷設しています。INPEXは、ほかにも諏訪〜甲府〜御殿場パイプラインなどを運営しています。現在の起点は、新潟県・直江津にある受け入れ基地です。

 さらに、石油資源開発(JAPEX)は、新潟~仙台・福島・郡山のパイプラインを所有しています。こちらも起点は新潟です。

東京ガスのパイプライン(公式サイトより)
東京ガスのパイプライン(公式サイトより)




 東京ガスも首都圏を一周する大掛かりなパイプラインを敷設しています。
 上図は東京ガスのサイトに掲載された供給エリアの地図ですが、埼玉、東京、神奈川、千葉をぐるりとめぐるパイプラインが敷設されていることがわかります。

 また、東京と千葉は、東京湾アクアラインが道路としてつながっていますが、海底には、

○東京ガス「海底幹線」
(千葉県袖ケ浦市〜東京都江東区新木場)
○JERA(東電と中電が出資した発電会社)「東西連係ガス導管」
(京浜地区の東扇島・横浜・川崎発電所と千葉地区の富津・袖ヶ浦・姉崎・五井・千葉発電所を結ぶ)

 の2本のガス導管が、東京湾を横断しているのです。

扇島と東扇島のLNG基地
扇島と東扇島のLNG基地

根岸のLNG基地
根岸のLNG基地

富津のLNG基地
富津のLNG基地



 なお、パイプライン以外では、タンクコンテナを利用した鉄道輸送が、2000年、新潟~富山・金沢を皮切りに始まっています。新潟からは弘前、青森に向けて470kmのLNG鉄道輸送もおこなわれており、北海道では勇払から道内各地に鉄道で輸送されています。

 また、巨大な外航船ではなく、小規模な「LNG内航船」も導入されています。最初に登場したのは、北九州から四国と岡山向けに輸送する「第1新珠丸」で、2003年のことです。2006年には、東京ガス袖ヶ浦工場から函館向けに「ノースパイオニア」による輸送が開始されました。

 このように、外航船→LNG基地→パイプライン→鉄道・内航船という流れで、日本各地にガスが送られているのです。

内航船「ノースパイオニア」
内航船「ノースパイオニア」


■「熱量変更」という大プロジェクト

 LNG受け入れ基地の建設やパイプラインの敷設は、たしかに大事業でしたが、実は最大の難関は「熱量変更作業(熱変)」でした。

 ガスの種類が変わると、これまで使用していたガス機器は使用できません。そのため、熱変をおこなう場合、すべてのガス機器を1台1台、改造する必要があるのです。この作業を「器具調整」と呼びます。

 東京ガスは1962年、3600kcalから5000kcalに熱量変更しています。このときは、中間の熱量のガスを供給しながら、その間に器具調整をおこないました。当時の作業は、ガスが出る部分を金づちで締めたり、小さい管を差し込んでガス量を少なくするといったアナログなものでした。

 しかし、LNGでは熱量は1万1000kcalまで跳ね上がるため、このようなやり方は不可能です。そこで、地域を分割し、数百~3000件の顧客ごとに導管をバルブで区切り、人海戦術で一気に調整していく方式が採用されました。

 当時の東京ガスの顧客は500万件。1件あたり平均4台のガス器具があったため、調整が必要なガス器具は約2000万台にのぼりました。のべ750万人が作業し、終了したのは1988年。実に17年もかかった大事業でした。また、大阪ガスは、1975年に熱変を開始し、1990年に完了。こちらも16年かかっています。全国的に熱変事業がほぼ終了したのは、2010年ごろでした。

 都市ガスは、こうした難事業を経て、身近な存在となったのです。

LNG火力発電所(扇島パワーステーション)
LNG火力発電所(扇島パワーステーション)


制作:2022年5月16日

<おまけ>

 1974年のLPGタンカー「第10雄洋丸」の炎上事故をきっかけに、第3管区海上保安本部に特殊救難隊が設置され、1万トン以上の船には必ず水先人を乗船させるという「強制水先制度」が導入されました。

 しかし、LNG船の大型化が進む昨今、気になるのが、テロ攻撃された場合の被害です。
 2004年、アメリカは「サンディアリポート」で、LNG船がテロ攻撃された場合の被害予測をおこないました。

「意図的な攻撃により、LNGが大量に流出して発火した場合、半径500mの範囲は高熱で大被害を受ける。
 発火しない場合でも、天然ガスが蒸気のように広がり、事故の場合は高さ1700m、意図的な攻撃の場合は2500mの範囲まで危険が及ぶ」

 LNG船は、テロを受けても大丈夫なように頑丈に作られていますが、リスクはそこかしこに存在しているのです

海上災害防止センターの訓練
海上災害防止センターの訓練(第2海堡/右手は「演習中」という意味の旗旒信号)
 
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