漫画の歴史
草双紙の世界:もののけ(妖怪)大活躍

妖怪・物の怪
『宝珠玉岩井模様』柳川重信画、1821


 学校でやる占いといえば「こっくり」さんですが、これは漢字で「狐狗狸」と書きます。つまり、キツネ、イヌ、タヌキですな。日本では「狐狸(こり)妖怪」という言葉があるくらい、キツネとタヌキは人を化かすので有名です。
 では、文献上、最初にキツネとタヌキが人を化かしたのはいつでしょうか?

 まずキツネ。
『日本霊異記』(822年頃成立)に欽明天皇の時代(539〜571)、キツネが女に化けて男に嫁入りし、子供を産んだと書かれています。
 子犬にほえられ、怖がって正体をさらしたキツネに、夫が「お前と俺は子供まで作った仲ではないか。せめて毎晩、一緒に寝よう」と言ったところ、

「故(かれ)、夫の語に随ひて来り寐(ね)き。故、名づけて岐都禰(キツネ)といふ」

 つまり、「来つ寝」がキツネになったわけですな。
 
 タヌキはどうか。
 日本書紀の第22巻は推古天皇について書かれているんですが、「推古35年」(627)の項目に「春二月。陸奥国有狢化人以歌之」とあります。現代語訳すると、「春2月、陸奥(むつ)の国に貉(むじな)が現れ、人に化けて歌を歌った」ということです。
 その昔、ムジナとタヌキはほとんど区別されていなかったことから、これが日本最古の化けタヌキの記録と言ってもいいでしょう。聖徳太子の十七条憲法なんかと並んで化け物話が書いてあるところがすごいですな。

 実は日本書紀には天狗とか人魚とか化け狗とか、ありとあらゆる化け物が登場してるんです。考えてみれば須佐之男命(すさのおのみこと)が退治した八岐大蛇(やまたのおろち)も妖怪ですからね。日本史は物の怪と一緒に始まっていたわけです。
 余談ながら「妖怪」という言葉の初出は、『続日本紀』の777年、宮中で不思議な現象(妖恠=ようかい)が頻発し、大祓したというものです。

妖怪・物の怪
●滝沢馬琴『武者修行木斎伝』、歌川豊広画、1805

 木こりの木斎が天狗に剣を学び、仇討ちの旅に出る。旅の途中、姫を襲っているタヌキの化け物を退治


 古来、日本には化け物の記録が多いのですが、それが爆裂したのはやっぱり江戸時代です。
 以下、江戸時代の草双紙から、化け物や物の怪の画像を一挙公開しときます。


妖怪・物の怪
●山東京伝『於杉於玉二身之仇討』、歌川豊国画、1807

 船底を突き抜く「かぢとほし」(カジキ)という悪魚を食べてくれる海童。人には害を与えず、渡海の助けとなる。
「大きさは子牛の如く、頭に鳶色の毛を生じて腰まで垂れ、顔は猫に類し、両眼の光稲妻の如くにて云々。両の手に水掻ありて、爪は刀の如く、両足は魚の如くにて、歩むことならず。背中に5色の苔あり、腰の周りにいろいろの貝海草など付きて岩の如く、腹は黄色にてガマの腹のごとし」



妖怪・物の怪
●山東京伝『猿猴著聞水月談』、歌川国直画、1815

 女郎平という悪人を食べようとするオオカミの化身



妖怪・物の怪
●山東京伝『高尾丸剣稲妻』、歌川国貞画、1810

 仁木弾正が色仕掛けの妖術で「やさ岡」を襲う。やさ岡はひるまずに剣を抜き、観音経を唱えると、妖怪どもは消え失せた



妖怪・物の怪
●万亭慶賀『釈迦八相倭文庫21編』、歌川豊国画(3代)、1851

 帝釈天と阿修羅の戦い。金翅鳥(こんじちょう)は迦楼羅(かるら、ガルーダ)ともいう伝説の巨鳥で竜を食べる。
阿修羅の軍兵が金翅鳥の卵を1つ踏みつぶしたところ、怒った金翅鳥は300万里の羽を広げ、ひとはたきで兵士500〜600人、ふたはたきで700〜800人を吹っ飛ばした。帝釈天の兵士は卵を踏まなかったことが幸いした



妖怪・物の怪
●万亭慶賀『釈迦八相倭文庫58編』、歌川豊国(4代)画、1869

 悪魔に「でんこくの剣」と「せかんうの玉」を盗まれて自滅した高碌。高碌の遺児は悪魔の拝殿で「でんこくの剣」を奪い返し、悪魔の首を斬り落とした。
「その首たちまち虚空へ飛びて火焔を吹きかけ、体は瞋恚(しんに=怒り)の余りにや切り口より火焔の出でて、首もろとも心火に燃えつくせしぞ、不思議なる」



妖怪・物の怪
●十返舎一九『化皮太鼓伝』、歌川国芳画、1833

 妖怪の引っ越し。羽州(山形県)の化け物の息子が「おちよぼん」という妖怪と駆け落ちする。その手伝いに「しろだわし」(左)が手助けに来る


 以上は妖怪・物の怪のたぐいですが、次は怨霊を紹介しときます。

妖怪・物の怪
●山東京伝『八重霞かしくの仇討』、歌川豊国画、1808

 強盗殺人犯・辻風駄平太を襲う怨霊。歯が黒いのは「お歯黒」という当時の風習で、結婚の証。手鏡の中は、以前犯した殺害場面


制作:2008年7月1日

<おまけ>
 妖怪と幽霊ってどう違うか知ってますか?
 洋画家の岸田劉生は「ばけものばなし」で、次のように書いています。

《幽霊とは人間の化けたもので妖怪とは人外(じんがい)の怪(かい)である。
 幽霊は大てい、思いを残すとか、うらみをのこすとかいう、歴(れっき)とした理由があって出て来るのであるが、妖怪の方は、山野に出没する猛獣と等しく何らのうらみなしに、良民をなやまし、あるいはとって喰う等の残酷な事を行う》


 つまり、

○妖怪は動物と一緒で、適当な場所に出て適当な相手を襲う
○幽霊は恨みや思いを残してるため、特定の場所や特定の相手に対して出る

 幽霊に足がないというのは、移動する必要がないからです。

 南方熊楠は「幽霊に足なしということ」と題した論文で《(日本人は)たぶん実体なき諸精霊は足跡を現ぜずと信ぜし》と書いてますが、そうではなく、怨念とか恨みの象徴である日本の幽霊は、場所が変わると怨念度が下がると思われたのではないでしょうか。つまり、庶民の意識の中で「移動の自由」を与えられなかったのではないかと。
 ちなみに「足のない幽霊を最初に書いたのは円山応挙」と言われますが、これは俗説です。
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