探検コム/刑罰と私刑の世界

私刑類纂 そのほかの刑



(三)自由刑



 身体の自由を拘束する刑をいう。現行刑法にては、懲役刑をも自由刑と見倣(みな)しおれど、本書にてはこれを採らず、労役刑の刑名を設けて区別せり。

 古来、私刑として行われたる捕縛拘禁はすべてこれ自由刑なり。娘を柱に括(くく)り付け、あるいは親類預け、息子を座敷牢または土蔵に入れ、小児を戸棚に入れ、寺子屋、学校、軍隊などにて行う禁足、遊廓の桶伏(おけぶせ)、行燈部屋入れなどはみな、公刑の禁獄、禁固、拘留、検束処分などに均(ひと)しき自由刑なり。

 なお、破産者に対して、羽織を着るを禁じ、傘を禁ぜしは、人権の自由を束縛せしものにて、この刑の範囲に属すべし。
 この刑罰法には、別に註疏(=詳しい説明)を付すべきことなし。

(四)労役刑



 古来の私刑公刑に労役刑はなかりしが、刑罰の復讐主義を救療主義に改めし以来、犯人に勤勉の習慣を強制し、あわせて国家経済の一助として労役に服せしむることとなりしなれども、私刑には時間の短きを要する事宜上、労役刑の行わるること極めて少なし。

 陸海の軍隊にて行う私刑に、時間外の勤務を命ずること、または重き物を持たしむるがごとき、学校寄宿舎にて、怠惰者にランプ掃除をなさしむるがごとき、淫奔娘を女郎に売り、女郎を炊事に酷使するなどのほかには、蛮人間に行わるる労役刑あるのみなるべし。

「お茶ひき女郎」といえる語は、今は売れざる女郎という義(=意味)の代名詞に過ぎざれども、古来の伝説のごとく、真実売れ残りの女郎にお茶をひかせしものとせば、これもまた労役刑と見ざるべからず。

 古川柳にいわく、
「お茶をひく女郎その夜はねかしもの」
「お茶をひいてる渋いツラ苦いツラ」
「ひいた茶を客にのませる姉女郎」

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(五)追放刑



 公刑の追放、江戸払い、門前払い、追院などとともに、私刑として行われたる所払い、村払い、寺を追う、勘当などはもちろん、破門、退校もまた追放刑というべく、村ハチブ、出入り差し止め、免職、絶交、除名などは準追放刑と見るべし。

 近世、他人の家を訪問して、その面会を謝絶されしことを「門前払いをくった」とか、「玄関払いに逢った」など言うは、公刑より出でし私刑化の語なるべし。

▲村ハチブ


 村内人同盟絶交の義(=意味)なり。「町省き」というに同じ。「組外し」と呼べる地方もあり。讃岐にてはこれを「本願払い」と言えり。

「ハチブ」といえる語は、人を擯斥(ひんせき、排斥)する義にて「撥撫(はちぶ)」なりと『梅園日記』に見ゆ。
 中山太郎子の説によれば、「ハチブ」は「八分」にして、ことを十分と見、村内共同の絶交なれども、火災のときと葬式の際には捨て置かず、すなわち二分は絶交に非(あら)ずとして「八分」といえること、下野・足利地方にては古来の定説なりという。

 このハチブ、町省き、組はずし、本願払いなどいえる共同絶交は、今なお各地にて行わるる社会的制裁のひとつなるが、昔時は絶交されし者が服従するのほかなかりしに、明治大正の時代となりては、これに不服を唱えて裁判沙汰となりしも数件あり。

『法学協会雑誌』に穂積重遠先生が摘録されしところによって記す。
 大正7年(1918年)、出雲・杵築地方の某が、道路開設の敷地買収に応ぜざるため、その開通を遂行し得ざるに憤慨して区民が共同絶交し、なお村内の祭典に参加せしめず、共有財産に関係せしめず、また某と内々交際する者は同じく共同絶交に処し、某の食用たる米麦を搗(つ)きし水車業者に対しても共同絶交を通知するなど、徹底的に私的制裁を加えられしが、某はこれを不法行為として損害賠償の請求訴訟を提起し、第一審敗訴、第二審にては「社会生活の自由を妨げ、社交的名誉を毀損せし不法行為につき、その賠償として原告に金300円を渡すべし」との判決あり。
 被告の村民どもはこれを不服として上告せしが、大審院(=現在の最高裁)にても同じく「単独絶交は各自の自由なれども、多数の者が共力(=協力)同盟して絶交し、もって社会的生活の自由を妨害し名誉を失墜せしめしは不法行為なり」との判決ありて、ハチブされし者の勝訴となり、大正10年後は共同絶交を不法行為と認むることに確定せり。

 また右は民事訴訟としての判例なるが、刑事問題としての大審院判決例は、明治44年(1911年)、大正2年(1913年)と同9年に各1件あり。

 その第一は、軽挙妄動にて商業上大失敗を演じ、もって居村住民に損害を被らしめたる者に同情して、その利益を保護せんとせし者あり、その行為を不当として共同絶交に処せしなり。
 第二と第三は、議員選挙の際、村民の協定に違反して、反対候補者のために運動し、かつ投票せりとの理由にて、共同絶交に処せしなるが、その絶交されし者より脅迫罪として告訴し、終審の大審院においても有罪と判決せしなり。

