ニコライ堂からの眺望
明治中期のニコライ堂
箱館のロシア領事館付きの司祭としてやってきたニコライが、明治24年(1891)に建てたギリシャ正教会(ロシア正教)。江戸時代には定火消(じょうびけし)屋敷があったところだけに、展望は抜群。なにせ皇居さえ見下ろせたといわれています。
建物はタマネギ状の尖塔を持つビザンティン様式で、設計は鹿鳴館や東京帝室博物館を作ったコンドル。
ちなみに夏目漱石の「それから」にはこんな場面が書かれています。
《代助は面白そうに、二三日前自分の観に行った、ニコライの復活祭の話をした。御祭が夜の十二時を相図に、世の中の寐静まる頃を見計って始る。参詣人が長い廊下を廻って本堂へ帰って来ると、何時の間にか幾千本の蝋燭が一度に点いている。法衣(ころも)を着た坊主が行列して向うを通るときに、黒い影が、無地の壁へ非常に大きく映る。……彼は生活上世渡りの経験よりも、復活祭当夜の経験の方が、人生に於て有意義なものと考えている》
そのニコライ堂の建設途上の明治21年、足場の上から撮った写真が残されています(『全東京展望写真帖』)。それでは、漱石も見た展望をどうぞ!
万世橋、秋葉原を越えて浅草鳥越方面
小川町、錦町、丸の内から芝方面
池之端方面(東京高等師範学校)
駿河台から、神田川を越えて砲兵工廠(後楽園)方向
下谷、浅草方向
駿河台、猿楽町から三崎町練兵場を越え、飯田町方面
なお、現在のニコライ堂は関東大震災後に改築された物です。
震災で廃墟になったニコライ堂
更新:2001年11月19日
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