万博当時、僕は15歳で、つまり思春期で、だから親が嫌いで……それで、両親に宛てたハガキの文面はとっても簡素でした。未来の世界へ手紙を出したいのだけど、素直な感情を表に出すのは恥ずかしいから、結局のところ、ほとんど何も書けなかったということですね。
このときは一人で万博に来ていたから、ハガキを出したことを知らなかった親はきっと喜んでくれたとは思います。僕もちょっと嬉しかったし。
科学万博の当時、僕は未来というものを信じていました。それは僕だけでなく、時代すべてがまだ信じていたんだとも思います。だからこそ、326万通もの差し出しがあったといえます。
で、それからもうすぐ20年。今、未来を信じてる人はいますか?
どう考えても誰もいませんよね。子供たちだって信じてないもの。その昔、僕たちは輝ける未来を持っていたのに、いつのまにかその輝きは失われ、誰も彼もが未来を失って迷走してる。これが現在の姿です。
岡田斗司夫の『失われた未来』にも、こんな文章があります。
《失われた未来・ロストフューチャー。それは、かつて私たちが本気で夢見ていた、輝けるバラ色の未来世界のことだ。それは結局、決して行き着くことのできない幻像だったのだろうか。未来を信じていた時代の子供たちは、常に進むべき世界を教えられた。大人たちはすばらしい未来を語り、町工場で作られるオモチャたちは「未来からのメッセンジャー」として子供たちに与えられた》
でも、今の大人は未来を語れないのです。だから子供も未来を信じない。現在の日本の最大の問題がこの点だと思ってるのは僕だけではないはずです。
親に連れられてではなく、自分の意志で行った科学万博で、僕は未来を信じた。それはつまり、未来を信じることができた最後の世代のような気もします。