 その理由の一節に、
「絶交は実際上、種々なる事情の下に行われ、その原因もまた区々にしてー定せざれども、背徳の行為または破廉恥の行為に対する社交上道徳上の制裁として一般に認められたるところなれば、多衆共同の絶交が正当なる道義上の観念に出で、被絶交者がその非行によりみずから招きたものなるときは、これに対して法律上救済を与うる必要なく、絶交者がこれによりて被絶交者をして義務なきことを行わしめ、または行うべき権利を妨害したる場合、またはその絶交が正当の理由なきときは、ここに初めて違法性を有す」
 云々と論じて、不当なるハチブは犯罪行為なりと判定されたり。

(六)財産刑



 罪のツグナイとして金品、すなわち財産を出さしむる刑をいう。贖金(しょくきん)、過料、科料、罰金などいうに同じ。公刑には金銭を主とせしも、私刑には金銭ならざるもあり。牛馬羊豚を賠償物とし、あるいは飲食物を振る舞わせ、あるいは演劇を興行せしむるなどもまた財産刑と見るべし。
「ノロケ箱」と称して、ノロケを言いし者より罰金を徴することも行わる。

 祭礼のとき、神輿にて吝嗇者(=けち)の門戸墻壁(しょうへき、土塀)を破壊するなども、財産上の損害を蒙らしむるを目的とすることなれば、これまたこの刑に属すとすべし。物品没収もまた同じ。
 
 中古御来の公刑たる贖罪法には、杖刑、流刑、死刑罪人までも贖金に代えうるを得たりしなり。私刑として「重ねて置いて四ツにす」べき奸通事件を、5両または7両2分にてすませしも換刑処分と見るべし。
 
 亜弗利加(アフリカ)ベチナランドの土人間には、刑罰としては財産刑のほかなく、盗賊は発覚の際、返品すればこと済み、殺傷奸淫などの罪には、家畜もしくは日用物品を提出せしむる定規(=決まり)なりという。

「夷人ども(アイヌ)法を犯すことあれば、その罪の軽重によりて、宝物をもって罪を贖うことなり。その数に増減あり。たとえば宝物20品とあるときは、太刀ひと振りにても、鍔(つば)、小柄(こづか)、切羽(せっぱ)、柄頭(つかがしら)、目貫(めぬき)、鵐目(しとどめ)などと、みなみな取りわけて20の数に入るることなり。
 不義せし者といえども、このつぐないをもってこと済むがゆえに、しいて争い論ずということもなし。
 いかようなるむつかしきことありても、松前(奉行所)へ訴えてその対談を請けることなし」(北海随筆『蝦夷風俗彙纂』後篇)

「夷人のうち悪事をなす者あれば、そのところの夷人ならびに親族の者集まりて、その者を拷問し罪を糺(ただ)すことなり。これをウカルという。(中略)夷人の法に、喧嘩争論のことあれば、負けたる者の方より、あやまりの証として宝器を出すなり。これをつぐないと称す。
 その償いを出すべきときにあたりて、ウカルの法を行い拷問することあれば、宝器を出すに及ばずして、その罪を免すことなり」(蝦夷国志)

 商取引きの上において行わるる手付け金の流しとか、倍額弁償とかいえる慣習は、売買違約の罰金として徴収せしことがその起源なるべし。

(七)恥辱刑



 公法の名誉刑とは、選挙権行使などの公権停止禁止、または官吏登用の資格を失うなどを言う付加刑なるが、恥辱刑とは主刑にて、世間体面上の名誉を汚損さるる侮辱の刑罰を言うなり。
 サラシおよび市中引き廻しの刑は自由を拘束するほか、衆人に見せしむるというが本義なるをもって、すべてこの刑に属す。村役人に選挙せず、人中にて嘲り笑う、落書き、銅像破壊、代価不払いの掲示などもみな恥辱刑なり。また木像梟首(きょうしゅ、さらし首)、記念碑撤去、死体引き廻しなどは死後の恥辱刑というべし。

▲虚言者塚 


 ボルネオ島にはツゴングブラといえる塚あり。虚言者なりとの表記として建つる塚なりと言う。土人はいかなる刑罰よりも、この塚を築かるるを怖る。諸他の刑罰は一時的なれども、塚は後の世までも残り、長く子孫の恥辱となるがゆえなりと、『南方来書』にありと中山太郎子(=氏)より報告さる。

(八)貶黜(へんちゅつ)刑



 領地の改易(=没収)、任官の左遷などは、主刑として上古以来公行され、明治大正時代にも免官免職のほか、官等官級を逓下(=下げる)さるることも行われおるが、銀行会社商店などにても、これに均しきことあり。公法にては行政処分と見るべき案件なれども、遊里の「太夫おろし」と同じく、元来が懲戒的の意義に出ずるものとすれば、古法制のごとく刑事制裁と認むるも可なるべし。

(九)叱責刑



 徳川幕府の法制には「譴責(けんせき)」または「叱り」といえる刑名ありたり。
『御定書百箇条』にも、隠し売女の宿主は所払い、地主は重過料、もし地主そのところにおらざれば、叱りといえるがごとき例あり。この叱りは奉行所に呼び出して叱責を加うるなり。
 親が子を叱り、主人が下男下女を叱り、上官の者が下役人を叱り、平等人の間にても、足を踏みしとて「気をつけろ」と叱り、目障りとて「帽子をとれ」と叱るなど、軽微の懲戒なれども、これらも私刑に属すべし。