「猫碑」探訪
宮城県丸森町の養蚕文化

猫碑(天神社)
猫碑(天神社)


 宮城県丸森町は、全国でも有数の「猫碑」の町です。現在、81基が確認されており、日本全国の猫碑の半分以上を占めるといわれます。たとえば天神社には、「猫神」の文字が刻まれた石碑があります。これは文化7年(1810年)製で、東北最古の碑とされています。蚕の供養塔とともに、丸い猫の姿も。

 しかし、残念ながら2019年の台風19号で土砂崩れが起き、これらの碑は土砂に埋もれた模様です。そこで、今回は猫碑についてまとめておきます。

「猫神」の石碑
「猫神」の石碑(天神社、1810年)


 現代の日本でペットといえば、たいていは犬と猫ですが、庶民の家にペットとして犬猫が入ってくるのは、意外に最近のことです。

『日本書紀』には、ヤマトタケルが信州で迷った際、白い犬が美濃へ導いたと書かれており、犬自体は珍しいものではありません。しかし、日本において、長らく犬は各家庭で飼われることは少なく、「村の犬」として共同で飼われていました。つまりペットとしての価値は低かったのですが、猟などの必要から徐々に家庭でも飼われていくようになります。
 
 しかし、明治36年(1903年)の「畜犬取締規則」により、犬を飼うと「畜犬税」を払う義務ができたため、犬がペットになることは少なかったようです。

春日権現験記絵巻
14世紀初頭「春日権現験記絵巻」に描かれた犬


 その一方で、猫はペットとしての地位を確立していきます。
 平安時代、宇多天皇は黒猫を飼っており、『寛平御記』にはその様子が詳しく書かれていますが、これは貴族の話。庶民は一体どうだったのか。

 古い時代、猫がペットとなったのは、もともと単なる流行だったと柳田国男の『明治大正史 世相篇』に書かれています。かつて日本の家には天井がありませんでした。平安時代の寝殿造りでも屋根裏が直接見えました。平安後期になると、徐々に天井ができますが、それが民家にまで降りてくるのは、ずっと先の話です。

 日本家屋の構造が変わり、天井ができ、押入れが多くなると、ネズミが屋内で繁殖するようになりました。屋外ならヘビやトビが退治してくれましたが、室内では無理です。以前は、ネズミをペット扱いして、正月にネズミ用のおせち料理を準備する地方もありましたが、ネズミについたノミから病気のペストが広まるといった衛生知識が広まると、ネズミは嫌悪され、家々の猫の数が激増していきました。

新潟県の猫面鬼瓦
新潟県の猫面鬼瓦(村田町歴史みらい館)


 飼い猫が広まるのは、特に養蚕の普及が大きなきっかけとなりました。もともと猫は、中国から運び込まれた経典をネズミが食い荒らさないように連れてこられたとされますが、養蚕現場では、ネズミの繁殖は死活問題です。

 ネズミは蚕の幼虫やサナギを食べ、繭をかじってしまいます。いったんネズミが入り込めば、多くの繭が利用できなくなります。そのため、どの家でも必ず猫を飼うようになりました。猫がいなければ、鰹節を大量に用意して、隣家の猫を呼んで逃さないようにもしました(南方熊楠『十二支考』)。

 実際、江戸中期(1702年)に書かれた日本最古の養蚕書『蚕飼養法記』には、「家々に必ずよき猫を飼い置くべし」と記されています。

蚕飼養法記
『蚕飼養法記』(国会図書館)


 また、江戸時代後期、平戸藩主の松浦静山が書いた随筆集『甲子夜話』に、画家の谷文晃から聞いたとして、こんな話が書かれています。

「紫色の毛をした獣はまずいないが、奥州には紫色の猫がいる。その色は藤の紫のようである。奥州は養蚕が盛んなので、ネズミが蚕を食べたりしないよう、猫が重用されている。馬の値段は1両くらいなのに、猫の値段は5両にもなるという」

