過去のものさし「年縞」
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過去の気候を知る「年縞」の世界
世界基準となった日本の「ものさし」
年縞ステンドグラス(福井県年縞博物館)
2020年、茨城大学の青山和夫教授のチームが、マヤ文明最古で最大の建造物を発見したと発表しました。紀元前1000年ごろのものだと推測されていますが、いったいなぜ紀元前1000年だとわかったのか。たとえば木の年輪で年代を推定できますが、より正確なものとして、遺物に含まれる「放射性炭素(C14)」の測定が使われます。
C14は、普通の炭素(C12やC13)よりわずかに重いのですが、不安定なため、5730年で半分になり、わずかな放射線を出して窒素に変わります。簡単に言えば、骨の中のC14が半分になっていれば、その生物は5730年前に死んだとわかるのです。
年輪で太陽フレアの増大も判明(国立科学博物館)
このように、地質年代は「放射性炭素」の量を測って年代を特定してきました。しかし、大気中の炭素の量は時代によって変わるので、とくに生物に関しては必ずしも正確な測定ができるわけではありません。そのため、イントカル(IntCal)と呼ばれる「換算表」が必要となります。
2013年、イギリスで「イントカル13」が公表されました。これは、5万年前から現在までの地質時代を決める基準となる「ものさし」です。1万1000年前のもので誤差はおよそ30年、5万年前のものでも、誤差はわずか170年程度の正確さです。
メートル原器とキログラム原器(国立科学博物館)
国立科学博物館には、長さの基準である「メートル原器」が展示されています。1メートルの長さは、地球の北極点から赤道までの距離の1000万分の1として、1795年、フランスで決められました。しかし、地球は完全な球体ではないので、計測箇所によって、長さが違ってしまいます。そのため、現在は「真空中で光が1/2億9979万2458秒に進む距離」と厳密に決められています。
同様に、重さにはキログラム原器があります。こちらは長らく合金(白金90%、イリジウム10%)の重さで決めていましたが、2018年、「プランク定数」という物理定数を使うことで、より高い精度で基準を決めることができました。
地質年代は「放射性炭素」の量で年代を特定してきたわけですが、前述のとおり、大気中の炭素の量は時代によって異なるので、正確な換算表が必要になります。そして、その換算表「イントカル13」で、日本の「年縞(ねんこう)」が正式に採用されました。つまり、日本の「ものさし」が世界基準となったわけです。
いったい、どういうことなのか。今回は知られざる「年縞の世界」をまとめます。
三方五湖(中央が水月湖。右手の日本海との色の違いに注目)
福井県の若狭湾国定公園に「三方五湖(みかたごこ)」という湖があります。三方湖、水月湖、菅湖、久々子湖、日向湖の総称で、重要な湿地として、ラムサール条約にも指定されています。そのなかで最大の水月湖の湖底には、1年ごとに「しましま」状となった7万年ぶんの堆積物が存在しています。これが「年縞」です。堆積物はほとんどが泥ですが、なかには火山灰もあります。そうした堆積物が実に45メートルも積み上がっているのです。
この年縞は、7万年ぶんが1年も欠けることなく残されています。春夏はプランクトンの死骸・珪藻が多く、層は白くなります。一方、秋冬は粘土が多くなり、黒っぽい層となります。この白黒で1年、層の厚さは、暑い年で1〜1.5mm、寒い年で0.7mmと言われています。
大部分の層が明瞭に残されているため、年代決定が正確にできるようになりました。噴火や地震など大きな環境の変化があれば、歴史上の記録と実際の環境の変化を対比することもできます。放射性炭素年代測定の誤差を較正できることから、「地質時代を決める『ものさし』」となったわけです。実際、連続した年縞では水月湖の年縞が世界一だと見なされています。
湖底の地すべりが記録された年縞
水月湖で年縞が見つかったのは、1991年のことです。安田喜憲教授が、若狭町の貝塚と同時代の環境を調べようと、水月湖を掘削して見つかりました。「年縞」という言葉も、安田教授が命名しました。
