本サイトについて
このサイトは、これまであまり知られていなかった、「日本の刑罰の歴史」に関する資料を集めたものです。現在のところ、以下の2つのみ公開しています。
①宮武外骨が大正11年(1922年)に出版した『私刑類纂』
②明治26年(1893年)に刊行された『徳川幕府刑事図譜』
宮武外骨は明治・大正期のジャーナリストで、近代史に関する膨大な著作を残しました。
『私刑類纂』は、文字通り、私刑(リンチ)の実態をあらゆる古文書などから集成した本です。
全体の構成は、「私刑の定義」「私刑の起源」から始まり、刑名を8つに分類(生命刑、身体刑、自由刑、労役刑、追放刑、財産刑、恥辱刑、貶黜刑、叱責刑)、それぞれの実例を大量に掲載。
その後、各論として「間諜密告」「殺人暴行」「誹謗罵詈」「圧迫虐政」……などで行われたリンチをひたすら紹介。
たとえば、伊藤博文が暗殺される前、日露戦争の講和に不満を持った民衆が、生前作られた銅像を引き倒し、遊郭にうち捨てたことがありました。これは、宮武外骨のいう「恥辱刑」に相当します。
伊藤博文の銅像を引き倒し
宮武は「刑法学者が刑罰だと見なさないようなことも、『復讐』または『懲戒』の意志が表れている場合には、すべて私刑と断定する」としており、内容はかなり珍しいものとなっています。
ただし、原文が膨大なため、本サイトでは、ごく一部のみを掲載しています。
『徳川幕府刑事図譜』は、250年以上におよぶ徳川幕府の下で行われた残虐な刑罰を、カラーでイラスト化したものです。
序文では、代々、斬首を行ってきた家系の山田浅右衛門(第9代)が「先祖代々で1万人以上を殺してきたが、心中顧みて、憐愍(れんみん)の情がある」と懺悔しており、また、刑場だった小塚原回向院の住職が「5、6万人を埋葬しただろうが、なかには冤罪の人も多かっただろう」と悔いています。
原本は明治大学や国会図書館が所蔵していますが、本サイトでは1972年に刊行された復刻版(三崎書房)から、カラー画像51枚を転載しました。
『私刑類纂』も『徳川幕府刑事図譜』もすでにそれ自体の著作権は消滅しています。
『私刑類纂』は本サイトが原本を持っています。また、三崎書房には編集物著作権がありますが、(著作権が大幅に制限される)写真製版による復刻であり、しかもすでに倒産しているため、著作権は消滅したものと判断しました。
今後、『刑罪詳説』『拷問実記』など、関連資料を復刻していく予定です。
なお、『私刑類纂』のデジタル化に当たっては、読みやすさを優先し、旧字はすべて新字に直し、句読点や送り仮名は適宜、調節しています。また、以下の漢字はすべてひらがなにしました。
等→など、ら/ 其→その / 其外→そのほか / 此→この / 此外→このほか / 之、是→これ / 茲→ここ / 或→ある / 斯→かく / 又、亦→また / 一に→ひとつに / 曰く→いわく / 総て、凡て→すべて / 然→しか /如く→ごとく / 処、所→ところ(「所払い」はそのまま) / 事→こと / 時→とき / 先ず→まず / 尚→なお / 相→あい / 以て→もって / 但し→ただし / 及び→および / 也→なり / 成る→なる / 若し→もし / 併せ→あわせ、併し→しかし / 即ち、乃ち→すなわち / 故→ゆえ / 並び→ならび / 共→とも、ども / 為→ため / 居る→いる、おる / 於て→おいて / 扠→さて / 抔→など / 迄→まで / 程→ほど、余程→よほど / 御座→ござ / 無御座→ござなく / 敷→しき / 罷在→まかりあり / 有之→これあり、これある / 無之→これなき、これなく / 只→ただ / 拠る、由る→よる / 僅→わずか / 遂に→ついに / 皆→みな / 付→つき
「不申」などは「申さず」と、「被致」は「いたされ」と表記しています。