寝台特急「日本海」最終便に乗ってみた!
「移動」と「旅行」を分かつもの

寝台特急日本海
敦賀駅で機関車を替える「日本海」


 2011年3月16日、ダイヤ改正により、寝台特急「日本海」が廃止されました。
「日本海」は青森と大阪間1023キロを15時間かけて走るブルートレインです。もともとは急行として1947年に運行を開始し、1968年に特急になりました。機関車と寝台車10両で編成されており、定員は246人。ですが、最近は乗車率は半分以下に落ち込んでいました。ちなみに、2010年度の利用客は1日平均134人だったそうです。

「日本海」と同時に、新潟と大阪を結ぶ寝台急行「きたぐに」も廃止され、ともに今後は臨時列車になります。
 かつて東京と九州を結ぶブルトレ「はやぶさ」に乗ったことがある俺としては、今回も外せません。わずか10秒で完売したチケットを手に入れて、「日本海」最終便に乗ってみたよ。

寝台特急日本海
電光掲示板(青森駅)

寝台特急日本海
出発前のイベント


青森駅への入線

 3月なのに厳寒の青森駅。午後7時11分に入線してきた電車は、太鼓の大歓迎の中、午後7時31分に発車しました。


青森駅を出発


寝台特急日本海 寝台特急日本海
トイレと洗面台

寝台特急日本海 寝台特急日本海
乗務員室の機械。製造した富士重工は、2003年に鉄道車両から撤退


「日本海」の車体は1970年代に製造されていて、車体の老朽化はかなりのものです。個室はないし、昔ながらのカーテンで仕切るだけの2段寝台が並ぶばかり。
 食堂車はないのは当然としても、自販機もないんですけど?? 今回は特別に青森から秋田まで車内販売がありましたが、通常は金沢以降にほんの少し車内販売が来るだけみたい。これじゃ、食料を買い忘れたら大変なことになりますな。

 ちなみに電源も洗面台に1つあるだけ。マニアは通路のコンセントがわかるみたいですが、普通の人には探せません。
 夜10時前には「消灯」になるんですが、いざ歯を磨こうと思っても、もちろん歯磨きは自前で。JRが用意するのは浴衣だけですよ。 

寝台特急日本海 寝台特急日本海
B寝台。ベッドは進行方向に直角

寝台特急日本海 寝台特急日本海
A寝台のベッドは進行方向に平行。右は浴衣
 
 ところで、ブルートレインが誕生したのは1958年、東京〜博多を17時間で結ぶ特急「あさかぜ」に、他の客車との連結を考えない夜行専用車を導入したときに始まります。この車両がブルーで統一されていたことから、「ブルートレイン」と呼ばれるようになりました。
 電源車を連結したため、全車両に空調設備があり、食堂車で電気レンジを使うなど、当時としては画期的なサービスを提供しました。

 ブルトレの全盛期は新幹線が博多まで延びる直前の1974年で、寝台特急・急行は48本を数えたそうですよ。

 では、いったい、なぜ衰退したのか?
 よく言われるのが、新幹線網、航空網、バス路線が広がったこと。あるいは設備が古く、プライバシーもないので人気が落ちたこと。

 で、実は最も大きいのが、出稼ぎ労働者が減ったことではないかと思うんですよ。
 厚生労働省の資料によれば、冬場だけの出稼ぎ労働者の出身地を見ると、北海道32%、東北60.7%となっています。この労働者の人数が、1972年の54万9000人をピークに、減少の一途をたどっているんですね。1980年に30万人、1988年に21万人、1996年に11万人。2010年でも実は1万5000人いるんですが、当然、寝台車に乗る人間は減るわけです。

 出稼ぎ労働者はなぜ減ったのか? 実は多くが1986年に法制化された派遣労働者に取って代わられたんですね。なにせ地元で雇った方が安いし、全部、派遣会社に頼んだ方が融通が利くし。さらにバブル崩壊後は日本経済が不況になり、仕事自体が減るわけですな。


敦賀出発後、日本で5しかないループ線の解説アナウンス


終点・大阪到着時の感動のアナウンス

 乗客数の減少にともなって、当時の国鉄は豪華な寝台車を導入することにしました。
「長距離を移動する安ベッド」から「長距離の旅を楽しむホテル」への変革です。その寝台特急にはもちろん高級レストランが付属するのですが、なかでもシャワー室の設置が最大のサービスとされました。

 シャワー車両は終戦後、米軍の専用列車に連結したことはあるんですが、一般用としては前代未聞でした。

 で、シャワーは個室ごとに設置するのか、車両ごとに設置するのか、あるいは独立したシャワー車両にするのか、議論が繰り返され、結局、1両丸々シャワー車にするのがベストとされました。
 問題は温水を提供するシステムの開発です。当時の試算では、1車両あたり4つのシャワールームを作ったとして、約1200リットルの温水が必要になるとされました。当然、駅ごとに温水を補給しなければならないし、使用時間を9時間に限定したとしても、無料だと乗客1人あたり10分程度しか使えないのです。
 こうして、シャワー室が有料とされました。

 日本初のシャワー付き寝台車は、バブル絶頂期の1989年、大阪と札幌をノンストップで結ぶ臨時寝台「トワイライトエクスプレス」で誕生しました。
 現在は、「北斗星」「カシオペア」ともども、ロイヤル個室は専用シャワー室がありますが、共用シャワールームの利用時間は30分、シャワーは6分間だけしか出ません。そして料金は310円となっています。

「日本海」が消滅し、残っている寝台特急は、臨時列車「カシオペア」(上野ー札幌)と「トワイライトエクスプレス」(大阪ー札幌)を除くと、「あけぼの」(上野ー青森)、「北斗星」(上野ー札幌)、サンライズ出雲(東京ー出雲)、サンライズ瀬戸(東京ー高松)のみとなりました。
 なんだか寂しい時代ですね。

寝台特急日本海
乗車記念証

制作:2012年3月23日
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