年縞を「ものさし」として使えないかと研究を始めたのが、助手として現場にいた北川浩之教授です。北川教授は、膨大な量のしま模様を1枚1枚数え、そのなかから「ものさし」となる炭素(C14)を抽出していきました。この論文は1998年に科学雑誌『サイエンス』に掲載されましたが、残念ながら「ものさし」には採用されませんでした。その理由は、年縞は1メートルのパイプを使って掘るため、45メートル分が本当につながっているか説明できなかったからです。
その後、リベンジしたのが、年縞研究の第一人者である中川毅教授です。中川教授は2006年に位置をずらしたボーリングを4回おこない、完全につながった年縞の標本を手に入れたのです。エックス線と顕微鏡で層を数え、膨大な数の植物の葉のC14を測定したといいます。
ウルルン島の火山灰
年縞はドイツのアイフェル地方、ベネズエラのカリアコ海盆、イタリアのモンティッキオ、中国の龍湾など世界に存在しています。国内でも一ノ目潟(秋田県)、東郷池(鳥取県)、深見池(長野県)などで確認されていますが、そのなかでもなぜ水月湖が世界トップの「奇跡の湖」となったのか。おもな理由は4つあります。
(1)水月湖に直接流れ込む川がないため、土石の流入がない
(2)水深が34メートルと深く、周囲を山に囲まれているため風が少なく、湖水がかき混ぜられない。そのため湖底に酸素が供給されず、堆積物をかき混ぜる生物が生息できない
(3)周辺の断層の影響で湖底が沈下し続けているので、年縞が積み重なっても埋まることがない
(4)熱帯地方などの湖は季節の区切りがはっきりしないので、模様ができにくい。四季があるからこそ、しま模様ができた
年縞に含まれる葉や花粉を使って過去の気候を調べることは、世界中でおこなわれています。では、具体的に年縞から何がわかるのか。
7万年前の最初の年縞
たとえば、1万2000年前の年縞から、ブナやコナラの花粉が見つかりました。これらの木が生えていたのは気温が低めだった証拠です。ところが、6500年前ごろからは、スギの花粉に変わりました。このことから、スギが育つ暖かく湿った気候になったことがわかります。
従来、測定の主要サンプルは葉っぱの化石でしたが、これだけでは基準が甘くなってしまいます。しかし、花粉ならどこにもあるので、今は花粉の研究が最も重要なものの一つになっています。
イネ科植物の花粉が増えた荘園時代(1200年〜)
また、過去の噴火で降った火山灰が見つかっています。この結果、7240年前や3万年前に、日本で大規模な噴火があったことがわかりました。3万年前の層から厚さ20センチほどの火山灰が見つかりました。これは、600キロ以上離れた鹿児島の「姶良(あいら)カルデラ」の火山灰でした。従来、この火山灰は2万9000年前のものと推定されていましたが、年縞により、1000年遡ったことになります。
このほか、地震で流れ込んだ土砂、津波の跡などもあり、災害の詳細な歴史もわかりそうです。
豊臣秀吉が直面した天正地震(1586年)の層は非常に分厚い
さらに、年縞からは、春に中国やモンゴルから偏西風に乗って飛んでくる黄砂も見つかっています。この風は梅雨前線の移動に影響するので、黄砂の量を調べれば、梅雨前線の移動の歴史が判明するかもしれません。
このほか、ネアンデルタール人の絶滅の時期も判別できる可能性も出てきました。どういうことかというと、4万2000年前に地球の磁場が弱った結果、オゾン層が破壊され、紫外線が強まって、肌の白かったネアンデルタール人が絶滅した可能性があるというのです。強い紫外線を受けると、花粉にも奇形が生じます。花粉の奇形がわかれば、その当時、皮膚病を誘発するほど紫外線が強かったと言えるのです。
花粉の拡大写真
空気は混ざりやすいので、大気中のC14の量は世界中どこでも同じです。つまり、水月湖で作った「ものさし」があれば、アンデス文明の研究でもマヤ文明の研究でも使えるのです。
年縞の掘削は、これまで1993年、2006年、2012年の3回おこなわれました。そして、2025年にも実施されています。実は、技術者の引退のため、この2025年が最後になる見込みです。
水月湖に浮かぶ掘削船
ボーリングのやり方について、中川教授が解説しています。水月湖での掘削は、簡単に言うと、直径8センチのパイプを二重にして、それを水圧でまっすぐ刺して、油圧で抜く、というものです。
