ニューヨーク・マンハッタンの成立
あるいは摩天楼の時代
1910年ごろのニューヨーク
マンハッタン島に最初に入植したのはオランダ人でした。1626年、西インド会社の代表が、インディアンから60ギルダーで島を購入したのです。
司馬遼太郎によれば、
《そのころ、オランダ本国ではライデン大学とその周辺の町がすでに建設済みで、そのときの道路舗装につかった石くれが1ギルダーだった。だから、マンハッタン島の買い値は、ライデンの石くれ60個分ということになる》(「ニューヨーク散歩」)
そして、
《60ギルダーでマンハッタン島を売ったというのは、インディアンの心が、青空のように大きかったという証拠である》
と結んでいます。その後のインディアンとの闘争を考えれば、この表現はあまりに牧歌的すぎるとは思いますが。
まぁ、いずれにせよ、アメリカの歴史はこの “大きい青空”を人工物で埋めていく歴史でもありました。
1783年に独立戦争が終了、以後、ニューヨークには次々に巨大建築が作られていきます。1813年には有名なシティホール(旧市庁舎)が完成しています。ちなみに自由の女神が完成したのは1886年。
どのビルをもって高層建築の嚆矢とするかは難しいところですが、1902年のフラットアイロンビルあたりが妥当なところでしょう。以下、従来の倍近い高さ(約160メートル)を誇ったシンガービル(1908)、クライスラービル(1930)などと続き、1931年、381メートルのエンパイアステートビルの完成で、摩天楼は最盛期を迎えたのでした。
左:フラットアイロンビル
右:シンガービル(現存せず)
エンパイアステートビルとタイムズスクエア
(ともに1950年頃)
左:イーストリバートンネル(1908年頃)=左端に自由の女神
右:ウォール街・証券取引所(1918年頃)
取材のためしばらくニューヨークに滞在した司馬遼太郎は、空を埋め尽くす摩天楼に息が詰まり、
《ビル群は植林された森のように整然としていて、西への道路をのぞくと、ある日の夕陽など遠くのビルの地下室に入っていくような気がした。つい気が鬱して、海を見たくなった》
と記しています。
もはや“大きい青空”の存在しないニューヨーク。僕はこの町に行ったことがないので推測でしかないんですが、アメリカ発展の象徴としての高層ビルは、よそ者には、ただ息苦しいだけのものなのかも知れません。
作成:2001年10月1日(9・11テロを受けて)
参考までに面白い画像を公開しておきましょう。1930年頃、アメリカで描かれた「50年後のニューヨーク」。当時の人たちは、アメリカがいったいどんな未来を歩むと思っていたんでしょうか?
「現代猟奇尖端図鑑」(1931)より転載
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