 養蚕が盛んだった東北では、特に猫が可愛がられたことを示しています。これが、「猫神」という独自の文化を生むことになりました。

猫碑
8つ並んだ猫碑のひとつ(丸森町の西円寺)


 時代がはるかにさかのぼりますが、『万葉集』に、大伴家持のこんな歌が記録されています。

《初春(はつはる)の、初子(はつね)のけふ(今日)の玉箒(たまばはき)
 手にとるからに ゆらぐ玉の緒》

 初子は、正月の最初の子(ね)の日にあたります。この日、蓍(めどき)という草と当日に抜いた小さな松を使ってホウキにしたものが「玉箒」です。貴族はこの玉箒にガラス玉などを飾りつけたため、手にとったら玉の緒が揺らいだと書かれています。

 日本の宮廷から庶民に広がった文化ですが、正月最初の子(ね)の日に、この玉箒で蚕室を掃除する風習がありました。子の日におこなうのは、もちろんネズミを追い払う呪いだからです。こうしたネズミ除けの文化が、「猫神」につながります。

養蚕神社の猫
岩手県・養蚕神社の猫(村田町歴史みらい館)


 猫を彫った「猫碑」の目的はペット猫の供養の意味合いが強いのですが、もちろんネズミ除け、繭の豊作祈願もありました。

 猫碑は養蚕が盛んだった東北南部に多く存在しています。なかでも際立って多いのが、宮城県丸森町です。現在、81基が確認されており、日本全国の猫碑の半分以上を占めるといわれます。丸森にはかつて2000戸を超える養蚕農家がありました。同時に、花崗岩の産地としても有名で、石工が多かったことも、猫碑がたくさん作られた理由です。

 そんなわけで、丸森町の猫碑を見に行ってみました。

 まずは細内観音堂町。町の中心部にある百々石(どどいし)公園の入口にあります。高さ70cmほどの花崗岩に丸顔の猫が彫られています。碑には「天保五年」(1834年)とあり、「今朝のゆき いきふじ花の かたみかな」という句も書かれています。雪の朝に「ふじ」という猫が死んだという意味のようです。

細内観音堂の猫碑
細内観音堂


 つづいて、福一満虚空蔵堂です。左右は逆ですが、細内観音堂の猫とそっくり。「天保六年」「横町 伊藤徳次郎」とあるようです。もしかしたら同じ石工かもしれません。

福一満虚空蔵堂の猫碑
福一満虚空蔵堂


 さて、宮城県角田市にある福応寺には、養蚕信仰としての「ムカデ絵馬」が2万3477枚保存されています。これは、ネズミがムカデの匂いを嫌がるという言い伝えから来ていますが、同寺・毘沙門堂に祀られる毘沙門天の眷属がムカデだったことも影響しているようです。

 猫碑を調査して有名にしたのは、村田町歴史みらい館(宮城県)のスタッフさんですが、今夏、ここで『猫にお願い』という企画展が開催されたので、以下、その展示品をいくつか掲載しておきます。
 これを見るだけで、養蚕が数多くの文化を生んだことがわかるのです。

猫絵馬(福島県)
猫絵馬(福島県)

猫石像(宮城県)
猫石像(宮城県)

新田猫絵(群馬県)
新田猫絵(群馬県)


制作:2019年11月17日

<おまけ>

 江戸の奇談をまとめた『耳袋』には猫の怪異話が記録されています。
 番町あたりにあった武家屋敷で、長生き猫が縁側にいたスズメに飛びかかって取りそこねたとき、「残念だ!」と人間の声でつぶやいたというのです。
 長生きした猫は化け猫(猫又)になるとされており、その祟りを恐れ、猫碑が作られた可能性もあるのです。

眠り猫(日光東照宮)
眠り猫(日光東照宮)の裏側はスズメの彫刻

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