ほとんどのボーリング技術は、回転させながらパイプを刺し込みますが、これだとねじられた薄い層ははがれてしまいます。しかも、湖底の年縞が東西南北のどちらを向いていたかの情報も失われてしまいます。そこで、パイプを回転させず、ただ真下に刺しこむ技術が開発されました。これが「シンウォール(薄い壁)式」と呼ばれるものです。
通常のシンウォール式は油圧で地中に押し込みますが、何十メートルの長さになると、棒というよりバネの性質が出るとのことです。力がバネに吸収されてしまい、先端に効率よく伝わらないのです。一方、水圧式は、いわゆる「パスカルの原理」で、どんなに距離があってもすべての面に均等に力が伝わるため、ピストンを効率よく押し下げることが可能なのです。
年縞の掘削パイプ
ただ、掘削については、突き刺すよりも引き抜くほうが問題でした。その理由を、ワインのコルク栓を抜く作業にたとえて説明します。
《コルク栓はガラス瓶の内側に密着しているため、瓶の中は気密状感が保たれている。その状態でコルクを引き抜けば、瓶の中は陰圧になる。ワインの栓が抜けるときに「ポン」と気持ちのいい音がするのは、陰圧になった瓶の中に、急激に空気が入り込むためである。
年稿に刺し込まれたパイプも、周りの堆積物に強く密着しているため、ボーリング孔に刺さった栓のような状態になっている。それを油圧で強引に引き抜くので、孔の中は強い陰圧になる。ワインの瓶であれば、中にもともと入っている空気が膨張すれば済むが、湖底のボーリング孔の中には空気がない。そのため、コルク栓が抜かれた後の空間は元の形のままでいることができず、周りの堆積物を引きずり込みながらつぶれてしまう》(『掘る!未知の世界を拓く掘削技術』)
この問題は、「栓を抜く前に瓶の口に傷をつける」という方法で解決しました。パイプの外に突起をつけておくことで、突き刺さるときに周囲の堆積物に傷をつけ、そこに水が流れ込みます。その結果、陰圧で年縞が破壊されることはなくなりました。
2.4トンの力で引っ張れるウインチ
なお、パイプの長さは1メートルですが、倍の2メートルにすると、この真空問題でなかはぐちゃぐちゃになってしまいます。そのため、1メートルのパイプを何度も突き刺していくことになります。掘削できる量は、水深34メートルで1日7〜8本、地層70メートル(地下100メートル)くらいのところで1日2〜3本取れるそうです。
パイプの引き上げは、ところてんのように押し出すイメージですが、地層がかたくなってくると抵抗が増え、油圧では抜けなくなります。そこで、人力で持ち手を長くしてみんなで回して引き出すことになります。今回の掘削では、“新兵器” として、100キロほどのパワーを持つ自動車用のウインチが導入されました。滑車12個を通すことで24倍、つまりおよそ2.4トンの力で引っ張ることができるのです。
地元にある福井県年縞博物館では、長さ45メートルの年縞が展示されています。前述のとおり、掘削位置をずらしたことで、完全な形の年縞が取れました。しかし、実は一箇所だけ間が空いているのです。それが、およそ3万年前の火山灰です。
姶良カルデラの火山灰による空白
中川教授によれば、火山灰は砂なのでとりづらいそうです。わかりやすく説明すると、「プリン(年縞の泥)にストローを刺せば取れるが、砂糖(火山灰)に刺しても取れない」ということです。そのため、「すいかに横からスプーンを刺して丸ごと取る」ようにしたそうです。
いずれにせよ、45メートルの年縞に一部だけ隙間があるのです。この隙間は1年ぶんのため研究には支障がないのですが、2025年の掘削では、パイプの長さを2メートルにして、「この隙間」部分の採取もチャレンジするようです。
制作:2025年7月17日
<おまけ>
年縞は、採掘して地上に持ち出すと、酸素に触れて “錆びてくる” そうです。そのため、脱酸素剤を使うのですが、これだと袋のなかの空気がなくなり、袋の形が崩れることで年縞のシマシマも崩れてしまいます。ところが、最近はカステラなどの保存用に、吸った酸素と同じだけの二酸化炭素を出す薬剤が開発されました。このおかげで、まるでレトルトカレーのように、すぐに袋を二酸化炭素で埋め尽くすことが可能になりました。面白いですね!