海野十三が見た100年後「2040年の世界」

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 1897年、徳島で生まれた作家の海野十三(本名・佐野昌一)は、早稲田大学理工学部を卒業後、逓信省(現在の総務省)電気試験所で無線や真空管を研究しました。技術専門書を書くと同時に、科学小説も執筆しはじめます。
 
  1928年、探偵小説『電気風呂の怪死事件』で文壇デビュー。以後、地球人と火星人が戦う『火星兵団』はじめ、多くのSF小説を残しました。『浮かぶ飛行島』『太平洋魔城』『地球要塞』などのタイトルからわかるとおり、ロケット、テレビ、人造人間などテーマは多彩。まだSFというジャンルが確立していなかった時代、その作品は多くの子供たちを虜にしました。

 当時有名作家だった江戸川乱歩も驚嘆し、手塚治虫も影響を受けたことを明かしています。

 そんな海野はいくつも未来予測をおこなっています。1940年1月7日には、読売新聞が子どもたちに向けた「100年後の日本」という記事を掲載しています。サブタイトルは「地下に築く東京市 なんと道路は12階 戦車も地底から攻めてきましょう」となっています。以下、当該記事を全文掲載しておきます(読みやすさを重視して、一部改変してあります)。

 なお、文中に出てくる「皇紀」ですが、1940年(昭和15年)は、神武天皇の即位から2600年(皇紀2600年)だとして、当時、多くの祝賀イベントが開催されました。この記事は、100年後の皇紀2700年の日本を予測したものです。新聞記事なんで短いですが、なかなか面白い内容です。

(ここから)

 国はじまって2600年、わが国はいまやどの点からみても、世界一を誇るに足る立派な文化を持っておりますが、これから100年、すなわち皇紀2700年にはいったいどんなに立派になっているでしょうか。100年後の日本というお話を、科学小説で知られる佐野昌一先生から伺いました。以下は先生のお話です。

 100年後の日本はどうなる? 本当に難しい問題です。100年後といえば、皇紀2700年のことですが、その答えはなかなか難しい。

 しかし、私にはだいたいそれがわかっているのです。じつは誰にも見せないすばらしい器械があります。「時間器械」といって、これを回すと昔のこともわかるし、100年後のことだってちゃんとわかるのです。たいへん便利な器械です。この器械を考えついたのはウェルズという科学小説家ですが、皇紀2700年には我が国に本物の時間器械ができるでしょう。

 昔を回すと神武天皇の昔から2700年の日本の姿が、目もあやに美しい絵巻物となって現れ、未来を回すと100年、1000年、1万年先の皇紀2800年、3700年、1万2700年がありありとわかるのです。こんな便利な器械なら、今からでも欲しいでしょう。さあこの時間器械で、ひと足とびに100年後の日本をたずねてみると――。

■いまの東京市は原っぱです

 あれあれ。ここが東京市だというのに、どこにも町が見えません。見渡すばかりひろびろとした原っぱです。ああ、キジがケンケン鳴いて、とびたちます。まるで夢のようですが、もし原っぱのまん中にぼんやり立っていたら、

「もしもし、そこにいるのは誰ですか。そんなところに立っているとあぶないから、早くこっちへ入ってください」
「え、入れってどこへ入るのですか。いったい、あなたは誰ですか」

 そんな答えをしようものなら、

「ええい、めんどうくさい!」

 その声はそう答えるでしょう。そして、その声と同時に立っていた大地はすとんと下に落ちるでしょう。井戸の中へ落ちたように体は落ちていきますが、さて、どすんと下に落ちてみると、立派な市街です。地下都市です。空襲をさけるため、地上には家を建てずに、建物はみな地下につくることになったのです。2700年の東京は、地下に市街ができるでしょう。

■交通事故なんか昔語りの道路

 地下都市となった東京市を散歩してみると、まったく驚くばかりです。たいへんな変わり方です。道路はながながと通っていますが、十字路がありません。ですから、 ゴウ・ストップの信号機もありません。横の方へ行くには、いま見える道の下を通るのです。

 つまり、いま見える道が11階にあるとすると、横へ行く道は1階下の12階にあるのです。だから十字路での事故なんかまったくありませんが、何よりも驚くべきことは、幹線道路に走るベルトがついていることです。これは道がそのまま走るのです。ですから人間は歩かなくともいいのです。ベルトの上にちょいと乗ればよろしい。そのまま、どこまでも運んでくれます。

 その走る道路は、スピードのおそいものから早いものまで5種類ばかりあって、それが帯をならべたようにならんで走る――なんと100年後の市街は変わることでしょう。

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■威力ものすごい地底戦車の活躍

 地下都市となった2700年は、武器も非常に変わってきます。その中でも驚くべきものは戦車です。地底戦車といって、この戦車は地下都市を空中から攻めても大したききめがないので、地下をもぐって底の方から攻めてくる戦車です。

 カムフラージュなどしなくとも、全然姿がわかりませんから、その威力はたいへんおそれられることでしょう。この戦車をとらえるには、地底を無数に走る電流を使います。戦車がいるとそこへ通じた電流に反応が起こる仕掛けになっていますが、戦車を強い電流に当ててとらえるのです。

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(ここまで)

 1942年、海野は海軍報道班員として、ラバウルへ向かいます。デング熱にかかり、すぐに内地へ送還となりますが、広島に原爆が投下されたことを知り、軍事小説をたくさん書いたことを後悔。自責の念から心中を決意します。このときは友人に諭され死ぬことはありませんでしたが、1949年、結核のため死去しています。

 徳島に立つ海野十三文学碑には、次のような言葉が刻まれています。

《全人類は科学の恩恵に浴しつつも、同時にまた科学恐怖の夢に脅かされている。恩恵と迫害との二つの面を持つ科学、神と悪魔との反対面を兼ね備えている科学に、われわれはとりつかれている。かくのごとき科学時代に、科学小説がなくていいであろうか》